灼熱の夜道を歩いた末に辿り着いたオアシスは今日も閑古鳥の大合唱。もう最後に僕ら以外の客さんを見たのはいつだったか思い出せない。すっかり僕と先輩だけの空間だ。
しかしそれもあと──。
「考えるな、考えるな……」
果たしてあとどれくらいなのか。
油断すると考えてしまう負の思考を振り払うように大きく溜息してから自動ドアをくぐる。滴る汗を一気に冷やす強烈なエアコンの風と混ざって漂ってきた胃袋を刺激するこの香りは……。
「いい匂い……」
濃厚な味噌の香りは嗅ぎ慣れたカップ麺だとすぐに気づく。
まるでその匂いへ引き寄せられるようにいつものベンチへ足を運ぶと、麺を啜る音に胃袋を刺激される。
そして──。
「待ってたよ」
大盛カップ麺を手に子どものような無邪気顔で笑う先輩に迎えられる。
すぐ傍だとお腹が空く匂いから逃げられず、夕飯を済ませた胃袋がとことん刺激されてしまう。
ただこうして食事している先輩を見られて安心だ。
「食欲戻ったんですね」
「まぁね」
スープを啜って一呼吸。
「最近暗い話ばっかりだったじゃん?」
「そうですね」
「でもキミとの時間は楽しい事でいっぱいにしたいからさ。楽しい事だけしたいから、まずはご飯かなって」
「お腹空いてると落ち込みやすいって聞きますしね」
「そう言う事! だからまずはこの時間のカップ麺で背徳感含めて楽しもうってわけ」
「なるほど……。なら他にもジャンクなものあったほうがよくないです?」
「キミも悪いねぇ~」
ふふふ。
眉を下げて悪そうに笑う。
「脂っこいもの! カロリーが高いもの食べたい!」
「ダッシュで買ってきます! 僕もお腹空いたんで!」
先輩が食べたいと思ったものを何でも食べさせたい。
ふと沸いた感情のままにベンチから腰を上げ、近場のコンビニまで走り出していた。
2
そうして再びバッティングセンターの自動ドアをくぐったのは三十分程度経過してからだった。両手へそれぞれ袋を掴み、額へは大汗。しかし疲労感は大して感じられない。
今の胸の内にあるのは先輩の要望を満たせる幸福感。
「戻りました~」
「おかえり、まさか本当に行ってくるなんて」
「先輩の食欲が戻ったのが嬉しくてつい」
我ながら買いすぎた買い物袋に苦笑すると──やはり先輩も同じように眉を寄せてクスリと肩を弾ませる。
「だからって買い込みすぎだよ。なに買ってきたの?」
「いやぁ、色々と」
先輩の隣へ腰を下ろしてコンビニ袋へ手を漁る。まずは飲み物だ。
「深夜の脂っこい夜食のお供はこれかなってことでコーラです」
「あぁいいねぇ~」
「一応お茶もありますので、お好きな方を」
先輩との間へ作ったスペースへまずはペットボトルを何本か置く。しかしこれはまだまだ序の口だ。
もう一つの袋からビッグサイズのスナック菓子を幾つか。
「えっと……ポテチ、チーズスナック、お煎餅ですね」
「おぉ……!」
「あとチョコとグミもあります。しょっぱいのだけだと飽きちゃいますからね」
「このラインナップだけで満足感すごいねぇ~」
「いざコンビニ入ったら色々迷っちゃいまして……」
もうこの段階でベンチが埋め尽くされつつある。しかしまだ袋からは深夜にしてはご機嫌な商品が幾つか確認できる。
「そしてこれですね……」
新発売、ニンニクが効いたカップ麺と変わり種おにぎり。レジ前で見つけるとつい買ってしまうホットスナックたちだ。
チキン系に始まり、アメリカンドッグ、季節外れの中華まん。とにかく目に付くものを買える範囲で──。
「す、凄い量だね……。二人でも食べきるの無理じゃない?」
「そしたら好きなの持って帰ってください。二人で分けましょう」
「でもこれだけいっぱい食べ物に囲まれるの初めてだから楽しいかも。これ食べていいんだよね?」
「ど、どうぞ」
「じゃあ……」
そうして先輩は早速ホットスナックからアメリカンドッグと肉まんを両手にわんぱく食いを始める。それを横目に僕はカップ麺の包装を解いて席を立つ。
「お湯入れてきます」
「はいはーい」
先輩へ見送られながら受付窓口まで向かう。しかし途中でふと振り返ってしまった。先輩の事が気になってと言うのもあるが──この光景をしっかり目に焼き付けておきたい。何となくそう思ったからだ。
歩いては立ち止まり、振り返る。
「そんな何回も見なくても居なくなりゃしないよ」
「えっ」
「アンタねぇ……」
盛大な溜息と共に目線を戻すと、受付から顔を出した店長と視線が重なる。呆れたようなジト目に堪えられず、俯き気味に脇のポットへカップ麺をセット。何か言いたげな眼差しに堪えていると、もう一度溜息がやってくる。
「な、なんですか」
「別にぃ~」
「とは思えないんですけど……」
「楽しくやってんならそれでいいさ。バカップル具合は加速してるけどねぇ」
「そ、そうですか?」
「あぁ、そうさ。傍から見てりゃもうどこに出しても恥ずかしくないバカップルだねぇ~」
「あまり言わないでください、なんか恥ずかしいので」
「自覚があるなら結構さ。でもお前さんはそれでいいんだよ。あの子のためにもね」
それだけ言い残すと、僕へ背を向けてしまった。
丁度お湯もいい感じ。強烈なニンニクととんこつの香りを密閉するように蓋をして、先輩の元へ戻ろう。
3
「人がカップ麺食べてるの見ると食べたくなるよねぇ」
「なので食べてます」
明日人に会えなくなるかもしれない強烈なニンニク臭とこってり濃厚な豚骨スープ。それらがまとわりついた細いストレート麺。深夜と言う背徳感も相まってするする胃に入ってしまう。
「先輩も食べます?」
「女の子にニンニク強めのとんこつ勧める?」
「前に気にしないって言ってたので」
「まぁそうだけど……」
「どうぞ」
そうしてカップを手渡したのだが、先輩は中々口を付けようとしない。
「あっ、新しい箸欲しいですよね」
「ん、これ使うからいいよ」
「そうです? ちなみに口付けたのはこの辺で……」
今更間接キスなんて気にしないだろうと思いつつ、口を付けたカップの縁を指さしてみる。だが先輩は特に気にした様子がない。
「じゃあここから飲めばいいかな」
「……えっ」
「ん? 間接キスくらいどうってことないし」
「じゃ、じゃあ……なんでカップ持ったまま固まってるんです?」
「あぁー、これ」
ふふ。
目線をスープへやったかと思えば肩を弾ませる。
「キスできなくなっちゃうね」
「えっ……」
「臭いがね……」
「あ、あぁ……」
照れくさそうにハニカム姿にこっちが恥ずかしくなってしまう。
「で、でも……僕はもう食べちゃったしどっちにしろじゃない?」
「キミは彼女からにんにくの臭いがしてもオッケー?」
「美味しく食べてるなら」
「そっか。じゃあ……キスの代わりにあとでいっぱいハグをしましょう」
頂きます。
そうして先輩がようやくカップに口を付けてスープを啜る。僕が一口目に感じた強烈なニンニク臭と旨味に驚いた様に、先輩も両眼を見開く。そしてすぐさま麺を啜る。
「こ、これは……キスできなくても仕方ない味だね」
「キスより上回られると彼氏として困るんですけど……」
「間接キスしてるからセーフってことで」
「なにがセーフなんですかね……」
話している最中も箸を動かす手が止まることはなく、いつの間にかスープを少し残すまでに食べ進めていた。
「ごめん、キミの分も食べちゃった」
「ここからが本番なんですよ」
「本番?」
「前話しましたよね、スープにご飯とかおにぎり入れると丁度いいって」
そのために買った中に味玉が入ったおにぎりの包装を解き、スープの中へ。
「まぁお行儀は悪いんですけど……。今日は許されるかなって」
「食べていい? こういうのやったことなくてさ」
「もちろん」
そうしてカップは再び先輩の手へ。
箸ではなくスプーンに持ち替えて一口。
「な、なにこれ……美味しい!」
「男飯です、まぁ作ってはないですけど……禁断の夜食ですね」
「男の子だなぁ~。よくやってるの?」
「たまにですね。あとは適当に作ったりとか」
「今度作ってきてよ」
カップ麺の残り汁による雑炊風の何かを食べながら更なる要望が飛んでくる。
その顔はとても病に侵されている人間が見せる弱々しいものではなく──わんぱくに胃袋を鳴らす思春期男子そのもののような顔で笑ってしまう。
「じゃあ……今度持ってきますよ」
幸いなことに僕の夜食は基本がレンチン。ここのレンジを借りれば済む話だ。
しかし問題は何を作るか──隣で夢中で胃袋を満たす先輩を見ながらくすりと笑うのだった。