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第22話 太陽の記憶、花の目覚め

セレフィーナは震える声で問うた。


「あなたは……誰? どうして、私をここに……?」


その声の奥底には、長い夢の中で聞くことも許されなかった、魂の叫びがあった。


――“私は誰なの?”

誰も教えてくれなかった。ずっと、ひとりだった。


ルークは静かに、だが狂おしいほどの確信をその声に込めて名乗った。


「ルーク。……かつて、お前の国を灰に変えた男だ。」


一瞬、世界が凍りついた。


セレフィーナの胸がどくんと打ち、呼吸が止まる。


「……何を言ってるの? どういうこと……?」


ルークは、まっすぐに彼女を見つめたまま語る。


「俺は、かつて“闇の王”と戦った剣士だった。」


荒唐無稽なはずの言葉。けれど、彼の瞳には一片の嘘もなかった。


「世界を守るために剣をとった。だが、その力はあまりにも強大で……制御を失い、呪われた。」


彼の声が、わずかに揺れる。


「気がつけば、俺は守るはずだった国を焼き尽くしていた。神々の怒りを買い、討たれる存在になった。」


彼の手がかすかに震えている。

その掌には、深く刻まれた古傷――癒えることのない、贖罪の印。


「すべてが終わろうとした時――たった一人、俺のそばに立った少女がいた」


「それが、“お前”だ」


「………私が……?」


セレフィーナの声が震える。

胸の奥が、焼けるように痛んだ。


「お前は、俺を怖れなかった。炎の中で俺を抱きしめ、赦した。“生きて”と、言った」


「だが、お前はその言葉と引き換えに、罰を受けた。女神としての力を奪われ、人の世に堕とされた」


「そんな……私が……?」


セレフィーナの瞳が揺れる。


まるで、その胸の奥に眠っていた記憶が、静かに目を覚ますかのように――


ルークは一歩、彼女に近づき、言った。


「だから迎えに来た。忘れていてもいい。だが、もうお前を――失う気はない」


その瞬間。


記憶の扉が、音もなく開いた。


――妖精の国、泉のほとり。

太陽を見上げ、その金色の光に憧れていた。

「太陽のように輝く勇者様……」


あれは、人間に恋した一柱の女神の記憶。

あの光が、やがて自分を焼くと知らずに――


そして今、目の前には太陽のような男がいる。

金色の髪、燃えるような瞳――ルーク。


セレフィーナはその視線をそらせなかった。

胸の奥で、何かが目覚めていく。


「あなた……」


思わず伸ばした指先が、彼の腕に触れる。


その皮膚の下に感じる古傷――深く刻まれた戦いの痕跡。


「……たくさんの傷……」


「……戦いの記憶だ」


ルークの声が低く響く。

彼の視線が、遠い過去を映すように揺れた。


セレフィーナが手を引こうとした瞬間、ルークの手が彼女の手首を掴む。


「まだ、感じるか?」


「え……?」


「その反応……フン。まぁいい。ゆっくり思い出せ」


彼の指が、そっと彼女の肌に触れた。

その体温――熱く、荒々しく、それでいて優しかった。


セレフィーナの心が乱れる。

鼓動が、胸の奥で高鳴っていく。


「……どうして?」


問いは途切れた。

彼の顔が近づいてくる。

唇が、触れるほどに。


「どうして、私の手を……?」


その問いに、彼は静かに答える。


「俺がお前を、解き放ってやる」


その言葉が、胸に深く響いた。


彼の手が頬に触れる。


それは、猛獣の手が、蝶に触れるような優しさだった。


「お前は、ただの少女じゃない。夢も現実も、自分の意志で変えられる」


セレフィーナの心に、何かが解けていく。

彼の声は、彼女の奥深くにある記憶の扉をこじ開けていくようだった。


もはや、彼の手を振りほどくことなどできなかった。


そのとき――


彼女の手のひらに、白く細やかな羽が舞い降りる。


「……永遠の誓いの羽……」


ペガサスが遺した、ネイトとの約束。


セレフィーナはそれを見つめ、胸に抱きしめる。


「彼の帰りを、待つって……誓ったの」


だが、ルークの声が再び彼女を現実に引き戻す。


「永遠に囚われるな。……運命を決めるのは、お前自身だ」


その言葉に、彼女の心が大きく揺れる。


セレフィーナは目を伏せ、静かに言葉を紡いだ。


「……永遠を決めるのは、誰かじゃない。私自身だって、そう言いたいのね」


ルークの顔が、ふっと和らぐ。


「選べ。どんな選択をしようと、俺はお前の隣にいる」


その言葉が、深く、優しく、彼女の心を包んだ。


ペガサスの羽が象徴する「永遠」は、もはや鎖ではない。

それは、彼女が選ぶ物語の断片に過ぎないのだ。


「お前は、楽園の花に群がる蝶じゃない。空を羽ばたく鳥だ。自由に生きろ、セレフィーナ」


ルークの言葉には、誇りと祈りが込められていた。


セレフィーナは、静かに彼の目を見つめ返す。

運命の歯車は、彼女の選択によって今、音を立てて動き出す――


セレフィーナが胸の羽を抱えたまま、静かに目を伏せると――


ルークは、ふいに彼女から視線を外し、低く言った。


「…急にこんなことを聞かせて悪かったな」


その声は、少しだけ掠れていた。


「混乱させただろう。……いろいろ……詰め込みすぎた」


セレフィーナが顔を上げようとすると、彼は手を上げて制するように言った。


「……もう、寝ろ。今日は……休んだ方がいい」


その目は、どこか切なげで、けれど、優しかった。


彼は立ち上がり、自分のベッドをぽんと軽く叩いた。


「使え。……ちゃんと、洗ってある」


「え……でも……」


「気にすんな。俺は、下の部屋で寝る」


「でも、ここはあなたの……」


「いいって言ってるだろ」


その言い方はぶっきらぼうだったけれど、その瞳はどこまでも真剣だった。


彼はそっぽを向いたまま、ゆっくりとドアに向かう。


「……おやすみ。セレフィーナ」


名前を呼ぶその声は、まるで宝石のように、そっと夜に落ちていった。


セレフィーナは呆然としたまま、ベッドの隅に座る。

ドアが静かに閉まり、彼の気配が去ったあとも、胸はざわめいていた。



ルークは薄暗い別室の簡素な寝台に身を沈めると、天井を見つめたまま、大きく息をついた。


「……まいったな」


低くつぶやき、腕を額に乗せる。


彼の中で、先ほどの光景が何度も何度も再生された。

セレフィーナが、戸惑いながらも自分に指を伸ばした瞬間。


小さく震える声。

触れた肌の柔らかさ。

あの、まっすぐな瞳。


「……あんなに綺麗だったか……」


光の中に立つセレフィーナの姿が、記憶の中より遥かに鮮やかに蘇ってくる。

髪が揺れ、瞳が揺れ、唇がわずかに震えて――それでも立ち尽くしていた、あの姿。


「変わってない……いや……もっと綺麗になってる」


静かに、ルークは微笑んだ。

けれどその笑みは、少しだけ苦くもあった。


「……俺みたいなのが、そばにいていいのかよ……」


そんな自嘲が浮かんでも、不思議と胸はあたたかかった。


再び彼女と巡り逢えたこと。

彼女の声を聞き、瞳を見つめられたこと。


それだけで、世界が少し救われた気がした。


「……もう、失いたくない」


そう、胸の奥で強く、誓うように呟いた。


夜はまだ深く、静寂は続く。


やがてその出逢いが、彼という太陽のもとに咲く、たったひとつの花となることを――

ルークは、まだ知らなかった。


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