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第84話『8月21日 何かあったら。何もなかったら』

 あれだけあった夏休みも残すところ十日となった。

 そもそもカレンダーが良くない、九月一日が月曜日とはどういうことか。夏休みの余韻を楽しむためにも、土曜日であってほしかった。

 とは言え僕はただの引きこもり。

 仮に二学期が始まったとして、学校へ行くかどうか別問題だ。

 今大事なのは学校に行くかどうかじゃない──この十日間をどう過ごしていくか、なのだから。

 昨日、あれからお兄さんに連れられた先輩が今どうしているのか。連絡を入れてみたけど返信がない以上まだ入院中なのかもしれない。

 しかし昨日みたいなことがもしあったなら……。

「今度はちゃんと帰さないとな……」

 別れ際、次はないと釘を刺されたばかりなのだから。

 できるかどうか自信はないけど……。

 そんなことを考えながらバッティングセンターの駐輪場へ自転車を止める。鍵をロックして自動ドアへ向かおうとした途端、見覚えのある一台の白いセダンが入ってくる。

「お兄さんの車だよな……」

 急にライトに照らされ、手で目元を隠しながらその方を見つめていると、

「や、やっほー……」

 後部座席から下りてきた姿を認めて、間違いない事を確信する──しかしこちらへ手を振る先輩の姿は見事にテンションと言葉が合致していない。

 やや猫背気味にゆっくりこちらへ歩みを進めるのは、体調が優れていないからか。はたまた、こっぴどく叱られたからか。

「元気ないですね……」

「おにぃと先生にめっちゃ怒られた……」

 後者だったらしい。

「当たり前だ」

 やれやれ。

 盛大な溜息を落としながら運転席からお兄さんが下りてくる。昨日の今日で色々あったのだろう、もしかしたら先輩よりも疲れた顔をしているかもしれない。

「親父とお袋に怒られなかっただけマシだろ」

「そんなに怒られたら凹み過ぎて無くなっちゃうよ」

「それくらいになった方がお前は丁度いいだろ。次はねぇからな」

「そう何回も抜け出せる病院は心配だよ。ねぇ」

「えっ、ここで僕に振ります!?」

「お前もだからな」

「は、はい……」

 お兄さんへ凄まれ、一歩後退してしまう。

 妹の命の危機、威圧感はこれでもかと言うほど。当たり前だ。

「今度はなにかあったらすぐに連絡するので」

「あぁ。次は裏切るなよ」

「わ、わかってます」

「じゃあ俺はここにいるからさっさと行け」

 数日前にも同じやり取りをしたが、今回は責任が違う。

 重くのしかかるそれを感じながら、先輩の手を取り自動ドアをくぐるのだった。


「それで……どんな風に怒られたんですか?」

 ベンチへ座って間もなく、落ち込む先輩が盛大に溜息を落とした。

「先生からは状況わかってます? って問い詰められたかなぁ。看護師さんからは無言の圧力……」

「お、おぉ……。流石の先輩も凹みますか」

「流石って。わたしも普通に凹むよ。おにぃからはげんこつ寸前まで怒られたし」

「あぁ……まぁ」

 それは容易に想像できてしまう。

 相変わらず青白い顔だがリラックスしているのか、その顔は昨日より随分穏やかなものだ。どんな治療をしているのかわからないが、ちゃんと病院に居れば病状を落ち着かせる──苦痛を和らげることはできるのだろう。

「でもやっぱり病院は寂しいよ。あそこよりここにいる方が身体によさそう」

「それはどうですかね」

「気は休まるからさ。幸せだよ、この時間が」

 ふふ。

 小さく笑いながら僕の肩へ寄り掛かる。

「でも疲れたから休憩。喉乾いた」

「先に言ってくださいよ」

「確かに。もう謝らないって言っちゃったし……一生のお願いしていい?」

「ここで使うんですか!?」

「だって寿命近いし?」

「フランクにそれ使うの無しにしません?」

 状況状況、不謹慎ではあるけど笑ってしまう。

「文字通り一生のお願いだからね」

「ジュース買ってこいって事です?」

「ついでにもう一つお願いい?」

「一生のお願いについでってあるんですね。まぁいいですけど」

 この調子じゃお菓子か何か買ってきてだろう。

 どうせジュースを買いに行く道中、大した手間ではない。

「……何かあったら手伝ってほしいな。最近身体が思うように動かなくなる瞬間あるからさ」

「えっ、あ、あぁ……も、もちろんですよ」

 それがついでって……。

 この人のバランス感覚はどうなっているのか。

 急展開、ベクトルが全く違うお願いに悲しさや驚きが押し寄せる暇もないほどに理解が中々追いついてくれず、何とも言えぬ顔になってしまった。

 そしてその顔に先輩がくすりと笑うのだ。

「頼りにしてるよ」

「もちろんですよ。もう着替えからトイレまでなんでもお任せください」

「そこは一人で大丈夫」

「あっ、はい」

「じゃあジュースよろしく」

「うっす!」

 少し気だるげに身体を起こした先輩を置いて、自販機へ急ぐ。


 自販機で買ったのはお茶と炭酸飲料。

 どっちが飲みたいかは先輩に選んでもらうとして──通りを出て右手にベンチ群が広がる中でぽつんと腰を下ろす先輩を見つめる。

 深く背凭れへ寄り掛かり、俯き気味に座っている。

 最初に見たよりも小さくなった背中、雪のような白さではなく──弱々しく、病弱さが浮き彫りとなった青白い肌。

 その背中を見ていると自然と辛くなり、無理に笑おうと深呼吸を繰り返す。

「僕がちゃんとしないと……」

 残りの時間、後悔がない日々を送ってもらうためにも──。


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