「――疲れた」
デート兼近況報告兼方針決めが終わり、無事に宿へ到着。
僕は、上着や靴を脱ぎ棄ててベッドの上で大の字になって倒れていた。
ふと、久しぶりに見る木造の天井を眺める。
あっちの世界では飽きるほど見てきた光景ではあるけど、環境に慣れてきたらこれといって意識しなくなっていたっけ。
異世界転移させられて右も左もわからなかった僕は、数日もの間、たった1人で野宿をしていた。
あのときは、偶然にも動画で観ていた知識を活かして毎日を食い繋いでいたなぁ……枝葉を集めて簡易住居を造ったり、近場にあった水場で水分補給したり。
今となってはいい思い出だけど、永遠に続く空腹を耐えながら、ただ必死に生きていた。
まあ結果的に、通りかかった40代夫婦に発見されて一命を取り留めたんだけど。
「みんな、元気だろうか」
正直なところ、名残惜しい。
僕はその夫婦の養子みたいな感じになって、恩を返すためダンジョン攻略に明け暮れ、お金を稼いだりしていた。
最終的には多額の恩返しができたし、新居をプレゼントできたり、名声を得たことで貢献もできたから、そういった意味での悔いは残っていない。
でも、もう一つの故郷と家族との別れは本当に寂しいと思う。
可能ならもう一度会いたいし、こっちの世界で一緒に暮らしたいとさえ思っている。
両方の親に迷惑をかけて寂しい思いをさせた、いう面では、僕は間違いなく親不孝者だ。
「……」
こっちの世界に還って来て、まず最初に交渉するべきだったことはなんだったのか、それ自体はわかっていた。
別に家族のことを気にしていないわけじゃない。
正直に言ったら、怖いんだ。
その要素はいくらでも思いついた。
この世界は僕が本来生活していた場所とは違う、感覚では3年だけど思っていた以上に時間経過している、存在がなかったことにされている、忘れ去られている……。
そんなもしかしたら、が起きてしまっていたら、僕は何を目的としてあの世界で生き残って必死に戦ってきたのかわからなくなってしまう。
「はぁ……」
だからこそ、なのかもしれない。
僕にはできないことをやろうとしている、
必死に生きて帰ろうとしている姿と待っている家族を想像して、過去の自分を観ているような感じがしたからこそ。
いつまでも、こうにて忙しさを理由に逃げ続けて良いはずがない。
それらもしかしたらの中には、今でも生きていることを願って待ち続けてくれている可能性だってあるんだから。
でも今は、別のことに集中しないと――。
「――はい、どうぞ」
扉を3回ノックする音に、体を起こして返事をする。
「お待たせ」
声の主は、莉奈。
部屋に戻ってくるとき、偶然にも廊下で鉢合わせて来てもらうように言っていた。
お母さんとの面会の後で、どんな心境になっているかはわからないけど、作戦実行するための意思確認を行わなければならない。
もしかしたら、せっかくいい気分になっていたところを害することになってしまう可能性があっても、できるだけ早く確認だけはしておきたいから。
「疲れているところ、呼び出しちゃってごめんね」
「ううん。私の用事を優先してくれて、本当にありがとう」
「いいんだ。莉奈にとって当然の権利だよ。そのために頑張ったんだから、気にする必要はない」
と、良い様に言っているけど、じゃあ僕は裏で何をやっていたんだって話になるんだけど……。
「それで、さっそくなんだけど本題に入るね――その前に、座っていいよ」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えさせてもらって」
莉奈が宿に備え付けの椅子に座ったのを確認して、例の話題を切り出す。
「彼らに対しての対応――を、早めに意思決定しておきたくて」
「……どうするの?」
「とある知人にいろいろ相談してみたんだ。結果、僕は手を出さないことを決めた」
「そう、なんだね。でもそうだよ。
「まあね」
自意識過剰でも力を過信しているわけでもなく、本当にその通りだ。
不意の攻撃だったら、間違いなく1撃で終わるし、正面から見合って立ち会ったとしても結果が変わることはない。
さすがに地上でやるのはマズいとしても、やられたことをそのままにダンジョンで襲ってしまったら倫理観を問われてしまうけど。
「それで、だ。この一件は、莉奈に頑張ってもらおうと思う」
「え、私?」
「うん。莉奈があの2人にとびっきりの仕返しをしてもらおうと思うんだ」
「え、え、え? 私が? 無理無理。自慢じゃないけど、頭は回らないから良い作戦を思い浮かべられないし、力比べだって勝てないよ。その他に何ができるかも思い浮かばないし」
「いいや、それでも大丈夫」
誰だってそうだ。
僕が莉奈の立場だったとしても、接触してきた組織の手を借りなかったら実行に移すことはできていない。
そして仕返しをしてやりたい気持ちはあっても、あの2人の戦いや連携を目の前で見ているからこそ引け腰にもなる。
だからこそ。
「だからこそ、莉奈の気持ち次第で知り合いの力を借りるし、僕が全ての責任を負う」
「え……?」
「ある程度の作戦は既に決まっている。でも、それを実行するためには莉奈の意思決定が必要なんだ」
「……」
「そして、その作戦が行き着く先は相手側の信用喪失と失墜。つまり、身体と精神の両方を痛めつけることになる。酷な話ではあるけど、僕たちはそれぐらいの仕打ちを受けたわけだし、擁護する必要はない」
莉奈は僕の話を聞いて、目線を下げて迷っている。
これは簡単に決断できるものではない。
大袈裟な話じゃなく、相手の人生を左右する決断を迫っているのだから。
「私、どうしたらいいのかな。やられたことは許せないし、太陽が居なかったら間違いなくあのまま死んでたと思う」
今の僕だからこそ、即断即決できるけど莉奈はそうじゃない。
年相応な悩みもあるし、同じことをやり返すということへの罪悪感もあるはず。
そして思いのままやってしまった場合、果たしてそれは胸を張れることなのか、家族に面と向かって話せることなのか――という悩みは消えないだろう。
「本当に、判断は莉奈に任せる。やりたくないのならやらなくていい。そして、事後処理は知り合いに頼むこともできる」
「……ここまでスムーズに話が進んでいるってことは、今日の内にいろいろと動いてくれたってことだよね」
「そ、そうだね」
おっと……さすがに動揺してしまった。
そんな真剣な眼差しを向けてくれているにもかかわらず、全てがデートの延長線上だって事実は決して言えない空気になってしまったな……。
いや、別にやましいことがあったわけでも考えていたわけでもないから、話をしちゃダメってことはないんだけどね?
「本当だったら、どっちだとしてもすぐに答えた方がいいんだろうけど……ごめん。明日の朝までには答えを出すから、ちょっとだけ時間を貰ってもいいかな」
「うん、大丈夫だよ。今日は疲れただろうし、ゆっくりと休んで」
「ありがとう」
「じゃあ、この話は一旦ここまでってことで。お母さんとはゆっくり話せた?」
「おかげさまで、ちゃんと話せたよ。でも、最初の数分間ぐらいは泣いちゃってたんだけど」
「心配されちゃった?」
「ううん。お母さんは何も聞かないで、ただ優しく頭を撫でてくれたよ」
その母に育てられ、この娘在り――というところか。
警戒心がないというか人懐っこいような性格は、きっと大切に育てられて優しい人間の証拠なんだろう。
誰かに偉そうなことは言えないけど、僕はあの夫婦と一緒に暮らし始めて、そう思うようになった。
そして本当の親に対しても、それまで気づくことができなかった優しさを感じ、日頃の感謝を抱くようになったんだ。
莉奈は、一緒に暮らすことができなくなったことからそれに気づいているだろう。
だからこそ、そんな親の意志に背くようなことをしていいものか迷っているはず。
「時間が必要だったら、また明日の朝にでも教えて。『決めることができない』っていう答えでも、大丈夫だから」
「気を遣ってくれてありがとう。どんな答えだとしても、明日の朝には伝えるね」
「よし、そうと決まったら」
僕は立ち上がり、背伸びをする。
「下に行って晩御飯を食べようか」
「うん、そうだね」
どう頑張っても、デートの最後に食べたスパゲティのせいでお腹は減っていないけど、こうでもしないと莉奈の気分が暗いままになってしまう。
頑張れ僕。
お腹が空いていないどころか張っているけど、明るい雰囲気を維持しつつバレないように食べるんだ。
頑張れ僕。