私は二十五歳で、十年前に面白い出来事あったの。どうして十年前かって言えば、そのままの意味で――十年前だから。これっていわゆる日記みたいなもので、十年前の出来事を
どうしてこんなに強調するのって話かもしれないけど、地球をひっくり返したって絶対に変えようのないぐらいに夢みたいな、でも夢じゃない現実としての話だから、こうやって『十年前』って書いてる。
じゃあ、どうして今……今更書いてるのかってことに関してだけど、涙が出るくらい悲しいことが起きたから。
正面にはパソコンがあって、パソコンの後ろには壁があって、壁の色は牛乳みたいな色。結構、美味しそうな色をしてる。でも、そんな壁もまずくなるぐらいの悲しいこと。七年飼っていたウサギが亡くなった。
これがほんと心に効いて、部屋にいないはずなのにいるように思える。朝起きたらエサやらないと、とか、ふとした時に小屋の掃除しないと、とか――家を出る時に鍵を閉めたっけ、に近い感覚がミチミチと脳を締め付ける。
そこから、『あっ、もういないんだよね』って気づいたら知らないうちに胸をナイフで刺されたのかってぐらいの遅行した気分がズブンっとぶち込まれる。刃渡り十五センチは堅い……それぐらいの痛み、刺されたことないけど。
でも、こういう経験って実は初めてじゃないの。じゃあいつかって話は簡単なことで十年前ってこと。
ぼやけのない影ってあまりにハッキリとしすぎて、アルミサッシのレールみたいに感じない? 硬すぎて、冷たくて、指でなぞったら切れちゃうんじゃないかって思う。でも、ぼやけた影って輪郭がハッキリしてないから、どこが境界線かって私自信が決められたりする。
しかもそこに、ちょっと色を足しても問題がない。曖昧さを私好みに変えれて、これってこうだったよね、みたいなのを平気で足したりできる。だから、十年って月日はちょうどよかったの。きっかけはウサギの死だけど、書こうと思えた。
だから正しさなんて期待はしないで欲しいし、でも嘘じゃなくて、ありのままを書いてる。特別にひとつ、証拠じゃないけど、私があの世界で何をしたのかを事前にひとつ伝えられるのなら――それは犯罪行為を働いたってこと。時効は迎えてるのかな。
ちょうど高校一年生になった時に親が離婚した。これってとんでもなく最悪で、まあけど当然かなとも思えた。
母親の方についていくんだけど、世間的に当然かな……別に興味ないから知らないけど。そういうさなかで、いつか早くひとりになりたいって思いながら、入学祝いに買ってもらったスマホ――詳細を省くとゴーSだったはず。それでポチポチ……それともペタペタ? どっちでもいいけど、なんか見てたらピカーって光って、待ってスマホの光度眩しすぎない? って思った瞬間――色の薄い煙、透明じゃなくて白っぽい煙が私を包んでて、こう聞こえたの。
「ほら、失敗じゃないですよ。錬成に成功しました」これはとってもキュートな声。
「オイオイオイ、そんなことあるわけないじゃないか。失敗に決まってるだろ。ホムンクルスの錬成でこんな煙は出ないはずだが」これはとっても男の声。
この時は、まだハッキリ見えなかったの。でも、片方の声は最高にキュートで、どんなかわいい子だろうと想像した。いま考えれば、それどころのじゃないし、『ホムンクルス』の方が聞き捨てならない言葉だけど、この時は声の主が気になってしょうがなかった。
十五の私はイヤホンしながらばっちり携帯ゲーム機をしてた時期だから、声に対して敏感だったの。バディを選択できるゲームなら大抵かわいい声の子を選んでた。主人公は普通に女の子、だって私は女なんだから当たり前じゃない?
「師匠ほら、人の形してますよ。まだ煙でハッキリしてないけど……体格はイメージ通りのホムンクルス。師匠みたいな小さいホムンクルスじゃありませんから」
この辺りかな、ホムンクルス? って思ったのは。ちなみに師匠ってのは男の方。
「人の形をした木か何かだろう。それにヘルタ。お前の入れたこの材料――生ゴムじゃないか。松脂はどうした松脂は」
「松脂入れましたよ。生ゴムなんて入れたつもりありません」
「いいや、入ってないな。床に置きっぱなしだ」
煙も薄くなって、ふたりの姿もある程度見えてきたの。背の高い影は、失敗だなこれは、と言いながら床をごそごそとしてて、背の低い影は、成功ですよ、と近づいてきてたから、私も影の正体が見たかったから顔を近づけたの。そしたら思ったより相手が早くて、彼女の顎が私の頭にドカッと当たった。
「いったあー……よかったやっぱ成功してた」安堵した声もキュートだった。さすがに不安もあったみたい。
ぶつかったのもあって後ずさりしたから、姿はまだ見えなかったの。だから私から見に行こうって思って、立ち上がってモコモコって感じの煙を通って、外に切り開くように出たら、目の前にいたの。誰が? ってことかもしれないけど、私が出会ったなかで一番キュートな子。
十年経ったいまでも、また会いたくて、いつか一緒にあの世界で暮らしたいって思えるような、それぐらいの女の子。
三つ編みしたハーフアップがキュートさを、きゅっと凝縮してて、髪の色は薄い栗色してた。立って見てみれば、私よりちょっとだけ半分になった消しゴム一個分ぐらい、背が低かった。ほぼ変わらない。
いまの私はこの時より背が三センチ伸びてるから、もしいま比べたら六センチぐらいの差はあると思う。
でも、背の低さがより強調されてるのは――何度も言うから覚悟して欲しいんだけど、そのキュートさ。キュートってなに? って思うのが普通。説明するのって得意なのかどうかは私にはわからないから、頭の中でポツポツと飛び出す言葉を言語化ってやつ? してみると、成長しきった大きなヒマワリって迫力あって間近で見ると感動したりする――けど、小さいヒマワリは迫力に欠けたりする。しかもそのヒマワリが極端に小さいと、迫力なんて成長のさなかに雨で洗い落とされたってぐらい小さいの。
でも、それってとってもキュートじゃない? 彼女って背が極端に低くはないの。あの時の私の背は百六十ニセンチだったから、彼女は百五十九ぐらい? だから極端に低いなんてことはないんだけど、小さなヒマワリみたいな容姿に見えた。
いま思えば、それって童顔だったのかもしれないけど。華奢な体つきやクッキリとした顔は、キュートさに溢れてた。もう一つ彼女を大きく包んでいたのもあって、それがフリルが施された服。どこか抑え目にしてたんだけど、ふりふりとしてた洋服を着てたのもキュート。
「ちょうキュート……」と私は言ったの。ほろりと漏れた「かわいいー」
彼女を抱きしめたの。あの感触はいまでもなんとなく覚えてる。毛布を三回ぐらい折って、抱きしめるのと似たような感触。ああ、でも毛深くはないけど。肌はすべすべでもっちりしてた。
「みゃっ! な、なに急に――離しなさいってば!」低い声の猫みたいな驚き方してたの彼女。
「やっばあ、いい匂いする……すーはー……すーはー……」
「嗅ぐな、嗅ぐな!」
そう言って、私を押し返そうとしてたの。でも私の方が力が強くて、まあまあ嗅げた。
これってどんな匂いかって言うと、想像上のミルクをあまーく、あまーく、してほんのりジャスミンを加えながら、沸騰しない程度に煮て、そこから出る蒸気の香り。端的に表現するなら、溶けた甘いミルクっていったところ。それでまあ、私があまりに嗅いでるものだから「師匠助けてください!」って叫んでた。師匠の方がこう言ったの。
「困ったものだな。おいマリー、そこの短い髪の女をヘルタから引き離せ」
「マリーにお任せください」
とことこマリーが歩いてきたの。最初見たときはビックリした。
適度にカールした金髪、これでもかってぐらいにふりふりの洋服、お人形みたいだったの。マリーの方に抱きつこうかな、なんて思ったけど、なんか違くって幼い女の子って見た目してたし、それに似合う雰囲気もあった。
けど、決定的に欠けてるようなものが存在していて、不純物がないような、プラスチックの球体みたいな――どういうことかと言うと、よく出来すぎていたの。マリーは私の背中を掴むと、物凄い力で引っ張ってきたの。
天地がくるっとひっくり返ったと思ったぐらい強くて、気を失い掛けてた。ハッと、閉じていた目を開けたら仰向けになっていて、木の天井が見えてた。焦げ跡みたいなのがあったり、空が見えるほどではないけど無数の小さな穴が空いてたり、長細いドングリも刺さってたなあ、そういえば。見上げていた私は体を起こしたの。三人、目の前に立っていた。
「あのー、みなさん誰ですか?」私は尋ねた。
「あんたこそ誰。ホムンクルスじゃないみたいだけど……」怪しく見てた。ホムンクルスじゃなかったのが本当に不思議だったみたいに。
「私、
「きゅ? キュートなわたしの名前?」何言ってるんだこいつって表情してたなあ「……わたしは、ヘルタ。ナカト・ヘルタ」
日本なのか、海外なのか、どういうこと? そう思ってた。でも、マリー以外は日本って感じがあった。
「ヘルタちゃんって言うんだー。ねえ、ここってどこなの? 私、日本から来たんだけど、ここはどこの国?」
ヘルタとメガネを掛けている師匠のふたりは顔合わせた後に、私を見た。
「ここ日本だけど」ヘルタはそう言った。
「ああ、日本ね。じゃあ、どこの都道府県でどこの市町村? 私、○○市の□□□に住んでて――」
「ここがそこだけど」
「よかったー、なんだ私ってば自分の家にもう帰ってるんだ。へえー、ここが――」
いったい何を言ってるのヘルタは、って思った。だってあまりにも、私の知ってる家じゃない。アパートでもなくて一軒家みたいな感じだったし、日本的な建築でもない。いかにも昔のヨーロッパみたいな感じでちょっと言ってることが理解できなかったのこれが。師匠の人が言うの。
「お前、いつの時代から来たか言ってみろ」
「二〇十五年です」
「――なるほどな。めんどくさいことをしてくれたなヘルタ。とりあえず錬金術試験は不合格だ。ホムンクルスを生み出すのではなくて、別世界の人間を連れて来いなんて僕は言ってないからな」
ひとり勝手に理解したような顔をしてた。ヘルタの方は「そんなー師匠……」とショックで落ち込み気味だったの。そんなヘルタもかわいかったなあ……とはいっても、気になるのは別世界の人間がどうたらってことだった。
「なんだ、僕の方を見て――ああ、なるほど。忘れていた。僕の名前はサトウ・コルネリウスだ。隣の小さい子はマリー。覚えておくといい、お前は少しのあいだ元の世界に帰れないからな」
「マリーと申します。以後お見知りおきを」
コルネリウスはヘルタの師匠なの。二十代の男性で、態度がでかい。見た目に関しては、でかい態度の反対をいくようにほっそりしてる。理屈っぽい雰囲気を出してて、本を片手に持ってるのがに合うかな。それで、マリーはじゃあなにかって言うと……。
「マリーちゃんもキュート……。よかったら私ところに来て、ほら!」
「僕のホムンクルスに手を出すな。ワタナベ……と言ったか、少し話を聞かせてもらう」
「ホムンクルス……? さっきからちょこちょこホムンクルスがどうたらって言ってますけど、なんです?」
「マリー、椅子を持ってこい。それとヘルタは掃除だ、片付けろ」
マリーとヘルタはコルネリウスの言うとおりに動き出したの。ヘルタの方は文句言いながら渋々片付けてて、マリーは小っちゃい体してるのに平気で椅子を二つ持ってきてた。「どうぞ、お座りを」マリーは丁寧にしてくれる。
思い出してきたら、私も癒されたいなあ。家にいたらずっとかわいがりたいもの。椅子は木製、これがまた安っぽい椅子で座った瞬間に、これ一時間も座ったら痛くなるやつだって思った。後々理由を知るんだけど、その理由っていうのが――よく壊すから。
でも、この時はそんなの知らなかったから、うわータオルの一枚ぐらいないの、なんて考えながらカチカチの座面にお尻をつけた。コルネリウスは、さて……、なんていかにもなことを始めに口に出したの。
「率直に言おう。ワタナベ、お前は別世界からきた人間だ。正確に言えば、ヘルタがお前をこの世界に転移させてしまったってことだ」
「えっ! って言いたいですけど、ほんとそんなことあるんだ……」
「面白いことを言うな。そっちの世界では転移が起きることが多いのか」
「最近、ネット小説でそういうの読んでて流行ってるんです。えーっと、スマホは……」
この時、制服着てたからスカートのポケットに手を入れたけどなくって、ブレザーは脱いでたから私の世界に置いてきちゃったのかー、なんて思ってた。手にも持ってなかったから、普通そう考える。諦めかけてたら、掃除をしていたヘルタがこう言ったの。
「師匠、なんか落ちてましたよ。なんですこの板は?」
なんと彼女のかわいらしい手には、スマホが握られてた。あの時の嬉しさは、いまでも忘れられない。だって知らない世界の中で、唯一の繋がりみたいのがあったのはこの時はスマホだったんだから。
すぐにヘルタに近づいて、そのスマホを持った手を覆ったの。私より、ちょっぴり体温高かったなあ。掃除してたからかな?
「な、なに、また急に! これあげるから、離しなさいってば! 嗅いできたといい、犬か何かなのあんたは!」
「くうーん。ヘルタちゃんは私のご主人様になってくれるの? 私はそれでもかまわないから、もっと嗅がせて――すーはー……すーはー……」
「やめて、やめて、怖い怖い! マリー、助けてー!」
また、くるっと世界がひっくり返ったの。ほんと、私ってちょっと危険かも。いちおう悪意があるわけじゃないの。なんて言うのかな――束縛から放たれた自信のない犬みたいな感じ。
私って学校じゃ、目立たない子だったの。目立つのが好きじゃないから、それはそれでいいと思ってた。でも、そこには暗いどんよりしたものも少しあった。両親が仲悪かったから、そういうのがつき纏ってたの。
怖い――というか飛び出す音を一切聞きたくないみたいな鬱屈としたものが心にあって塞ぎ込んでたの、すべてから。だから、イヤホンして携帯ゲーム機で遊ぶのが好きだった、小さなディスプレイには賑やかな音や世界が広がってて、自由になれた気がしたから。
私がヘルタのいる世界に来たとき、そんな小さなディスプレイが裏返って、私を飲み込んでしまったかのような世界があったから、嬉しくなってたんだと思う。あの時は晴れ渡ったような気分で舞い上がってたけど、理由はこんなところじゃない? 突き抜けて明るいのは、その逆が存在してるからなんじゃないかな。冷静に見れるいまはそう思う。
背中を痛めつつ、ヘルタからスマホを返してもらった私はまたあのカチカチの座面に座った。さあ、見て驚け、みたいな態度でブラウザを開いたんだけど――。
「あれ、ネット繋がらない」
とっても当たり前のことを私は忘れてた。位置は同じでも世界が違うから、ネットなんてなかったの。コルネリウスは、それはなんだ、と聞いてきた。
「携帯電話です。これを使うと遠くの人とも連絡が取れるんです」
「なるほど。そっちの世界にも携帯電話があるのか。形はこちらとは違うが技術水準は同程度……いや、造形技術にスクリーン技術、進んでいると見える」
「携帯電話あるんですか?」
「携帯通話機というのがある。どこでも通話することができる錬金機械だ」
案外この世界は進んでいたの。コルネリウスは私に言った。
「話を戻そうか。ヘルタにはホムンクルスの錬成をさせていたのだが、材料を間違えてしまったがゆえにワタナベ――お前を転移させてしまった。ポロポロと出てくる言葉を聞くに、この世界とお前の世界では、時間や場所は同じ位置を指しているが、その存在する現実は異なるということだ。なるほど、本当にめんどくさいことをしてくれたなヘルタ」
奥から「わたしのせい!」困ったような声をヘルタ出していた。私は聞いた。
「元の世界にはどうやって戻ればいいんですか? というか、戻れるんです?」
「無論、戻れる――とだけは残しておこう。ただ少々問題がある」
「なんですか」
「元の世界に戻るための錬金術を組み立てなければならない。これは僕に任せろ、数日あれば終わるはずだ。それと材料集め、これはヘルタの働き次第と言ったところだな。最後にひとつ、これが問題だ――」コルネリウスは日が差す窓を見た「――時間」
「時間?」
「説明したと思うが、僕たちの世界とお前の世界は存在は違えど、時間と空間は同じ位置にいる。つまり、一ヶ月後に返すことができても、お前の世界ではここと等しく一ヶ月が経っているということだ。一年経てば、一年後の世界が待っている。それをよく覚えておけ」
コルネリウスの話は少し怖く感じた。だって、いくら楽しそうな世界に来たと思っても、元の世界は刻一刻と進んでるって聞くと、小さな不安がポツポツ浮き出てくる。嫌なことがあったとしても、簡単にゴミ箱に捨てられるものじゃない。
コルネリウスはきっと私のそういう不安を感じ取ったんじゃないのかな「すぐ取り掛かろう」と言ったの。思い出すだけでも、なかなかに偏屈な人だったけど、正義感みたいのは存在してたはず。でも、待って――怪しくなってきた。彼ってアレだから……もしかして私を早く追い出したかっただけじゃないの?