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第80話『8月17日 夏と言えば キミと言えば』

「夏と言えば……!」

「夏と言えば?」

「夏と言えば……!」

 早く、早く──。

 僕へ先を言わせたいのか、ニコニコ顔で僕を見つめる。

 しかしここで言ったら負けと言うか何と言うか。

 数分前にいつものバッティングセンターへ来てからと言うものずっとその存在を主張し続けるものがあるせいで負けた気になってしまう。

 先輩が大事に大事に抱き抱えている黒い縞模様が入った緑色の物体と借りてきたであろう使い古されてはいるがやけにピカピカ室内光を跳ね返す金属バッド。

 もう答えは最初からそこに存在するのだから。

「夏と言えば……!」

「……スイカ割りですか?」

 そしてついに根負けして期待通りの答えを口にした途端、

「正解! そう、スイカ割り! 一回やってみたかったんだよねぇ~」

 スイカを堂々持ち上げて腰を上げた。

 まるで小さな子供のようなはしゃぎっぷりは愛らしい。しかしそこまでテンションが上がるイベントなのかと言う疑問が僕を置いてけぼりにする。

「なんかテンション低くない?」

「いやぁ……何と言うか、やったことないからあれなんですけど……楽しさがイマイチわからないというか。後片付けとか大変そうだなぁってイメージが……」

「えぇー。その大変さも醍醐味なんじゃん! 経験ないけどさ!」

「やっぱないんですね」

 一度目は聞き流したが、やはり先輩もスイカ割りは初挑戦。

 しかも普通は海でやるものをバッティングセンターで……。

「店長の許可とかは」

「ばっちり!」

 ピシッ!

 力強いピースがと満面の笑顔。

 そうなればもう断ることはできないだろう。

「まぁキミが嫌ならやめるけど」

「その言い方はズルいですね。別に嫌とかではないんですよ……何と言うか、なんでしょう。叩き割ったスイカを食べるのに若干抵抗がある……みたいな」

「あぁー、衛生的な? ビニールシートも新品あるし、バッドもキミが来る前に綺麗に洗ったし大丈夫だと思うよ」

「なら……いいですかね」

「意外と潔癖?」

「そこまでではないと思うんですけどね。どうしても海でやるイメージが強いからかもしれないです」

「あぁー、そういう」

 くすりと笑いながらスイカを大事に抱き直す。

「これも夏の思い出ってことでさ。ねっ」

「ほんと……その言い方はズルいですね」

 八月も半ばを過ぎ、間もなく終わりへ差し掛かっていく。

 先輩の最後の夏が終わろうとしているんだ──その中で残り続けるなにかがあるならば、それを叶えてあげたい。

 それに僕自信、スイカ割りはそこまで否定的でもない。

 色んな理由を上げてはみたけれど、そのどれもが自分の中でしっくりこないのだ──なぜ僕は嫌がったのか。

 その理由がわからないまま、今日も相変わらず誰もいないバッティングゾーンへ手を引かれるのだった。



 既にスイカ割りをやる以外の選択肢はなかったのだろう。

 バッターボックスを降りた先、日中はおそらく白球が幾つも転がっているところにブルーシートが広々敷かれていた。

 そこへトロフィーでも置くようにスイカをセット。

「これでよし!」

 気合十分。

 割るシミュレーションでもしているのか、剣道を思わせる素振りでバッドを振り下ろす。

「どっちからやる?」

「そうですねぇ……スイカ割りって交代制なんですか?」

「どうなんだろうね。細かいルールとかわからないけど……一回バッド振ったら交代って事で」

「なるほど。それじゃあ……先にどうぞ」

「いいの!」

「一回目で割っちゃったら悪いですから」

「ほう。自信あり? いいよぉ~。わたしも一回で割っちゃうから」

 冬用セーラーのポケットから取り出した目隠しを僕へ差し出すや、くるりと背中を向ける。

「じゃあ結んで」

「了解です」

「あっ、わたしが見えないからってえっちなことはダメだからね」

「し、しませんって!」

 とは言え──彼女に目隠しをするって結構アダルティなことをしているんじゃないか? 

 先輩も先輩で警戒心無し、僕へ全てを委ねるその姿がもうえっちなんじゃないか?

 そう思った途端、ただ頭の後ろで結ぶだけの簡単作業なのに手が震えて難易度が跳ね上がる。

「まだー?」

「あ、あとちょっとですから」

「長さ足りない?」

「あぁ、大丈夫です」

「そう? あっ、もしかして髪の毛クンクンしてたり?」

「してませんって!」

「それウィッグだからいい匂いしないと思うよ?」

「だからしてませんって!」

「必死じゃん」

 クスクス楽しげに笑う中、嫌な汗を額へ感じながらどうにか結び終える。

 これだけで大仕事を終えたような疲労感だ。

「ど、どうですか?」

「うん、全然見えない! じゃあキミがわたしを誘導してね」

「転ばないでくださいよ」

「これでも運動神経はそこそこだから! ゆっくり行くし問題なし!」

「ならいいですけど」

 そうして先輩を正面に、スイカから少し離れた位置で移動。

 星空を閉じ込めたような藍色の長い髪を夏風へ棚引かせ、黒い冬用セーラーに金属バッド。そして目隠し──属性盛り込みすぎじゃないか?

 こんなキャラがソシャゲに居そうでもおかしくない現実味のなさに笑ってしまう。

「先輩、そのまま真っ直ぐです」

「はいはーい」

 ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり。

 慎重な一歩を繰り返しながら僕の方へ近づいていくのだが──人間、普段どれだけ視覚に頼っているのかよくわかる。きっと先輩は真っすぐ歩いているつもりなのだろうが徐々に僕から見て右へ進路が寄り始めた。

「先輩、曲がってますよ! えっと……ちょい右に軌道修正です」

「えっ、そうなの!? 右……右」

「あぁー、行き過ぎです! 左、左です!」

「今度は左!? 結構難しいんだけ……」

 そこからは右へ左へぐにゃぐにゃな足取りを続ける。

 しかしそれでも辛うじてスイカへ到達する頃には進路は戻っており──あとはバッドを当てるだけ。念のため一歩、二歩と下がる。

「ど、どう? この辺?」

「いい感じです、そのまま振り下ろしてください」

「オッケー! それじゃあ……!」

 上段へ構えたバッドを勢いよく振り下ろした瞬間、

「んんっっっっ!!」

 鈍い金属音を当たりへ響かせ、強く握っていたバッドを転がした。

 結果はあと数ミリと言う空振り、地面を強く叩いた衝撃がもろに腕へ来たのだろう。その場へしゃがみこみ、その痛みに悶えている。

「だ、大丈夫ですか?」

「へ、平気……た、多分?」

 あはは。

 目隠しを解き、照れくさそうにはにかんだ。

「あとちょっとだったんだなぁ」

「そうですよ」

「簡単そうに見えて結構難しいんだね。じゃあ次はキミの番」

 改めてスタート地点へ戻って先輩へ目隠しをしてもらう。僕とは打って変わって随分とすんなり結ばれたのが心境としては複雑だ。

 視界は見事なまでの白一色、これでは真っ直ぐ歩くのは無理だろう。

 それでも先輩はギリギリまで行ったのはかなりすごいんじゃないか?」

「こっちだよ~」

 正面から先輩の声が聞こえる。

 それはスイカへ向けての道しるべであり──先輩へ近づく道しるべ。

 一歩、また一歩と慎重に歩みを進める。

 だが案の定、

「右! 右だよ!」

 やはり真っ直ぐ歩くのは至難の業。

 何とか軌道修正しようと右を意識して進めば今度は、

「左! あっ、行き過ぎ! 右!」

 先輩の指示に歩みを修正し続ける。

 今にもなにかへつまずくんじゃないか、足をもつれさせるんじゃないかと言う恐怖心が強くなっていく。バッドを握る両手は汗に濡れ、一歩が狭くなっていく。

 だが同時に楽しくなってきた。

 元々スイカ割りに抵抗はないが──果たして僕は何が嫌だったのか。

 先輩の声へ導かれるに連れて膨らんでいく楽しさの正体は何なのか。

 そして一瞬躊躇いを見せたあの感情は何なのか。

 いつしか思考はスイカ割りではなく、僕自身へ向いていた──だからなのだろう。

「今だよ!」

 その声に我に返る。

 慌ててバッドを上段へ構えた途端、手汗で背中の方へ滑っていく音を聞く。

 しかしそんなことはどうでもいい──。

「なにしてるんですか?」

「ん、なんだと思う?」

「見えないのでわかりません」

 やけに近く感じる先輩の声、僕を抱き締める腕の感触と体温。

 目隠しを解かなくてもわかる。

 今この瞬間、目の前に先輩が居る。

「僕がバッドを滑り落とさなかったら危なかったですよ」

「んー、まぁキミなら寸前で止めるかなって。なにか考えごとしてたみたいだし」

「バレてましたか」

「キミの事なら何でも」

 先輩の手で目隠しが解かれ、久方ぶりに視界へ景色が広がる。少し目線を下ろせば上目遣いで僕を見つめる視線と重なる。

「なに考えてたの?」

「……なんでスイカ割りが嫌だったんだろうって。本当はそんなに嫌ではなかったんですけど……どうしてあの時嫌がったのかわからなくて」

「あぁー。なるほど」

 そんな事か。

 その程度のリアクション。

「そんな気分もあるよ」

「そうですかね」

「うん、でもきっとキミの中でちゃんと答えもあると思うよ」

「それが知りたいんですけど……見つかりませんね」

 恥ずかしさに苦笑すると、僕を抱き締めたまま先輩がくすりと笑う。

「一緒に探してみる?」

「お願いしていいですか?」

「スイカ食べながらね」

 僕から離れた先輩がバッドを拾い、一緒に握らされる。 

 そうして振り下ろすとスイカは呆気なく割れた。

 真っ赤な果実がブルーシートのあちこちへ飛び散り、もう見慣れた形でそこには存在していない。

 この感情の正体、それが今この光景に閉じ込められている気がして僕はしばらく見つめているのだった。

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