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第2話

「ヘルタ、僕は錬金術の組み立てについて思考しなければならない。ワタナベの面倒はお前が見ろ」

「なんでわたしなんですか!」

「自分のしでかしたことだ、自分で責任を取れ。そうだな……そうしよう」コルネリウスは思いついたみたいに言ったの「錬金術試験を変更する。ワタナベを元の世界に帰らすことを錬金術試験の合否とする」

「ホムンクルスより難しくなってませんかそれ!」

「僕の元から独り立ちするんだ、ホムンクルス程度で終わらすには面白くないとは思っていたところでもある。ちょうどいいじゃないか、転移錬金術をお前の歳でやるやつは見たことないぞ。しかも人間とはな! 僕の目に間違いはなかったか――どちらにせよ、お前が錬金術の作業に移るまでには時間がある。そのあいだ、ワタナベにこの世界を見せてやれ。錬金術の世界をな」



 コルネリウスはひとり楽しげに、色の濃い木製のドアを開けて部屋に入ってた。ドアが閉まると、マリーが取っ手にドアプレートを掛けたんだけど、なんて書かれてたと思う? 未だに思い出すだけで、笑えるの。私も玄関のドアに掛けようかって考えたことある、三秒後にはやめてた。『天才思考中』、そう書かれたの。


 事実、コルネリウスは天才なのかもしれないけど、これはギャグで言ってるのか、そうじゃないのかって当時はわからなかった――いまもだけど。とまあ、コルネリウスはこれで数日間、部屋から出て来なくなった。帰れるかって不安も過ってたはずなんだけど、この時の私は「やっばあ、もしかしてヘルタちゃんと一緒の生活が待ってるのこれって! マリーちゃんもついてくる?」って感じのこと考えてた。



「もう師匠はぁ……」ため息を出しながらヘルタは私の全身を見た「とりあえず、服が必要ってところね。それになにこのスカート……短すぎ。あんたの世界はこんなのが普通なわけ?」

「私より短い人たくさんいるよ。ヘルタちゃんの世界は学校とかないの、制服とか?」

「普通にある。でも、ひざ丈より上のなんて品がない――マリー! ワタナベに合う服はない?」


 マリーがテーブルにあるフラスコを拭きながら「アトリエ内にはワタナベ様が着用できる服はありません。一番サイズが大きくて、ヘルタ様のサイズなので」踏み台を用意し、フラスコを丁寧に棚の中に入れていた。


 フラスコ以外にも多種多様な瓶があったの。ハーバリウムとかに使えそうなのもあって、それも分厚いガラスから薄い物まできれいに並べられてた。透明なガラス瓶同士が並ぶ棚の横にも棚があってね、こっちは液体が入ってる。


 光の角度もあったからかな、夕方の濃色な明かりが窓から室内の棚辺りを目掛けて斜めに入っていて、着色されたシロップみたいな液体を淡く彩ってたの。赤色の液体から漏れた赤の光が、棚の内側を照らす青色の液体の光と干渉して、紫色に見えたのは本当にきれいで、色のあるビー玉同士を近づけたときの輝きを大きくして、落ち着かせたみたいだった。


 印象的だったから、私の部屋にはサルビアのハーバリウムとベロニカのハーバリウムを両隣に置いてある。でも――あの時の色は再現できないの。小さい頃、おばあちゃんの家に行ったときに見た、白濁した膜を張った棚のガラス扉から見える小さなオブジェクトが並ぶ世界みたいな感じで再現できない。あの独特な空気感みたいなのは、表面上じゃ描ききれないのは余計に懐かしさを感じさせるかも。ああでね、それからヘルタは言ったの。



「しょうがない、買いに行きましょうか」



 ヘルタは帽子掛けにある赤色のベレー帽を被って、私を連れて家から出たの。家とは言うけど、実際はアトリエ。歩いてるときにいろいろ聞いたの。コルネリウスのアトリエで、ヘルタは弟子としてここで暮らしてる。十歳の時から弟子で、五年経たないと独り立ちできないんだって。


 だから、この時は十五歳で私と同い年。ヘルタに転移されたことも含めて「これって運命! ヘルタちゃんと私のキュートな生活の運命! やっばあ、心臓痛い……」って嬉し混じりに言ったら、緑色の液体が出る虫を踏んでしまったみたいな顔で私を見てたっけ。


 歩いてる最中の街並みは変な感じだった。細かいところは確かに違うんだけど、全体というか遠くまで見たときの雰囲気は私のいた世界と同じ雰囲気なの。建物は西洋感全開なところも多い、でも決して日本的な建物もないわけじゃなくて、伝統として残ってる感じがあった。


 道路とかはアスファルトが広がってた、石畳かなとか思ってたけど残念。ヘルタから話を聞くに特徴的なことがあってね、それが電気がないことなの。でも、道の端には街灯がある。まだ明かりがある夕方だったから、この時は見れなかったけど、しっかり光るのこれ。でも、電気が通ってないって不思議じゃない? 昔はオイルとかでも、この世界は違うの。



「錬金術によって生み出された『パワーフラグメント』を使って、街灯とか家の電気を光らせてる。あんたの世界は電気なんて使ってるんだ」

「そうだよ、このスマホも電気を使ってるんだから! でも充電もうヤバい……」私はヘルタにスマホを見せた。

「話を聞けば、エネルギー効率が悪い携帯通話機なんてこっちじゃ役に立たない。錬金機械なら三ヶ月は持つ」


 斜め掛けしている赤のサッチェルバッグの中から、アルミ缶みたいな色をしたコードレス受話器のような物を取り出した。


「サトウ・コルネリウスのアトリエに繋いで」とヘルタが言ってから数十秒後「――マリー、何か買ってくる物はある? せっかくだから夕食の材料ぐらい買ってくる」

 耳を澄ますほどじゃなくても、なんとなくマリーの声は聞こえた。

「では、コーヒー豆を買ってきてください。部屋にこもりましたから、コルネリウス様のコナコーヒーが足りなくなることが予想されます。夕食はマリーが買ってきます、お手を煩わせるわけにはいきませんので」

「コナコーヒーっていつものやつね。わかった、それじゃ」



 これで電話は終わった。まあ、こんなところ、みたいな少し自信がある顔をしていたのがキュートだった。小さな子どもが「見てみてー」って覚えたての逆上がりを見せびらかすみたいな感じだったの。

 コルネリウスが言ってたけど、技術的には私の世界の方が進んでるのは正しい。ここは錬金術が進んでる。でも、私の世界みたいに莫大な電気を使えるって感じじゃなかったの。


 それから少し歩いて着いたのは、アパレルショップ……というには似合わない。服飾雑貨店みたいな雰囲気のお店だったの。まれにいくけど、全体的に色が暖色系でコットン地のトートバッグが置いてあって、ハンカチを探すにはうってつけなあの感じ。あと、ドライフラワーがぶら下がってる。


 ああいう服飾雑貨店を――あんまりいい表現じゃないから許して欲しいんだけど、厚いペンキで塗ったようなうぬぼれ感を脱色して、本当の意味でナチュラルにした服屋だったの。

 足を踏み入れたときの匂いは濡れた木みたいなムスクな感じで、床の木は少し劣化して白っぽくなってた。ラックは木製、これはきれいだった。服の数は少なかったんだけど、どれもいいと思えた。


 私の世界では売ってない――あったとしてもマンションの一室がお店になってるヴィンテージ古着屋ぐらいにしかなさそうな服が並んでた。ヴィンテージっていってもブランドどうこうの物じゃなくて、ドライフラワーがぶら下がってるヴィンテージ古着屋のことね。ちなみに、この服屋の壁にもドライフラワーがぶら下がってた――人って実はかなり単純な生き物なんじゃないかって思った。



「あら、コルネリウスのところのヘルタちゃんじゃない。どうしたの、また服の修理かしら?」

「わたしじゃなくて、この子に合う服を探しにきたんです」


 色とりどりの貝殻がコロコロとしたネックレスを身につけた女性が読んでいた本をカウンターに置いて、私の目の前までやってきたの。シャープな目つきで私の全身を見たあとこう言ったの。


「娼婦?」



 これには驚いた。だって、真っ先に人を見て出てくる言葉が「娼婦?」なんて、とんでもなく失礼じゃない? あの世界の人たちって、服装が落ち着いてるというか保守的というか、軽いファッションではないの。だから、私の制服(ブレザー無し)があまりよく見えないのはわかる。


 元々、家にいたわけで、シャツのボタンも第二ボタンまで外したリラックス状態だったから、チャラい感じなのは出てたのかもしれない。それとヘルタが言っていた、スカートの丈もそういう印象を形作っていたのかも。

 でも、このひと言は衝撃……錬金術世界の洗礼を正面からビンタされたみたいだったの。このせいで、ドライフラワーがぶら下がったお店を見る度に彼女のことを思い出す。だから服飾雑貨店が『まれにいくけど』になったの――前は『たまにいく』程度の状態で、ハンカチをよく買ってたりしてたけど、今はもう無地のハンカチしか使ってない。ヘルタは彼女に言ったの。



「アライダさん、変なこと言わないでください。この子は……えーっと。わたしが間違えて呼び出した別世界の人間で、このままだと目立つのでどうにかと」

「それは面白いことじゃない。この格好、別世界ではこんなのが流行ってるの?」


 私はシャツの袖辺りを摘まんで答える。


「――制服ですよ。本当はこの上にブレザーがあって、もっとかっちりした雰囲気が出てます」

「簡易的な素材。しょう――じゃなかった」アライダは小刻みに首を振った「――あなたの世界は生地不足なのかしら?」出そうになった言葉には悪びれることなく、スカートの裾を触られた。

「そんなことないと思いますけど。毎年捨てるぐらい大量の服が生産されてますし」

「なにそれ、変な世界」スカートから手を離してラックに向かった「既製服はここに掛かってるから、好きなの選んで。でもこれはとりあえず用の服――仕立てが必要になるから来なさい。しょう――じゃなくて……」

「渡辺真希です」



 この人はわざと言ってるように見えて、全然そんなことないの。意識せずに平気で言葉が出ちゃう人。アライダはこくこく頷いた。



「カビたような名前。ワタナベ、あなたの体型を測るからついてきて」



 仕立てなんて必要? そんなふうに考えてた。ヘルタは、行って測ってきたら、と手を動かしていたの。「えっ! もしかして私、ヘルタちゃんみたいなふりふりの着るんですか? ちょっと恥ずかしいかなあ」なんて照れてたら、「あんたの行動の方がよっぽど恥ずかしいでしょうに」ヘルタが突っ込みを入れてきた。



「サイズさえわかれば、あとは好きなの作ってあげるから、早く来なさい」



 アライダの言われたとおりに私はお店の奥に行って、背の高さや、腕の長さ、肩幅、腕回り、ウエスト、股下、といろいろ体のサイズを測られた。どんな服がいい? とアライダが尋ねてきたから、せっかくだしこの世界の制服を着てみようと思って、制服を頼んだの。


 正直な話、この世界の服ってワンピースみたいな服だらけで、私にはなんかしっくりこなかったの。ここに来るまでの街中の人ってだいたい帽子被って、ウエストを絞ったワンピース、教科書で見たような古臭い感じがあって、あまり着たいと思わなかった。制服ならかわいい感じのが来ると思ったから制服って答えたの。


 だからといって、ワンピースも悪いなんてことはない。今じゃあんまり見ない、小さな花柄が全面にプリントされてるのとか、足首まで覆うフルレングスのフレアなスカートとかも、キュートだった。でも、安定なところを取りたかったってのもあるのかも、いま思えばあの世界の服を堂々と街中で着れるのってこの時しかなかったんだから、花柄のワンピース着たかったなあ。

 大きな帽子も被って、片手にはかごバッグ――気分は晴れた朝にパンを買いに行く少女。街の人たちが「ボンジュール」って声を掛けてきて、私も返しつつ湿り気のある空気を吸いながら、ルンルンと足を弾ませながら歩いていく。そういう生活を送ってみる選択肢もあったと思う。


 いまの私がこんなことを街でやったもんなら警察沙汰になるけど。錬金術世界なら許されたかもしれない、あの世界いいところ……待って、二十五でそれはまずいか……。


 測り終わると、お店の奥から出て、ラックに掛かってる服を見たの。でもね、私がいないあいだにヘルタは私に似合いそうな服を選んでくれてたの。これって、ちょうキュートで「私のために選んでくれたの……。ヘルタちゃんが選んだ服ならなんでも着る! イチジクの葉一枚でも着るよ!」って興奮しながら言った。



「さすがに服は着なさいってば! あと、葉は最低でも三枚必要」

「あっ……そっか」

「『あっ……そっか』じゃない! あんた、わたしが服を脱げって言ったら全裸になる気なの?」ヘルタは私に指を差した。

「それはちょっと……」

「よかった、さすがのあんたも狂人の一歩手前までは踏みとどまったみたいね」

「私が脱いだら、ヘルタちゃんも脱がないといけないから。ヘルタちゃんの裸体はできれば私だけにしたい……」

「一歩手前どころじゃない、もう半歩手前。片足はもう狂人に突っ込んでるなんて……」



 私とヘルタはこんな会話を繰り広げながら騒いだ。会話ってこんなに楽しくできるんだって、体験できたのはいい経験だった。


 アライダは早く終わってくれない? みたいな態度で見てた気がする。でも、追い出さないでいてくれたのは微笑ましさもあったと思う。私がアライダの立場だったら、そう思うから。


 ああいうバカ一直線の会話をしてくれる人なんて今後出てこないって肌感覚でわかる。そういうことができる人は、人生の中でひとりしかいないはず。何気ない外で半透明の石を拾ったとき、とっても美しく見えて部屋に取っておいたのに、いつの間にか消えてて、一生同じ石に出会うことがないのと同じ。

 未だに私にはヘルタひとりしかいない。仮に消しゴムで消しても、ノートについた跡は残ってる――キュートなヘルタ。

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