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第14話 星の彼方で

純白のドレスを身にまとい、セレフィーナはネイトの前に立っていた。

月光の下、彼の瞳がそっと細められる。


「目を閉じて」


ネイトのその言葉に、彼女は小さく頷く。

風が、優しく草花を撫でる音――

静かなその空気の中で、確かに“なにか”が変わった。


次の瞬間、眩い銀の光。


まぶたを開くと、そこに立っていたのは――

あの時、泉で出会った“銀の白馬”。

大きくしなやかな翼をたたえた、幻想のようなペガサスだった。


「……ネイト?」


その名を呼ぶと、ペガサスは微かに首をかしげ、やさしく額を彼女にすり寄せる。

ぬくもりが、確かにそこにあった。


「……乗って、いいの?」


問いかける声は、小さな希望と震えを含んでいた。

ペガサスの背に手をかけると、やわらかな風が彼女を導くように、その背へと運ぶ。


――そして、翼が広がった。


ひとたび羽ばたけば、森の木々は下へと遠ざかり、夜空がふたりを迎え入れる。


「わあっ……!」


セレフィーナの目が、輝きに満ちた。


雲の海をすべるように飛び越え、夜空を裂いていく銀の翼。

風は甘く、星は近く、空気は花のような匂いをしていた。


セレフィーナの髪が風になびき、大きな瞳が輝く。


「ネイト……まるで、夢みたい」


思わずこぼれたその声に、ペガサスは静かに羽ばたき、答えるように旋回した。

セレフィーナは、両手を広げて笑った。


「見て、星が流れた……! あの湖、空に浮かんでるの? あっ、あれは――なんて広大な海……!」


ペガサスの背から見える世界は、どれも彼女が知らなかった風景。

雲を切り裂き、手が届きそうな星々の瞬き。月の上の白い都市。月の裏側に咲く白銀の花。


セレフィーナの好奇心は、尽きることがなかった。


「ネイト、あれは何? あの光は……? あの道はどこへ繋がってるの……?」


「君にこの世界を見せてあげたかったんだ」


問いかけるたび、彼はゆるやかに翼を傾けて応えた。

セレフィーナの声が風に溶けるたび、世界はまたひとつ、美しさを彼女に明かしていく。


どこまでも広がる空。

そこを、ふたりだけの旅路が続いていた。


やがて――


天の川を横切るように、ペガサスはひとつの流星を追いかける。

セレフィーナが手を伸ばすと、指先に星屑が触れた。


「……ありがとう、ネイト」


囁くように告げたその言葉に、ペガサスは小さく鳴いた。


セレフィーナはその白いたてがみに顔を寄せる。


―― でも、胸の中で、もう1人の私が問いかけた


「あっちも、見てみたいの」


彼女はそっと、誘うようにペガサスのたてがみを握った。


そこは、果てしない砂の海――

どこまでも続く砂漠だった。


太陽は容赦なく照りつけ、地はひび割れ、風は熱を帯びて吹きつける。

その中を、人々が歩いていた。裸足の子ども。水瓶を抱えた女。

彼らの顔には、笑顔も涙もなかった。ただ、生きるという一点だけに縋る眼差し。


「……暑い……でも、あの子、靴も履いていない……」


セレフィーナの瞳が揺れた。


ペガサスは何も言わず、ゆっくりと空を舞った。

砂の中に隠された小さなオアシス。

壊れた井戸。干からびた井戸に咲く一輪の花。


セレフィーナに誘導されるように、ペガサスはひとたび羽を震わせ、風の流れに身を任せた。


やがて、空が赤く染まる。


翼は次なる地へと降りた――

そこは、銃声と爆音が響く戦火の町。


焼け落ちた建物。泣き叫ぶ人々。

旗を掲げる兵士たちと、幼い兵士たち。

燃える空を見上げ、セレフィーナは絶句した。


「……ネイト。これ、夢……じゃないよね?」


「ええ、全て人間たちの行動です。もう帰りましょう」


「見たいの、怖くても。知ってしまったら、もう戻れない気がしても……それでも、知らないままの私ではいたくないの」


ペガサスの翼が静かに揺れる。


「なんで……戦ってるの?誰が、これを望んだの?」


彼女の声は、風に溶けて消えそうだった。

だが、彼女の瞳は、それでも閉じなかった。


怖かった。哀しかった。

けれど、それ以上に、見なければならないと――胸の奥で何かが叫んでいた。


セレフィーナはペガサスの背にしがみついた。

そして、気づく。


これが、私が元いた世界。


「セレフィーナ、もう行きましょう」


ペガサスの言葉には答えず、セレフィーナの赤い瞳には凄惨な光景がしっかりと映っていた。


「闇の中でこそ、光は美しく輝けるんだよ。君は知らなくていい。もういいんだ」


ーー人間は醜い。君だけは、そのまま、無垢でいて。


「これが…人間の世界…」


セレフィーナがそう呟く前に、ペガサスは天高く彼女を連れて行った。


高く、高く、空の果てへ。


世界が小さくなる。

争いも、涙も、悲鳴も――すべて、遠ざかっていく。


セレフィーナは背にしがみついたまま、胸の奥に芽生えた痛みを抱えていた。

けれど、それは恐れではなかった。


ペガサスが見せた世界と、自分自身が選んで見た世界、それは両極端でありながら、何もなかったセレフィーナの心を動かしたのだ。


「戻りましょう。貴女の楽園へー。」


セレフィーナは応えなかった。けれどその目は、まだ地上を見つめていた――焼け落ちた町の、ひとつの灯を。


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