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第20話 羽ばたきの誓い

遥か彼方の空の上、ネイトの城が立つ《空の国》は晴れ渡っていた。

けれど、王城に差し込む陽の光は、どこか不穏な翳かげりを帯びていた。


謁見の間にはざわめきが満ちていた。


各国から届く文書。東の山脈で発見された歪んだ魔の痕跡。

封じられたはずの“闇”が、また目覚めようとしている――それは確かな予兆だった。


「ネイト様…これは…」


「分かっています。早急に対処せねばなりません」


玉座の前、白銀の鎧に身を包んだ青年は、静かにそれらの報せを聞いていた。

ネイト。天空にそびえる神聖の王国が誇る王子にして、最強のペガサスの騎士。

けれどその瞳は、文書よりももっと遠く――風の向こう側を見つめていた。


ーーまだ、彼女には知らせたくない


それがネイトの、最初で最後のわがままだった。

誰よりも優しく、誰よりも誠実なこの青年は、

ただひとりの少女にだけ、嘘をつこうとしていた。



その日、彼は妖精の森を訪れた。

陽だまりの中、花に囲まれて座るセレフィーナの姿を見つけると、

胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じた。


「セレフィーナ」


ーようやく大切なものを、見つけたばかりなのに。

僕は、それだけで幸せだったのに。

それ以上を、願ってしまった、僕への罰なのか…


呼びかけに振り向いた少女は、微笑んだ。

その笑顔に触れるたび、ネイトは世界のすべてが許された気がする。


「少しの間だけ、旅に出るよ」


告げた言葉は、なるべく優しく、けれど揺るぎない響きを持たせた。

セレフィーナの長い髪に手を伸ばし、優しい光を帯びた指先で額に触れる。


「……帰ってくる?」


彼女の声は、揺れていた。

小さな不安を隠しきれずに、けれど信じようとしている声音。


ネイトは一瞬、目を伏せる。


「……戻ることを、誓っている。だから、待っていてください」


ネイトの胸がギュッと締め付けられる。


その言葉の奥には、“もしもの時”を封じた祈りが潜んでいた。

彼女が真実を知れば、きっと追ってきてしまう。

だから、言えなかった。言わなかった。


散りゆく桜の花弁が、ひらり、と彼らの沈黙を埋める。


「……あなたの目が、寂しそうで」


その一言に、ネイトの呼吸が浅くなる。

けれど彼は、それを笑みに変えた。


「勿論、君に会えないのは寂しいよ…。これは僕の一部だ。持っていて。」


そっと、自身の背中の、白い羽をセレフィーナに渡す。


「…とても綺麗な羽」


「自らの羽を捧げる事は、ペガサス族に伝わる契約と永遠の忠誠の印です」



ーー僕は、君を守るために存在する。

君が居ない世界なんて…僕には無価値なんだ。

本当は、このままここで

永遠に、君と一緒に……



その日の午後、ネイトは神聖騎士団と共に王都を発った。

ネイトは先陣をきり、風を切るように羽ばたく。

羽馬に乗った神聖騎士団を引き連れてー


彼は振り返らなかった。

振り返れば、もう戻れない気がしたから。



彼が去ったその夜、妖精の森に――初めての雨が降った。


しとしとと葉を濡らす静かな雨。

祝福でも、悲しみでもない。

それはセレフィーナの胸の奥に生まれた“空白”が、空に呼びかけたものだったのかもしれない。


「…さみしい…ってこういう事なのね…」


セレフィーナは静かに雨空を見上げた。

空飛ぶペガサスを探す様にー…



火山地帯。誰も寄りつかぬ黒曜の山々の端。

灰色の雲の下、鋭い目つきで遠くを見つめる男。


赤い鱗のような剣を背負い、黒く重いマントを纏う、逞しい彼の背中。

しなやかでありながら、鍛え上げられた筋肉が動くたび、空気が微かに焦げるような熱を帯びる。


雨に混じる、懐かしい気配。

焼け跡のような記憶の奥に、微かに差す光。


彼はかつて、誰かに救われた。

その時、確かに誓った言葉があった。



――「いつか、すべてを赦せる日が来たら。

  俺は、お前の前に立つ」



「……ああ。戻ってきたのか、おまえ」


呟いた声は、どこか苦しげで、だが、確かな熱を孕んでいた。

その想いが愛か、呪いか、それを彼自身もまだ知らない。



けれど彼の中で、あるひとつの名前が静かに脈を打ち始める。



――セレフィーナ。



焔ほのおの王子が、彼女の運命を掻き乱す。

そして、愛がすべてを灼く時が来る。


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