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第67話『8月4日 キミが望む終わり』

 先輩が病気だと知ってから一晩が経過していた。

 あれから家に帰ったのは日付が変わってしばらくが経過してからであり──当然眠れるわけもなく、今日も家を出る時間を迎えていた。

 家にいる時間の全てを病気についてスマホで調べ続けていたせいで、目がチカチカするし若干頭痛や眩暈を覚えている。しかし不思議なもので眠気は全くないし、疲労感もない。

 普段なら徹夜明けは流石に眠気を感じるものだが、欠伸一つ出てくれない。

 だが家を出てしまった今、それは少しだけ救いかもしれない。残された時間があまりないと言っていた先輩と過ごす中で居眠りなんてしたくないのだから。


 僕と先輩の間で流れていた時間は変わろうとしているのに、何度も通い詰めたバッティングセンターはいつもと何も変わらない。きっと僕が来なくても、先輩が居なくなっても在り方は何一つ変わらないのだろう。

 そう思うと何故か苛立ってしまった。

 気にしすぎなのか、意識していないだけで寝不足で気が立っているのか。

 別にどちらでもいいが──せめて先輩と会う時だけは笑っておかないと。

 自動ドアのセンサーを避けるように数歩手前で立ち止まり、反射する自分の顔の顔を伺う。無理にでも笑顔を作ろうと練習していると、

「……なにしてるの?」

 向こう側からドアがスライドし、ジュースを片手に立つ先輩が訝るように僕を見る。

「えっ、えっと……」

「待ってたんだから、早く。行こ」

 僕の返事も待たず、さっさと手を掴まれてベンチの方へ引っ張られる。病気で弱っているはずなのに力は衰えていないのか。僕の筋力がないだけなのかはわからないが、グイグイ引かれる腕へよろけながら店内へ踏み込んだ。

 店長が怪訝そうな顔をしていたが、今日は無視させてもらおう。


 そうしてベンチへ腰を下ろして間もなく先輩がまじまじと僕の顔を見つめる。行きのように白い肌も病気と知ってからは、青白く見えてしまう。しかしぱっちり開いた猫のような眼差しは生き生きした輝きを秘めている。

 そんな先輩が僕を見つめたまま数秒。

「な、なんですか?」

「キミ……もしかしてだけどさ」

 その手が僕の頬へそっと触れる。

 道中で火照った身体が冷たい手で冷やされる一方で、先輩の目は心配に揺らいでいく。

「寝てないでしょ、凄い隈だよ」

「眠れなくて……」

「キミの事だからきっと病気の事調べてたのかな」

「ま、まぁ……」

 そしてお見通しだった。

 だが自動ドアの前で練習したはずなのに笑顔を作ることはできず、何とも言えない曖昧な表情になってしまった。ただ沈黙だけは嫌でどうにか言葉を絞り出す。

「僕は医者でもないし知識もないけど……ただ何も知らないのは嫌だったので」

「そっか……」

「それに何かあった時、僕にできることがあればいいなって思っただけなんですよ」

「それで寝ないで調べてくれたんだ。ありがと」

「いえ……。僕には何ができるのかわかりませんから」

「その気持ちが嬉しいからさ」

 よしよし。

 頬へ触れていた手で撫でられる。

「眠くない?」

「意外と平気なんですよね」

「昨日の今日で心の整理できてないからだよね、きっと。でも焦らないでほしいな。キミにあぁ言ったけど、苦しんで欲しくないんだよ」

 乾いた風に呟く先輩が撫でる手を止めた。

 ぼうっとバッティングゾーンの向こうを見つめつつ小さく溜息した。先輩はこうしている今も苦しんでいるのかもしれない。

 隣にいるのに僅かな苦しみすら僕は理解できていない。

「苦しむくらいさせてくださいよ」

「キミはいつも通りでいてほしいな」

「でも一人じゃ寂しいですよ、きっと」

「苦しんでキミまで落ち込んじゃったらさ。ここにいる時間が苦しいものになっちゃうでしょ? キミといるときだけは少しでも普通でいたいんだ」

「……が、頑張ります。でも完全に普段通りは無理だと思います」

「うん、それでいいよ」

 こてん。

 肩へ先輩の頭が乗り、すぐ傍で息遣いが聞こえる。

 これまで当たり前に感じれいたものが、今日ばかりは特別で愛おしく思えてしまう。

「それで……どうだった」

「なにがです?」

「調べてみて……」

「難病で症例が調べてもあまりでてこないんだなって……」

「ね。わたしも治るのかなって思ってたんだけどさ……色んな治療してもダメだったんだよね」

「何かしたいのに何もできないってもどかしいです」

「それだけで嬉しいんだよ。一人じゃないって思えるからさ」

 僕の肩へ頭を載せたまま手が繋がる。

 冷たい手を握り返す。

「でもこんなに近くにいるのに遠く感じちゃいますよ」

「そう? 近くにいるから手を繋げてるんだよ」

「でもこれから遠くに行くって思うと……なんでしょう。昨日の夜もそれを考えたら眠れなくて」

「そっか……」

 じゃあさ──。

 生気のない声が返ってくる。目をやると、感情を切り捨てたようなおぼろげな眼差しと交差し、途端に身体の芯から冷たくなるような感覚を覚えるのだ。

「先輩……?」

「一緒に死んじゃう……?」

「先輩が望むなら」

「キミならそう言うよね」

 あはは……。

 透明な表情で無理に笑う。

 それだけで今の言葉が歩気でない事が容易に伝わってくる。

「嫌だよ、キミには生きててほしいもん」

「意地悪ですね」

「そう、わたしは意地悪だから。わたしが死んでら……ううん、確実に居なくなるんだけど。それでもキミが覚えてくれれば完全には居なくならないからさ」

「呪いじゃないですか……先輩の事を忘れるなんて無理ですよ」

「そう、言ったでしょ。意地悪だって。これは呪いでキミに向けた祝福だよ」

「重いですね……」

 取り残された側の宿命なのだろう。

 今のところ僕には大した病気もなければ死ぬ予定もない──余命が宣告された先輩よりも長く生きるのは確実だ。

 これから先の人生、僕は先輩の幻影を追い続けることになるのかもしれない。

 それはまさしく呪いであり──孤独を埋める祝福なのだろう。

「無理なら背負わなくてもいいよ」

「いいえ。それくらい重い方が僕二はいいです」

「そっか。じゃあキミの中で生き続けちゃおうかな」

「そんな気楽なもんなんですか?」

「違うかも」

 ふふ。

 楽し気に笑いながら続ける。

「キミの一挙手一投足、呼吸に至るまで……わたしがいるような感覚を刻んであげるから」

「それは楽しみですね」

「キミは寂しがり屋だから」

 ポツリと呟くその声がすんなり僕の中に馴染んでいく。

 でも寂しがり屋なのは僕じゃなくて──もしかしたら先輩なんじゃないか。肩へ寄り掛かってハニカム先輩を見てそんなことを思った。


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