暑い。
暑い、暑い。
暑い、暑い、暑い。
日中しっかり日光を吸い上げたコンクリートに室外機などが並ぶバッティングセンターの屋上は陽が沈んでも嫌になるほどの熱気が立ち込めていた。
海を正面に地べたへ腰を下ろして数分。首から下げたタオルは汗を吸いすぎているのか、汗を拭っても拭えている気がしない。だがここから離れるわけにもいかない。
今日は特別な夜になる、そう信じているのだから。
そんな思いで室外機の音がうるさい屋上で待つこと数十分。遠くで階段を上る音が聞こえたかと思えば、その直後。重い鉄扉が開く。振り向くと、心許ないスマホの明りへ照らされて夜に溶け込みそうな黒の冬服セーラーに身を包んだ女の子。
この夜のように艶やかな黒髪を棚引かせ、僕へ曖昧に笑いかける。
「キミからの呼び出しなんて初めてじゃない? それも屋上なんて、どうしたの?」
「まぁちょっとありまして。もうすぐですよ」
膝上のスマホへ目をやる。
今日は少しよりも遅めの集合時間──間もなく時計の針は日付が変わる瞬間を示そうとしていた。本当ならさらに深い時間が丁度いいんだけど、そう言うわけにはいかないだろう。
それにこの時間からでも見れるはずだ──夏の奇跡を。
「満月……とかでもないよね」
「ですね。とりあえずこっちに来てください。
手招きして隣へ先輩を導く。
小首を傾げながら足元を確かめるように歩みを進め、僕の隣へ膝を立てて腰を下ろす。
「こうしてここに座ると二人でお月見したの思い出すよね」
「そうですね。あれはまだ付き合ったばっかくらいでしたね」
「だったかなぁ。そう言えば相変わらずキミは敬語のままだね」
「癖で抜けなくて。まぁいいじゃないですか……今日は見せたいものがあるんですよ。もうすぐだと思うんです」
「もうすぐ?」
隣で先輩が首を傾げた瞬間──。
「あっ」
夜空へ一筋のラインが走る。
「見えましたか?」
「流星群……」
「今朝ニュースで知ったんですよ。ペルセウス座流星群が今日の深夜から明日の朝くらいが見頃らしくて」
「なるほど。それで屋上に……」
とは言え想像するほど無数のラインが描かれることはない。
ぼんやり空を見上げていると、しばらくして一筋確認でき、また時間を置いて到来する。流れ星と同じように一瞬にして空へラインを描いて消えていく。
「こうして流星群ちゃんと見るの初めてかも……思ったより少ないんだね」
「僕も同じこと思ってました……」
「ビュンビュンって、幾つも一気に来るんじゃないんだね」
「どうなんですかね? もしかしたら朝方が見頃なので、そこまで待てばワンチャン……」
「眠くなっちゃうね」
ふふ。
隣で小さく笑いながら、僕の肩へ寄り掛かる様に身を寄せた。
「でもこれはこれでキミとゆっくり過ごせていいかも」
「昨日ははしゃぎすぎましたからね……帰り大変でしたよ」
「あはは……まぁいい思い出になったでしょ?」
「まぁ……そうですね」
ふと脳裏へ先輩の水着姿がよぎりかけ、煩悩を振り切るように頭を振る。そして改めて空を仰ぐと、また一筋、流星群が降り注いだ。
「でも意外だなぁ~」
「なにがです?」
「キミが天体観測に誘うなんて。意外とロマンチスト?」
「たまたまですよ。今回のが夏の流星群、あとは十二月に双子座流星群、一月にしぶんぎ座流星群が見れるらしいです」
「三大流星群だっけ」
「そんな感じですね。僕も詳しくないのであれですけど」
「キミと見たかったな、他の流星群も……」
ぽつりと漏らしながら僕の手を握る。
スマホの明りすらない真っ暗な状況では先輩がどんな顔で流星群を見つめているのかわからない。ただ握る手はあまりにも弱々しく、震えていた。
あとどれだけ時間が残されているのか──先輩は知っているだろう。その時がいつなのか聞く勇気は僕にない。
「だ、大丈夫ですよ。冬だってきっと見れますから」
だからこんな励ましにもなってないことしか言えない自分が嫌になる。
「じゃあお願いしてみる? 流星群も流れ星っぽいし」
「風情ないですね……多分違うと思いますし」
「細かい事気にしないの。こういうのは気持ちが大事なんだから」
ねっ。
どうして僕が励まされているのか。
情けなくて悔しい思いを押し殺し、先輩の手を強く握る。そして空を見上げるのだ。
「キミはどんなお願い事するの?」
「そうですねぇ~。先輩は?」
「内緒」
「じゃあ僕もそれで」
「なにそれ~」
隣で肩が揺れる。
風もなければ往来する車の音も全く聞こえない静寂の時間──町を背にしているから頼りになる人工的な明かりはない。月明りだけが照らすこの狭い屋上がこの時ばかりは僕らだけのものになったような錯覚に陥る。
そして繋いだ手から感じる温もりがその錯覚を次第に革新へと変える。
次なる流星群を待っている間に会話はない。
心地いい沈黙、隣にいる当たり前の安心感。許されるならこの時間をずっと過ごしたいと思える僕はやはり弱いままだ。
この調子で本当に先輩が居なくなった後、一人で歩けるのだろうか。
そんなことを考えていると、繋いだ手がより力強く握られ、
「来たっ!」
視界へ待ち侘びていた流星群が流れていく。
その速さに置いて行かれないように心の中で願い事を一つ、大事に唱える。間に合ったかどうかはわからない──しかし過ぎ去った頃、自然と顔を合わせていた。
「お願いできた?」
「間に合ったか怪しいですけど一応。先輩は?」
「ばっちり!」
ふふ。
得意げにピースサインをする姿が無邪気で愛らしい。
「なにお願いしたの?」
「内緒です」
「なにそれ~」
「先輩は?」
「わたしも秘密だよ」
でもね。
繋いだ手をそのままに、空いてる手で僕の頬へ触れる。
「でもキミに関係してることだよ」
「ぼ、僕も……同じです」
せめて残された時間が先輩にとって穏やかなものでありますように──それが今の僕が抱ける精一杯の願い。
「じゃあ一緒かな」
「だといいですね」
次第に顔が近づき、日常になりつつある唇が重なる。
視界の端でもう一筋、流星群が降り注いだ。