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第25話 夢よりも、君と

泉のさざ波が、ふたりの影を静かに揺らしていた。


「……セレフィーナ」


ルークが低く名を呼ぶ。彼女がそっと顔を上げると、彼は穏やかに微笑んでいた。


「そろそろ腹が減った。何か作ろう。お前も、まだ食べていないだろ?」


「……うん。ありがとう」


並んで塔へと戻るふたり。その足取りは、いつしか同じリズムを刻んでいた。


塔の外、薪のはぜる音が小さく響く厨房で、夕餉の支度が始まる。ルークは獲物を手際よく捌き、セレフィーナは焚火のそばで野草を洗っていた。言葉は少なくとも、その沈黙に不思議な安らぎがあった。


「……こうして並んで料理するの、なんだか楽しいわ」


セレフィーナの小さな声に、ルークの手がふと止まり、彼女を振り返る。


「フッ……そうか。いつもは俺一人だから、変な感じだな」


セレフィーナは微笑む。


「王と呼ばれているのに、一人で食事を作るなんて」


「召使なんていないさ。この塔には、俺しかいないからな」


焼けた肉の香ばしい匂いが辺りに広がるころには、ふたりの距離も自然と縮まっていた。


食後、ルークは焚火のそばに毛布を広げ、手で軽く隣を叩く。


「寒くないか?ここを使え」


その何気ない仕草に、セレフィーナの胸が跳ねる。けれどルークの瞳は、どこまでもまっすぐで優しかった。彼女はそっとその隣に腰を下ろす。


夜風が、静かにふたりの髪を揺らしていた。


「……星が、きれいね」


「この場所は、空が近いからな」


「……肩、貸そうか?」


その囁きは、ごく自然な響きだった。だが低く柔らかな声に、セレフィーナは視線を逸らす。


「私は……まだ眠くないもの」


「眠らなくていい。ただ、こうしていたいだけだ」


ルークがゆっくりと彼女の肩に寄り添ってくる。セレフィーナは驚きながらも、その温もりを拒まなかった。胸の鼓動が、音を立てて跳ねる。


「ルーク……」


「お前が戻ってきてくれて、本当に嬉しい」


その言葉とともに、ルークの手がセレフィーナの指先に触れた。まるで羽根のように優しいその感触に、彼女は震える指を預けた。


「……どうして、そんなに優しいの?」


「お前には、そうしていたいと思う。ずっと、そうだった」


「ルークは皆に優しいって聞いたわ」


「ははっ。そんなことを言う奴がいるのか?」


彼は八重歯を見せて笑い、セレフィーナはそっとその胸元に顔をうずめる。彼は少し驚いたように固まったが、すぐに静かに腕を回した。


そのぬくもりの中で、ふたりの鼓動が静かに重なってゆく。


「このぬくもり……夢の中で、あなたの名を呼んだことがあった気がするの」


顔を上げれば、すぐそこに彼の喉元。かすかな呼吸が、肌に触れる距離。


「……ぼんやりして、どうした?」


ルークが首をかしげて覗き込むその顔は、無垢なほどにまっすぐで、どこまでも罪深い。


その夜、セレフィーナは眠れなかった。

彼の腕の中で感じた体温と鼓動が、何度も胸の内に蘇ったから――


「ルーク、まだ起きてるかしら…」


そっと寝室を抜け出すと、彼の部屋の扉がわずかに開いているのが見えた。ためらいながらも、静かに扉を押し開ける。


「……ルーク?」


部屋には柔らかな明かりが灯り、静寂が満ちていた。だが目に映ったのは、濡れた髪をかき上げながら体を拭く、シャワー帰りのルークの姿だった。


「ひゃっ……!」


反射的に声が漏れたが、その姿に見惚れてしまったのもまた事実だった。

光に濡れた肌、滴る水滴――その一瞬が、記憶のどこか深くに触れるような、言い知れぬ既視感を伴って胸を打った。


「おい、勝手に覗いておいて、何驚いてるんだ」


「ご、ごめんなさい!見るつもりじゃ……ただ……」


「どうした?具合でも悪いのか?」


「……大丈夫。ただ、あなたが何をしてるか気になって」


ルークは困ったように笑いながら、タオルを腰に巻いて彼女に歩み寄った。


「……可愛いやつだな」


その一言に、セレフィーナの胸の高鳴りが増す。


「少しだけ、ここにいてもいい?」


「ああ。好きにしろ」


「今夜は眠れそうにないの……過去の記憶が、少しずつ戻ってきてる気がするの。だから……今夜は、あなたといたい」


その言葉に、ルークはふと目を伏せ、深く息を吐いた。


「俺も男なんだぞ。食われても、知らないからな」


「ええっ……!?」


その茶化すような言葉とは裏腹に、彼の瞳には真摯な想いが浮かんでいた。


ルークは彼女の隣にそっと身を横たえ、優しくその体を引き寄せる。


「いいよ。少しだけな」


セレフィーナはほっと息をつき、彼の体に身を預けた。その温もりに、胸のざわめきが静かに鎮まってゆく。


「ありがとう……」


……彼の胸に顔をうずめたその瞬間、どこか懐かしいぬくもりが胸を締めつけた。

名も知らぬ夢の中で、幾度となくこの腕に抱かれていたような――そんな錯覚が、胸の奥でそっと灯る。


言葉はなくとも、互いの存在だけで、心は満たされていった。


静かに、夜が更けていく。

ふたりはひとつの鼓動のように、寄り添って眠りの中へと沈んでいった。


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