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第13話『6月11日 銀河は落ち、夜空が染める』

 昨夜降り出した雨は今も止むことはない。

 傘があれば外出には困らない程度の雨量だ。となれば家にこもり続ける理由にはならない──引きこもりが家にこもらないのはおかしな話だ。しかしすっかり習慣になってしまっているから仕方がない。

 僕の足は今日もバッティングセンターを目指していた。

 自動ドアをくぐるとうっとおしい熱気を払う涼風と相変わらずやる気があるのかないのかよくわからない店長に出迎えられる。

 軽く会釈をし、先輩がいつも座っているベンチを目指すのだが──。

「あれ……今日はまだなのか」

 そこに銀河か雪原を思わせる銀色の髪に黒のセーラー服の少女はいない。だが何時も先輩が座っている場所には別の少女が腰かけていた。

 しかし先輩でないのは明らかだ。

 セーラー服姿ではあるが、銀髪ではなく藍色に近い黒髪。長さもロング呼ぶには無理のある短いボブ。

 しかしこの時期に先輩以外で冬用のセーラー服を着る人間がいるとは──。

「いや、いないよな……まさかな」

 人違いだったらどうしよう。

 人見知り故の緊張に背中へ嫌な汗をかきながらその少女の隣へ立ち、顔を覗き込んでみる。整った美人系の顔立ち、猫のような丸い目は好奇心に満ちている。僕と目が合うや唇が半分開く。色白の肌によくマッチした藍色風の髪が首を傾げる動作に合わせて鈴を鳴らすように棚引いた。

「なに?」

「えっと……」

「ん?」

「先輩……?」

「うん」

 先輩だった。

 大胆なイメチェンに理解が追い付かず、言葉もうまく出てこない。

「座らないの?」

「え、えっと……」

「ん?」

「いえ……」

 先輩だと安心したのも束の間──ここまでのイメチェンとあれば何か特別な事情でもあったんじゃなかろうか? 

 リアクション待ちか、それとも何も言わない方がいいのか。

 しかし彼氏が髪型を変えて気付いてくれなくて冷めた、なんて話もSNSでよく目にする。どこまで踏み込もうか、その先に地雷が埋まってるなんてことはないだろうか?

「え、えっと……先輩」

 しかし僕も先輩と一緒に過ごしてきたからこそ、彼女の強い好奇心が伝染してしまったらしい。気付くと先輩の艶ややかな──深い深い夜空のような髪を見つめていた。

 そしてそんな視線に察したのか僕へくすりと笑う。

「髪、気になる?」

「え、えぇ……まぁ。昨日まで綺麗な銀髪で長かったのに。今日いきなり髪色も長さも全然変わってるんですから」

「まぁね。本当はもっと派手な色にしたかったんだけどさ。インナーにカラー入れたりとか。どう似合う?」

「えぇ。似合いすぎて正直最初別人かと思いました」

「なにそれ」

 ふふ。

 髪色のせいだろうか。

 口元へ手を当てて笑う仕草が大和撫子然としてて別人みたいだ。髪色、髪型一つ違うだけで印象がここまで変わることに驚きだ。

「インナーカラー? ってやつはどうして入れなかったんです?」

「さっき急に思ったから、かなぁ」

「あぁ、タイミングが悪かった的なことですね」

「そうそう。そう言えばウチの学校、拘束緩いなぁーって思いだしてさ」

「ちなみに何色にしたかったんです?」

「うーん、そうだなぁ」

 パタパタ足を遊ばせながら天井をぼんやり見上げる。

 そこへあるのははめ込み式のエアコンくらい──だが先輩の眼差しはやはりそんなところを見ているわけじゃないのだろう。いくら同じ場所を見ていたとしても、同じ景色を見るにはまだまだ知らないことばかりだ。

「金色かな」

 先輩がこちらを見やる。

「き、金ですか」

「月みたいで綺麗じゃない?」

「その色……夜空みたいな色ですもんね」

「だから綺麗なんだね。何となく金がいいと思ったけど納得だよ」

「ちなみに今日は満月らしいですよ」

「雨だから見えないけどね」

 ふとバッティングゾーン越しに外を眺めてみるが、今も変わらず降り続けている。予報でも言っていたが明日まで降り続けるとか。 

 普段そこまで空を見上げることはないが、満月ならば見てもいいかもしれない。先輩と二人なら尚更だ。

「でも満月って見てると吸い込まれそうにならない?」

「吸い込まれそう……ちょっとわからないですね」

「そう? なんだろう……昔から何となくそんな気がしてるだけだからさ」

 でもさ……。

 そう呟きながら細い腕を空へ掲げる。

 何かを掴もうとしているのか、きっと先輩の目には満月が映っているのかもしれない。そして不意にこちらへ目をむくのだが──どこか寂しげな眼だ。

「空ってさ、一日でどれくらい見る?」

「そうですね……あまり見ないですけど」

「そうなんだよね。人って不思議なもので、晴れてる日にわざわざ見上げる事って少ないと思うんだよね。雨の日と夜、綺麗な星とか月の日にしか見上げない。普通の日に心は動かないから、特別を求めて見上げるんだよね」

「詩的ですね」

「そうかな」

 ふふ。

 静かに先輩が雨の降る曇り空を見上げる。

 鈍色の空を見ても特別な思いはない──しかしどれだけ分厚い雲が果てしなく広がっていたとしても、そこに満月はあるのだ。雲の上に雨は降ることがないと聞いたことがある。

 きっと先輩はそれを見ているのかもしれない。

「じゃあ今日も特別かもしれませんね」

「雨なのに?」

「雨だからですよ。雲の向こう側に満月はあるんですから」

「キミの方が詩的だと思うよ」

「……恥かしいですね」

 誤魔化すようにペットボトルのお茶を傾ける。

「でもそれ抜きでも今日は特別じゃないかな?」

「そうですか?」

「だって彼女と空を見上げてる」

「……そうですね」

 まだ先輩と付き合っている実感は浅い。

 それでも居心地の良さが安心させる。ふと先輩の横顔を見ると、遅れて目線が重なる。

「せっかくだからもっと特別な日にしちゃおうかな」

「と言うと……?」

「こういう事」

 次の瞬間、先輩の細い指が躊躇いを見せることなく僕の右手へ絡まる。指と指が鎖のように繋がり、離れないように握られる。

 細く、雪のように白い肌。

 安心する温もりが確かにそこにある。

「キミの手って本当に温かいんだね」

「先輩の手も温かいですよ」

「そうかな? 今日はたまたまかもだけど」

 照れているのだろうか。

 ふいに目線が外れ、空へ戻る。

 しかし僕の心、意識は繋いだ手にばかり向いていた。

 人生で初めて触れる女の子の手。心臓の鼓動が聞こえてしまうんじゃないか不安になるほど早鐘を打ち、緊張で身体が熱い。口の中はカラカラだ。

 どんな言葉を口にしたらいい。

 この沈黙の時間をどう過ごしたらいいのか──安心しているのに落ち着かない。焦っているのに穏やかだ。

 二律背反の思いを抱えながらおそるおそる、先輩の横顔を覗いてみる。変わらず空を見ており、そこにどんな想いを馳せているのかはわからない。

 寂しそうに見えてどこか楽しそう。

 悲しそうに見えて喜びに満ちている。

 ここにも相反する思いが共存していた。

 だから余計紡ぐ言葉が思いつかない。

 しかし先輩はポツリと言う。

「キミはわたしの髪、何色がいいと思う?」

 インナーカラーを入れたいとか色々思うことはあるのだろう。

 だがそれでも──。

「先輩は今の髪が一番いいと思いますよ。銀色の髪も名残惜しいですけど……今の髪色は夜空みたいで綺麗ですから」

「そっか、じゃあしばらくはこのままかな」

 少しだけ唇が緩んだ気がした。

 触れたら崩れてしまいそうな微笑があまりにも美しくて、僕はただその横顔に見惚れていた。


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