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第3話

 アライダのお店を出て、マリーに頼まれたコーヒー豆を買いにいった。このとき着ていたのは、アライダのお店で買った既製服。のちに仕立てた制服も着るんだけど、それは後の話。で、私がどんな服を着ているのか――足首が出るくらいの丈、ウエストは緩やかで細長い、触り心地は薄手ながらピンっと張っていて柔軟性もあるワンピース。


 靴はブラウンのレースアップシューズ、これしかなかったの。靴は靴の専門店でオーダーしなさい、ってアライダに言われた。基本この世界は専門店によって成り立ってる。本屋に行ったら、カフェまで併設されてるなんてことはない。


 一つひとつのお店が何かを専門としているの。でもいまから行くところは、コーヒー豆だけじゃなくてコーヒーも出してくれる。だけど悲しいことに私ってコーヒー飲めないから、ここで何かを飲むなんてことはなかったの。飲めないってことはコーヒーしか置いてないってこと。私の世界みたいにクリームソーダが取り上げられるような、珈琲店はこの世界にはない。



「ミトおじさん、いつものお願いします」



 ヘルタが『ミト珈琲』とある看板の珈琲店に入って、常連のお客さんみたいな態度で根元が白くて、先っぽにいくにつれて黒いひげを生やしたミトおじさんを呼んだの。



「いらっしゃいヘルタ。いつものやつね――と言いたいんだがねえ。コルネリウス先生のコーヒーがいまは切れちまってる」

「そんなに売れてるんですか?」

「困るほど売れてるってわけじゃない。コルネリウス先生が毎月半分以上消費してるから、それに合わせて調整してるんだがねえ――少し前から始まった輸入規制で遅れてるらしい。隣の子は連れかい?」

「そんなところです。師匠のコーヒーがないか……うーん」


 このときのヘルタは少し素っ気なく私の存在をあしらったから――抱きついたの。


「みゃっ!」ヘルタは驚くとこういう猫みたいな声を上げたりするの。

「ちょっとーヘルタちゃん素っ気ない。運命の糸で繋がった私が傍にいるのに無視しないでー」

「抱きつくな、抱きつくな! それと運命の糸で繋がった覚えはない」

「もし運命の糸じゃなかったら、ヘルタちゃんが私を求めてここに呼んだってことじゃないのこれ! うっそ、やっばあ……なら、私もヘルタちゃんの想いに答えて私の持つ最大限の愛をここで――」



 さすがのヘルタも怒ったのかここで頭を殴られた。人生の中で三番目ぐらいに危ない私だった――一番は……それはまだあと。ヘルタはミトおじさんにこう頼んだの。



「ならなんでもいいので余ってる安いコーヒー豆を四百グラム分、お願いします」

「あいよ」



 ミトおじさんはコーヒー豆を紙袋に詰めて、ヘルタに渡した。ヘルタも代金としてお金を渡すんだけど、この世界の通貨は円。日本だからそっか、売買してる姿見ながら思ってた。ミト珈琲から、コルネリウスのアトリエの道中、ヘルタに聞いたの。



「マリーちゃんが言ってたコナコーヒーじゃなくていいの?」

「無いんだからしょうがない。だから――作る。あんたの世界にはない、錬金術でね」



 コルネリウスのアトリエに戻ってから、ヘルタはアトリエ内でさっき買ったコーヒー豆をテーブルに置いてある鍋に入れた。棚から液体の入った瓶を取り出した。緑色だった気がするけどここはよく覚えてない。

 だって、その液体を鍋に入れて白い粉をばさばさ振ったと思ったら、マッチに火をつけて投げ込んだの。高い破裂音が聞こえて、私はびっくりして目を閉じた。目を開けていったら、コーヒー豆の量が半分ぐらいになってた。


 ヘルタは私の方を見てた、私がびっくりする反応を見てニヤニヤしてたの。錬金術を見せてたくてたまらなかったんだと思う。当たり前にある錬金術だから、他の人は大して驚くことはない。でも私って錬金術が発達してない世界の人間だから、すべてが新鮮に映ってたのもあって、ヘルタなりに楽しんでたんじゃないかな。けど、小さくてキュートな見た目だから、嫌味になんかならないのがヘルタなの。



「これが錬金術。ご感想は?」

「マジックみたい……これってコナコーヒーになったの?」

「完全に――とは断言しない。でも、近い味と風味にはなってる」ヘルタは豆をそのかわいらしい手ですくった「量はさっきの半分、四百グラムから二百グラムになったけどね。だから半分以上のロスはしてる。瓶に入った錬金液も作るまでタダじゃないから、不正にごまかして儲けようなんて無理な話」



 できあがったコナコーヒーの豆を紙袋に戻したタイミングで、玄関ドアが開いて夕食の買い出しに行っていたマリーが帰ってきたの。低い背丈ながら、見合わない量持っていた。手伝おうか尋ねても「ワタナベ様はごゆっくり、すべてマリーにお任せください」とまあ、アトリエ内の雑用は全部マリーがやってくれるの。そんなマリーにヘルタは紙袋を見せた。



「師匠のコーヒー買ってきたから」

「ありがとうございますヘルタ様。お代はいつもと変わっていませんか?」

「輸入規制で値が上がって、コーヒー豆は――」



 このとき、ヘルタの言った金額は正しくない。二割ぐらい盛っていたの。マリーは「わかりました、ワタナベ様の衣服代と合わせて代金はあとで渡します」と言って、キッチンがある部屋に行った。私がちらっとヘルタを見たらこう言ったの。



「コナコーヒーを錬成した際の錬金液代が含まれている。不正なんてしてない」ヘルタは続けて言ったの「ちなみに――弟子であるわたしが使う分には錬金液はタダ。弟子にお金なくて錬金術ができないなんて、話にならないしね」



 隠し切れない悪巧みな笑顔を出しながら、ヘルタは利用した瓶を片付けにいった。こういうことをやって、ちょこちょことヘルタは娯楽費を稼いでいたらしいの。錬金術に関することは師匠がすべて支払うから、こういうことをしてた。


 コルネリウスって世界有数の錬金術師だから、お金に困ることはなくて、この件に関しては気づいてない様子だった。悪いヘルタもちょうキュート……なんて当時は思ってたけど、恋に盲目すぎたような気がする。これに関しては私も反省したい。あの世界にいるあいだコルネリウスは私の生活費を全部払ってくれてたわけだから、ちゃんとヘルタを叱るべきだった。

 十五の私にはそういうこと全然わからなかったの。勝手に世界で百番目ぐらいには賢いと自負してたから、そういう地に足のついた考えがまったくできなかった。ああでも、悪い顔のヘルタもやっぱりいい……好き。


 それから私とヘルタはマリーが作った夕食を食べたの。でてきた物は案外普通。お茶碗に盛られたご飯、味噌汁、サラダ、肉じゃが――西洋的な料理が出てくると期待してたのに、あまりに日本の一般家庭的で少しテンション下がったりした。


 ここが日本なのはわかってるけど、かわいらしいロリータみたいな服を着たヘルタに、西洋的なアトリエが背景にあるのに、見た目も味も覚えのあるようなものを食べるとは思わなかった。「へえ、この世界の人ってこんなの食べるんだ。私の世界では――」なんて反応もできずに黙々と食べる私に、なんかおかしなことあった? みたいな顔をヘルタが向けてきたから、見つめ返したの。ヘルタは言ったの。



「な、なに、見つめてきて……」


 返事することなく、私はここでじいっとヘルタを見たの。ご飯を食べるのはやめてない。


「……用があるなら聞くから、もりもりご飯を食べながらわたしを見ないでワタナベ」


 ここでもまだ私は返事はしなかった。ご飯は口に入れるのはやめてない。


「こ、怖いんだけど……お願いだから喋って、なんでもいいから喋って」


 やっと私は返事をした。


「ヘルタちゃん、ちょうキュート。これだけで、ご飯三杯――五杯はいける。おかずはヘルタちゃんだから、もうおかずすらいらない」

「やだやだやだ! わたしと一緒に食卓を囲まないで、わたしでご飯味わわないで」

「いいよいいよ、ヘルタちゃん! ツンツンしたのもいいけど、震えあがった姿もキュート! 五杯なんてどころじゃない、これはもう七杯はかたい」



 椅子から飛び上がったヘルタは私から離れようとした。でも、私はお茶碗片手に箸でかきこみながら、ヘルタを追いまわしたの。アトリエ内って走り回れるぐらいに広いから、ぐるぐると周って、ご飯を食べた。


 途中でお茶碗からご飯が無くなっても「マリーおかわり」って言えば、マリーがおひつに入った白米を走り回ってる私のお茶碗によそってくれるの。そのおかげで六杯は食べれた。七杯なんて言ったけどあれは少し盛り過ぎたかも。ヘルタは半泣きで逃げながら食べてた。



 食べ終わったあとは、マリーに寝室に案内された。アトリエの二階にあって、ヘルタとは隣の部屋。私が二階の廊下に行った直後にヘルタが自分の部屋に急いで入っていって、何かと思ったらカンカンカンと鳴ったの。私がヘルタの部屋に侵入しないために、自ら部屋を釘と木の板で打ち込んだの。私ってそんな警戒されてるんだ……なんて落ち込んだ。今更だけどこれは当然だと思う。


 私の部屋は質素で、ベッドと椅子に机があるだけ。窓からの景色はどこか懐かしく感じれた。建物の屋根は見たことない景色だけど、その奥の広がった目に映る空気や夜空は私の隣にいつもいたような感じがしたの。その瞬間になんだか悲しくなっちゃって、涙が出たのを覚えてる。

 ひと粒――もしかしたら、もうひと粒ぐらいあったかな。ベッドで横になって、静寂になってた時間を数分感じ取ってから、私はヘルタに声を掛けた。



「ヘルタちゃんいる?」

「わたしが部屋に入るの見てたでしょ、いるに決まってる。もし部屋に侵入したら叩き出すからね」


 誰も私の近くからいなくなったんじゃないかって、不安になってたの。だからこんなことを聞いた。ヘルタが返事してくれたことに安心したし、私が涙声になってないのも安心した。


「静かな世界だね、ここ」

「夜になればみんな寝るなんて当たり前――下じゃ、師匠がまともに睡眠も取らずあんたを元の世界に戻すための錬金術を組み上げてるところだろうけど」

「そうなんだ、ありがとうって伝えないと」私は波ような木目の天井を見ていた「これって夢かな」

「わたしは夢だといいと思ってる。ホムンクルスの錬成に失敗したあげく、あんたに迷惑させられてるんだから。ワタナベにとっては幸せな夢ってところね」

「そんなことないよヘルタちゃん。私にとっても、これが悪い夢ならいいなって思ってる」


 ヘルタは何も返さなかった。だから続けて私は喋った。


「知らない世界に放り出されて、この一日が終わるときには私の知ってる世界の一日も終わる。それって凄く怖く感じちゃう。私はひとりなんだ、孤独なんだって元の世界ではずっと思ってた。でも、本当にひとりになったら、顔は知ってても名前は知らない人すら恋しくなる。だから、夢だったらいいなって、悪い夢だったらって」

「――言い過ぎた」私に言ったのか、言い聞かせなのかわからないぐらいの声だった。今度ははっきりと言ったの「ワタナベ、元の世界にわたしがしっかり帰してあげる。だからあんまり……落ち込まなくていいから」

「ありがとうヘルタちゃん。でも、全部が悪いなんてことはないよ。ヘルタちゃんがいるのは幸せな夢。ううん――夢じゃないで欲しい、現実であって欲しい。だから落ち込まないよ」



 ヘルタは黙ったままだった。起きてるのか、寝てるのかはわからなかったの。でも、気が楽になった。あの薄い壁を通して、ヘルタはいるんだってわかったから。


 私が錬金術世界に来てから、何よりも安心できたのはここだった。明日もわからない世界で私は無理して振る舞ってたんじゃないのかな、あのときの安心感は今でもたまに思い出す。ひとりだけど、ひとりじゃない夜は子宮で受け止められたみたいだった。


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