セレフィーナはペガサスから降りると、少し躊躇いながらも足を踏み出した。楽園の柔らかな風が頬を撫でると、何故だか涙が溢れそうになる。
あの見知らぬ世界、戦火に染まった町――あれを見てきたことで、彼女の心には重い何かが残っていた。でも、ここは違う。ここは、いつもの穏やかな楽園。
人間の姿に戻ったネイトがゆっくりと歩み寄る。セレフィーナは、その優しさを感じ取って胸の中で深く息を吸った。どうしても、彼の顔を見ると胸が痛くなる。
「セレフィーナ、戻ってきたね。」
その言葉に、セレフィーナは少しだけ顔を上げた。言葉にすると、また何かが溢れてしまいそうで、うまく言葉にできなかった。
「うん、戻ってきた……」
セレフィーナの声は、いつもより少しだけ小さかった。それでも、ネイトは優しく微笑みかける。彼の微笑みが、少しだけ痛かった。優しさに包まれるのが、少しだけ怖かった。
そのまま、セレフィーナは足元を見つめながら、思わず自分の指を絡めてしまった。何か言いたかったけれど、言えなかった。そんな自分がもどかしくて、胸が苦しい。
「……ネイト。」
思わずその名前を口にしたとき、ネイトが立ち止まり、静かに彼女を見つめた。その目に、何かを探るような、少し不安げな光が宿っていることに、セレフィーナは気づく。
でも、それでもいいと思った。気づかれたくない気持ちを、彼が無理に引き出そうとしないから。
セレフィーナはそのまま、ゆっくりと彼に近づいた。足音が、二人の間で静かに響く。
そして、何の前触れもなく、セレフィーナはふわりとネイトの胸に手を伸ばして、そのぬくもりを感じた。
少し驚いたように、ネイトが息を呑む。
その瞬間、セレフィーナはゆっくりと目を閉じて、ネイトの胸元に顔をうずめた。
ネイトは息を呑み、ほんの少しだけ目を見開いた。その頬が、ふわりと朱に染まっていく。
「……怖かった。でも、美しかった。あの空も、風も、人の光も…全部。」
彼女の声は、ほとんど聞こえないくらい小さく、震えていた。
セレフィーナは顔を少しだけ上げて、無意識に目を合わせる。
「大丈夫です。セレフィーナ。貴女の居場所はここにあります。貴女が生み出した美しく優しい楽園…」
「……私が…生み出した?」
「はい。この世界は貴女の心に共鳴して産まれました。花も、小鳥も、妖精たちも、真っ白な世界を染めたのは貴女です。」
ネイトはそっと彼女を抱きしめる。その腕の中にいると、セレフィーナの胸は少しだけ楽になる。
「不思議ね…分からないことだらけなのに…あなたの言葉を聞くと安心するの」
「それは良かったです。セレフィーナ」
セレフィーナの柔らかさと胸の鼓動が、ネイトに伝わる。それ以上にネイトの鼓動の方が大きい。
そのとき、ネイトの手がそっと、セレフィーナの髪を撫でる。
ーサラッ…
その瞬間、セレフィーナは思わずその手を握り返すように、軽のシャツを掴んだ。心が、言葉を超えて、少しだけ彼に触れようとしていた。
「……ありがとう。」
それは、言わずにはいられなかった言葉。でも、セレフィーナはそれを言うと、顔を真っ赤にして目をそらした。恥ずかしさと照れが、胸の奥から溢れてきた。
「……どうしましたか?」
ネイトが少し驚いたように言うと、セレフィーナは顔をうつむかせながら、口元を小さく震わせて言った。
「……なんでもない。」
その言葉が、また少しだけセレフィーナの心を軽くしてくれた気がした。けれど、どこかまだ彼に伝えられなかった気持ちが残っていることに気づく。
彼女はただ、心の中で小さく思った。
“私のこの気持ちは、なんていうのかな。”
それは、まだ言葉にはできない、けれど確かにそこにある思いだった。
胸にしまったその思いが、いつか名前を持つ日が来ると、彼女はまだ知らなかった。