『退院したから今日は居るよ』
その連絡を受けたのは陽が落ちかけた頃だった。
元々今日退院すると聞いてはいたが、いざその連絡を受けると舞い上がってしまうのが彼氏心と言うもの。それからは時計ばかり気にしており──ようやく陽が沈み、僕らの時間になった。
少し早いかもしれないが、居ても立っても居られず家を出る。
今日ばかりは暑さでうんざりな道中も気にならない──のは嘘なんだけど、不快ではない。滴る汗を拭いながら十分少々の道なりを行くと、僕と先輩の居場所。バッティングセンターはすぐそこだ。
自然と足が早まり、自動ドアをくぐるのだが──そこから先輩の姿は全く見えなかった。
「まだ来てないのか?」
小首を傾げつつベンチへ向けて通りを歩み進めると、
「あっ、来たんだ! 待ってたよ」
声がしたのは普段座っているベンチではなく、部屋の端っこ。アーケードゲームが並ぶエリアからだ。その方へ向いた途端、
「ちょ、な、なにしてるんですか!?」
咄嗟に目を逸らしてしまった。
今しがた視界に映ったもの──それは先輩が豪快にセーラー服の上を脱ごうとしている光景だ。肌色はまだ見ていない、その下に着ているものも見ていない。
しかしこれでも僕は健全な男子高校生。
いきなり女子が脱ぎ始めたという光景だけでもとんでもない幸福。それも彼女とあらば目に焼き付けたいほどの幸福だ。しかし人間の本能か、はたまた理性か。
そんなものはどうでもいいが、目を逸らしてしまったことが悔しい。しかし改めて目にするには刺激的だ。結果先輩へ背を向ける形で会話を進める他ない。
「な、なんで脱いでるんですか!」
「なんでって……店長から許可貰ってるし」
「野外露出の許可を!?」
先輩にそんな趣味があったとは……。
それとも身体が自由に動くうちに経験したことがない事をやってみようというノリなのか。ますます先輩の方を向けなくなってしまった。
「そんな大げさかなぁ。大丈夫だよ、屋内だから」
「そう言う問題じゃなくて……」
着替えるなら更衣室か、せめてトイレでしてほしい。
と言うかなんで着替え!?」
「キミ……何か勘違いしてる?」
「勘違いなんてしようがあります!?」
「別に裸になろうとかしてないよ?」
「下着って事ですか!?」
「落ち着いて、大丈夫だから。ほらこっち向いてみな」
と言われても……。
もしここで振り向いた結果、僕の男の部分が暴走してしまったらどうするのか。
「キミが思ってるような展開にはならないと思うよ?」
「なったら困るんですよ」
「えぇー、なんかそれはそれで反応として残念と言うか。別に全裸でも下着でもないからさ」
「ほ、本当ですか?」
「うん、でもキミは喜ぶかもね」
「ぼ、僕が喜ぶ……?」
じゃあやっぱりえっちな展開じゃないか!
店長だっているというのに──そんな展開になったらいくら店長でも通報待ったなしだろう。
しかし見て見たいのも事実。
もう見たくて見たくて仕方がない。
「ほ、本当にまずいことにはならないんですよね?」
「うん、多分?」
「え、えぇ……」
「いいからいいから。店長には許可貰ってるから怒られないって」
「し、信じていいですよね」
「嘘ついてもねぇ」
「じゃ、じゃあ……」
幾重にも保険を張り巡らせる自分が情けない。
しかしそうでもしないと先輩の方を向く勇気がないのだ──だから先輩の言葉が何よりありがたい。
「ほらほら」
楽しげなのがどうも引っ掛かってしまう。
それでも振り返ると──。
「なっ!?」
「ねっ、普通でしょ?」
「ふ、普通……?」
僕の普通がおかしいのだろうか。
目に映るのは普段冬用セーラー服で隠されていた見えなかった部分。
触れたら簡単に崩れてしまいそうなその身体。大事な部分は隠れているが、普段見たことがないその姿に胸がドキッと弾む。
スレンダー体系と言うべきなのか。
はたまた病気の進行でそう思えてしまうのか。細い体のシルエットに複雑な思いを抱いてしまう一方で、その姿を見せてくれたことに対する喜びもある。
オフショルダーにショートパンツ風の黒い水着──そう水着姿の先輩がそこにッ立っていたのだから。
しかしどうして水着……?
「夏らしいことしたいなって思ったからさ」
そしてその疑問は簡単に解決してしまう。それはもうとてもとてもシンプルな理由で。
「だからキミも水着になって」
「えっ……持って来てないですよ」
「えぇー、なんで?」
「なんでと言われましても……」
「じゃあ上だけ脱いでよ。早く早く。わたしだけ水着なんてダメでしょ?」
「え、えぇ……。まぁいいですけど。
先輩だけ水着姿なのは流石にまずいだろう。
僕だけが得しているというか──なんだろう。先輩だけが変と言う状況をどうにかしたくてTシャツを脱ぎ捨てる。七分丈デニムにスニーカーだけを身に着けた変質者の完成だが、今日だけは許してほしい。
「こ、これでどうですか……?」
外の熱気が冷めやらぬまま、内側も温まってしまったせいでエアコンが気持ちいい。しかし妙な恥ずかしさがあり、情けなく腕で身体を隠してしまう。
「じゃあ行くよ」
しかしそんな僕をお構いなし。
先輩は僕の腕を掴んでバッティングゲージの向こう側まで引っ張っていく。バッターボックスを超えた先、普段なら危なくて立入ができないボールが行き交うエリア。
そこで先輩の足は止まった。
「プールとか行くのは無理だけどさ、これならプール気分くらい味わえるかなって」
「ど、どういうことですか?」
「こういうこと」
そして次の瞬間、大量の水が僕の顔を襲った。
途端に視界が奪われ、足が滑る。その場で尻持ちをつきながら顔を上げると──楽し気にホースを手に僕を見つめる先輩と目線が重なる。
「ここの掃除する代わりに水着で遊んでいいって店長にお願いしたの」
「あ、あぁ……そういうことですか」
「そそ。これも夏の思い出ってことでさ。楽しも」
「まぁそういうことでしたら」
「キミもわたしの水着見れて嬉しいでしょ?」
「そりゃ……彼女の水着を見たくない彼氏なんて存在しませんから。かわいいですよ」
恥ずかしさで普段なら中々言えない言葉をどうか絞り出すのだが──次の瞬間、再び僕の顔を大量の水が襲った。
「急にそう言う事言わないで……照れる」
「先輩ばっかずるいですよ」
「わたしを濡らしたいと?」
「そりゃこっちはズボンと言うか下着までずぶ濡れなんですから」
「わたしもずぶ濡れにしたいなんてえっち」
「ちょ、なんでそうなるんですか!?」
「ほら、ブラシあげるから」
デッキブラシを放り投げられるのだが、さてこれでどう抵抗してやろうか。
楽し気に水をまかれるものだから、足元はあっと言う間に水浸しだ。
「ほらほら、キミもやり返してみなぁ~」
「ホース相手じゃ分が悪いけど……!」
力いっぱい水溜まりへ向けてブラシをかける。
瞬間、水しぶきが上がり、キラキラと夜空へ輝く。
「きゃっ」
そして先輩を濡らすのだ。
白い肌が大型照明の輝きを受けて、そのシルエットを象徴する。改めてその細さに驚いてしまうが、水着の魔力とは凄いものだ。ついつい目が行ってしまい、ブラシの手が止まりそうになる。
しかし油断すれば強力な水流が僕を襲うのだ。
掃除なんて知ったことか。
と言うか先輩は最初から掃除なんて建前だったのだろう──水をただただぶちまけ、その笑顔で夜の闇を照らすのだ。
その結果──。
「まぁこうなるとは思ってたよ」
掃除(建前)を初めてさて、どれほどが経過しただろうか。
僕らの声を聞いてか、店長がネット越しに現れては盛大に溜息を落とす。
「全然進んでないね」
「す、すみません……楽しくてつい」
「まぁ別にいいんだけどね。大して汚れてもないし。風邪だけはひかないでおくれ」
呆れ果てた店長はそそくさ受付へ戻ってしまう。
そして掃除の終焉を告げるように先輩がくしゃみする。
「あーあ、楽しかった」
「二人してずぶ濡れですね……これ乾くまで帰れませんよ」
「まぁまぁ。でもこんな夏の思い出わたしたちだけだよ」
「そりゃそうですけど」
「だからこれでいいの。わたしたちだけの夏の思い出、オンリーワンだよ」
そうして先輩が後ろから僕へ飛びつく。
掲げられたスマホへ目をやると、間もなくしてシャッター音が響いた。