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第77話『8月14日 自転車とアイス』

 普段徒歩で行くと嫌な熱気に晒され続けてとにかく不快だ──しかし移動手段が変われば感じる温度や景色が一気に変わる。

 何年ぶりかも知らぬママチャリでこぎ出した途端、嫌な熱気からほんの少しだけ不快さが和らいだ気がする。街灯が少ない海沿いの通り、徒歩ならばこの辺から汗が噴き出していただろう。しかし今日はこれくらいの距離なら汗すら滲まない。

 自転車とは言え風を切るこの感覚は久しぶりで気持ちいい。

 これがもしバイクなら──そんなことを考えていると、あっという間にバッティングセンターの前へ差し掛かっていた。普段は全く使われてる形跡がない駐輪場へ自転車を止めると、

「あれ、珍しい」

 自動ドアが開き、足音が一歩、また一歩と近づいてくる。

 目をやると先輩がアイスを片手に立っていた。冬用セーラー服に棒アイスと暑いのか寒いのかよくわからない格好である。

「あ、先輩」

「自転車買ったの? バイク乗りたくなっちゃった間に合わせみたいな?」

「あぁー、これは父さんから貰ったやつです。通勤で使ってたのを買い替えたらしくて。乗った感じ、全然まだ使えそうなんですけどね」

 後輪をロック。

 下りた途端、吹き出る汗を拭う。サドル部を撫でると、先輩がとたとた歩身を進めて隣へ並ぶ。

「自転車懐かしいなぁ。最近はバイクばっかりだから」

「乗ってみます?」

「うーんそうだなぁ」 

 なにか考えるように宙を見つめたかと思えば、次の瞬間無邪気に細めた微笑みが向く。

「後ろ、乗せてよ」

「二人乗りですか?」

「この前わたしのに乗せたでしょ? 今度はわたしが乗る番ってこと」

「まぁいいですけど……。バイクより安全ですし」

 ポケットから鍵を取り出して数分もしないうちにロックを解除。

「普通のママチャリなんで乗り心地は期待しないでください」

「うんうん、キミの後ろだからいいんだよ」

「どこか行きたいところあります?」

「そうだなぁ」

 ひとまず自転車へ跨る。

 片足ペダルにかけ、片足を地面へ。前後輪ブレーキを握って待っていると、僅かに自転車がグラつく。先輩が後ろへ乗ったのだろう、振り返ると半身で僕を見つけていた。

 控えめにシャツの袖を握る顔が僅かは僅かに赤い。

「な、なんか……こういうの青春って感じするね」

「まぁ二人乗り禁止ですけどね」

「それがいいんじゃん。わたしとキミだけのヒミツってことで」

「それでどこ行きます?」

「とりあえず近くのコンビニで。アイス食べたい」

「さっき食べてたのにまたですか?」

「アイスは何本食べても美味しいからいいの。ほら、早く」

 ぽんぽんと背中を軽く叩かれる。

「じゃあ……とりあえずコンビニ行きますか。背中ちゃんと捕まっててくださいね」

「はいはーい。レッツゴ~!」

 先輩の高らかな声と共に自転車が動き出す。

 一人で乗るのと違いスピードは大して出ないし、出す気もない。ゆっくりと、だが遅すぎない速度でバッティングセンターを出て海沿いの道を行く。途中までは僕の帰り道と全く同じ通りだが、途中の交差点を右折。

 海から遠ざかる様に自転車をこぎ進めればコンビニは目の前だ。

「例えばキミと早く付き合ってたら……学校帰りとかこんなことしてたのかな」

「うーん……かもしれませんね」

 それは存在しない過去の話。

 僕が引きこもりになんかならず、普通に学校に行っていた場合の世界線の話だ──しかし僕と先輩はバッティングセンターだからこそ出会うことができたんだ。もしお互いに普通の状況、境遇だったならば……。

「でもその場合は付き合ってなかったんじゃないですかね」

「かもねぇ~」

「だから……これでよかったのかもしれないです」

「そっか」

 すぐ後ろで聞こえたその声は自転車で走っているせいか、その風に掻き消されそうでやけに弱々しく聞こえた。

「キミに後悔がないならいいかな」

「後悔なんてしませんよ」

「じゃあいっか」

「ですです」

 そう──きっと後悔なんてない、してる暇なんて一秒たりともないんだ。

 今この時間を満喫するためにも。


「はい、と言うわけでコンビニです」

 そしてダラダラ話を続けているうちにコンビニに辿り着いていた。

 駐輪場へ自転車を止めて大きく伸びをする。

「近場とは言え後ろに人を乗せると疲れますねぇ~」

「重かったってこと?」

「事故れないプレッシャーってことです」

「あぁー。それはわたしもあるかなぁ」

「重さで言うなら……先輩はもう少し太った方がいいですよ」

「はいはい。ほら行くよ」

 聞く耳がないとはこの事か。

 と言うか多分先輩はそのあたりまったく気にしていないのだろう。そそくさ一人先にコンビニへ入ってしまった。

 何歩か遅れて入ると、汗ばんだ身体を一気に冷やす──寒すぎるくらいの冷気へ出迎えられる。夏場のコンビニはまさにオアシス、一歩踏み込んでしまったら最後。もう絶対に出たくなくなるのは僕だけだろうか。

 そうして雑誌コーナーからアイスコーナーへ回ると、ショーケースを覗き込む先輩を発見。

「先輩はどれにします?」

「うーん、さっきはアイスバーだったからなぁ。次は違うのがいいんだけど、シャーベット系かもモナカ系か悩みどころ」

「なるほど……」

「キミはいつも何食べてる?」

「モナカ系ですね」

「なんか男の子っぽい」

「そうです?」

 モナカの内側、バニラアイスに包まれて板チョコが一枚挟まった定番商品。

 今日もこれにしようと手に取ると、先輩がシャーベットバーを手にする。

「わたしはこれかなぁ」

「外暑いし中で食べる?」

「いいですね」

 そうして二人レジで会計を済ませて、入り口脇へ並ぶイートインスペースへ腰を下ろす。窓の向こうから確認できるのは駐車場と閑静な住宅街だけ。

「二人でここに来ることないから新鮮だよね」

「コンビニのイートインスペース事態初めて使いましたよ」

「中々使わないもんねぇ」

 二人、アイスを食べながら控え目な声でぽつぽつ会話が続く。

 やや大きめの店内BGMを適当に聞き流しながら火照った身体を冷ましていると、先輩がシャーベットバーを向ける。

「一口交換しよ」

「いいですよ」

「間接キスだね」

「今更恥ずかしがりませんって」

 と言うのは嘘。

 若干のドキドキを感じながら先輩のアイスを一口。

 シャリシャリと小気味いい氷の粒子が一気に身体の火照りを冷ましていくようだ。

「美味しいですよね、これ」

「安いし、当たるともう一本貰えるし。まぁ当たったことあんまないけど」

「当たっても交換ってなんか恥ずかしいですよね」

「わかるわかる」

 ふふ。

 ただ二人でコンビニに来ただけなのに楽しそうにしているのが嬉しい。

「じゃあ僕のも」

「これも好き~」

 パリパリサクサクのモナカを幸せそうに堪能する姿が微笑ましい。

「こうしてなんでも半分こ出来たら美味しいよね」

「そうですね。今度は別のコンビニ行きますか」

「それもありだねぇ」

 ふふ、楽し気に笑いながらアイスを一口。

「もう旅に出ちゃう?」

「それもありかもですねぇー」

「なんてね。この旅、キミと一緒には行けないよ」

「……まぁそうですね」

「先に行ってるからさ。その日までは一緒に居ようよ」

「はい」

 それっきり会話はなかった。

 ただ二人アイスを食べ進めるだけ──静かで冷たくて。しかし隣にいるのが温かい夜。この日僕らは初めていつもの場所以外で夜を深めた。

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