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第86話『8月23日 ご挨拶』

『ママとパパがキミに会いたいって』


 そんなことを先輩に言われてほとんど眠れないまま翌日を迎えた。

 これまで友達の両親と会った経験は何度かあるが──彼女のご両親となると全く話が変わってくる。

 しかも先輩は病気に侵されており、寿命も残りわずかにも関わらず夜な夜な。時には病院を抜け出してまで会っている男。そんなやつを前に穏やかな話題になるのかと言われると怪しいものだ。

 それこそ父親から拳が飛んで来たって不思議じゃない。

「い、嫌だな……」

 考えただけで胃が痛くなり、冷汗が背中へ滲む。

 そんな心境だからか、今日はペダルを踏む足が相当に思いたい。バッティングセンターへ近づくに連れて、溜息が増えていく。しかし足を止めない限り前へ進んでしまうのは当たり前なことで、

「着いちゃったよ……」

 普段よりも倍の時間をかけてバッティングセンターを前にしてしまった。

 そして駐車場へは黒のファミリーカーが一台。ヘッドライトで道路側を照らすようにして止まっていた。

 見覚えのない車ではあるが、この時間にわざわざここに停めているんだ。ヘッドライトが逆光となって見えないが先輩とそのご両親が乗っているのだろう。

「ど、どうしよう……もう居るなんて」

 せめて一息してから会いたかったのだが仕方ない。

 僕が駐輪場へ自転車を止めると、運転席と助手席の扉が開く──下りてきたのは、お兄さんを彷彿とさせるスキンヘッドの大柄な男と逆に小柄な女性。

 男の方は目元に皺が寄っていたり、その目が優しさを讃えていたりとお兄さんのような威圧感はない。しかし来るまでもライダースにデニムを合わせているあたり親子だと一目瞭然だ。

 その一方で女性の方は黒のショートカットに半袖のブラウスにチノパンとカジュアルな服装の眼鏡の女性。先輩とは正反対な、ミステリアスな雰囲気を一切感じさせない。

 しかし──。

「もしかして」

 僕へ呼びかける鈴のような声を聞くと、やはり親子なのだと実感する。

「あ、えっと……こ、こんばんは。せ、先輩と付き合ってるものです」

 果たして自己紹介がそれで正解なのかは疑問だ。

 しかし僕は先輩の名前も知らないし、逆に名乗ったこともない──だからどうご両親へ自己紹介するのが正解なのかわからないのだが、

「そ、そう……本当に彼氏いたのね」

 特に僕の名前はどうでもいいらしい。

 驚いたように両眼を見開いたかと思えば、お父さんとアイコンタクトで何かやり取りしている。普段からそうなのか、お父さんは小さく頷くばかり。

「娘からよく話は聞いてます」

「は、はぁ……あ、あの。すみません」

 そして気付くと頭を下げていた。

 もうどうしたらいいのか──居心地の悪さもあるが、やはり病気の真っただ中にある先輩を連れ回してしまっているからこそ謝るべきだろう。

 実際引っ掛かっている部分でもあったのだから。

 しかしご両親は首を傾げるばかり。

「連れ回してるのはあの娘じゃないかな……」

「娘はこうと決めたら頑固だからな。キミにもずいぶん迷惑をかけたのではないか?」

「い、いやぁ……ど、どうですかね。お互い様と言うか……」

 き、気まずい……。

 せ、先輩は降りてこないのだろうか……。

 後部座席の方をチラリと伺ってみるが、スモークでもかけているのか中の様子は全く見えない。

「娘は話が終わるまで待ってもらうことになってるので……」

「そ、そうですか……」

「立ち話もあれだから。お店に入らない?」

「わ、わかりました」

「普段どんなところでお話してるのかも気になるし」

 ふふ。

 そう笑うお母さんの顔は確かに僕が良く見ている先輩のようで、やはり親子なのだと噛みしめるのだった。



「ここでいつもあの娘とお話してるのね」

「え、えぇ……」

 これは本当にどういう状況なのか。

 いつも座っているベンチへ先輩を抜きに、ご両親と一緒にいるのは百歩──いや、三億歩くらい譲ってわかるとして。

 どうして──。

 どうしてお父さんとお母さんに挟まれてるんだ。

 これでは逃げ場がないというか……。

 違和感を感じないのだろうか?

 お母さんは凛とした顔に笑顔を結び、お父さんは無表情。

 気まずい、本当に気まずい。

 背中に嫌な汗を滲ませながら、どうにかこうにか相槌を打つ。

「他にはどこか行った?」

「え、えっと……コンビニとか」

「こ、コンビニ?」

「アイス食べに……夜なので行く場所ありませんし。僕はその……ひ、引きこもりで。学校にほとんど行ってないので耐性がないといいますか……」

 先輩には説明はしたが──大人に説明するのは胸が痛い。

 ここで一発拳が飛んできて、

『娘との交際は認められない!』

 何て言われても文句は言えないだろう。

 しかし二人の顔を交互に見やっても表情に変化はない。

「キミは知っているかどうかわからないけど……あなたと出会ってからふさぎ込んでたあの娘が元気になって毎日外に出掛けるようになったの。それが嬉しくて……きっと色んな場所をころころ行くのはあの娘に向いてないと思うの」 

 体調的にもね……。

 言葉の節々にそんな思いが感じられたのは気のせいだろうか。

「よくあなたの話を聞くわ、きっと支えになってるからなのね。あなたもあの娘も」

「そうですね……僕も先輩と付き合うようになって……こ、ここで会うようになって毎日外に出るようになりましたから。だから……」

 だから怖い。

 いずれやってくる終わりの日が。

「同じよ、だから最後まで……最後の一瞬まであの娘の理解者でありたいの」

「理解者ですか……」

「笑っててほしい、それが一番かな。でもあの娘の親として最後まで向き合って、普通で遺体の」

「昨日喧嘩したって言ってましたけど……それもですか」

「えぇ。普通の親子は喧嘩くらいするでしょ? 病気だから気を遣うなんて嫌なの」

 悲しみに満ちないように、極めて明るく振る舞っている。

 お父さんも小さく頷くが──それでも悲しみの色が各々の顔に滲んでいる。みんな同じだ。いや、僕以上に悲しみの底にいるのだ。

 それでもこうして話してくれている。

 僕を怒ることもなければ釘を刺すこともない。それがどれだけ勇気のいる事なのか、僕には想像することができない。

「あの娘の前で泣かないようにもしてるのよ」

「……僕もそうできればいいんですけど。たまに何もできない自分が嫌になって泣きたくなります」

「それだけあなたがあの娘と向き合ってくれてるからよ」

 そう苦笑するご両親にどうして僕が励まされているのか。

「今日会いに来たのは……直接お礼が言いたかったからなの」

「お礼……?」

「あの娘と向き合ってくれてありがとうって」

「そ、そんな……大したことは何もできてませんよ」

「それでいいのよ。普通にしてくれるのが嬉しいんだから。だからあなたは最後まで普通でいてあげて」

 難しい注文だ。

 しかし──それがきっと僕が先輩にできる唯一の事。

 先輩にも店長にも言われたこと。

 僕だけはどんなことがあっても普通に傍にいる。

 それを再確認させられる。

「わ、わかりました」

「それだけ。それだけ言いたかったの。お父さんはなにかある?」

「ない。今日だけでキミがどういう人間かわかったから」

 だから──。

 お父さんの大きな手が僕の肩を叩く。

「娘をよろしく頼む」

 それだけ言い残してのっそり腰を上げた。

「話は終わりだから行きましょうか。娘も待ってるし」

「は、はい……」

 拍子抜けだ。

 ここまで悪い事が起きずに終わると思っていなかった。

 しかし打ち込まれた釘は何よりも太い──普通でいる。それがここまで重いと自覚させられるなんて。

 残された時間は決して長くない。

 それでも僕は、最後の最後まで普通でいないといけないのだから。

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