目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第2話 犬耳幼女と狐耳幼女

 同所は、聖堂の様な場所であるらしい――いや、推定ではなく断言できる。純白の女神像があるだけでも十分な裏付けとなるが、シアター形式に並ぶ長椅子を見ればもう疑う余地はない。


 ただし先程も思ったように、周囲は荒廃している。

 略奪でもされたような状態で、長椅子の多くは崩れて使い物にならない状態だ。さながら『廃聖堂』といった風情である。


 そして声の主はというと、崩れて斜めになった長椅子の影にいるようだ。


「リリがっ、リリがまだ起きないの……!」


 立て続けに焦燥に満ちた叫びが響く。

 まったく知らない言語だ……けれど言葉が耳に入った瞬間、不思議と意味を理解できた。


 声の主が気になって少し足を動かせば、すぐに姿を視認できる――背もたれの向こうには三人の幼女が存在していた。


 俺をここまで導いた猫耳幼女がまず一人目。

 次に、亜麻色の髪と同じ色合いの被毛に覆われる獣耳……恐らく『垂れた犬耳と尻尾』を生やした幼女が二人目。


 最後は、金色の髪と同じ色合いの被毛に覆われた、『狐っぽい耳と尻尾』を備える幼女が三人目。


 全員けっこうな汚れ具合で、似たようなボロのワンピースを身にまとい、やはり裸足である。おまけに痩せすぎといえるほど細く、いつかネットで見た『スラムの孤児』を彷彿させるものがあった。


 そして肝心の状況はこう――座り込んだ犬耳幼女が切迫した面持ちで声をあげており、その腕の中には目を閉じてぐったりした状態の狐耳幼女がおさまっている。どうやら意識を失っているようだ。


 猫耳幼女はそのかたわらに立ち、犬耳幼女の服の袖を握りつつ青い瞳をこちらへ向けていた。


「だ、だれですか……!?」


 犬耳幼女が顔をこちらへ向けるまで、幾らの時間も要しない。彼女は俺と目が合った瞬間、他の二人を腕の中に抱えこんで守るような体勢をとった。


 かなり警戒されているな……まあ、納得の反応だ。

 付近に大人の姿はない。そんなところへ成人男性が踏みこんでくれば、身の危険を感じるなと言うほうが難しい。


「やあ、こんにちは」


「ひゃっ!? こ、こっちに来ないでください……!」


 こちらの言葉が通じるか試す意味もあって笑顔を浮かべつつ挨拶してみたのだけど、かわいそうなくらい怯えさせてしまった。座ったままズリズリと後ずさりするほどだ。

 それでも会話は成立しそうだったので、悪いけど声をかけ続ける。


「落ち着いて。俺は決して怪しい者じゃないから」


「あ、あやしい人は、みんなそう言います!」


 ごもっともです……防犯意識のしっかりした幼女である。ここまで拒絶されるのなら、さっさとこの場を離れるのが正解だろう。間違いなく事案一直線なわけで――だが今は、簡単に立ち去るわけにもいかない。


「その子、意識がないみたいだけど」


 腕に抱かれている金髪幼女はピクリともしない。酷く不自然で、一連の流れから事態を推測するに何かしらの異常が疑われる。要するに怪我か、あるいは病気等による昏睡である。


 なるべく刺激しないように、俺は優しく問いかけた。


「怪我でもしているのかな。それとも病気で寝込んでいるとか」


「……チユシさまですか?」


「チユシ?」


 はて、と首を傾げる。

 チユシ……治癒師とか? なんにせよ胡散臭い響きだ。


 と、そこでふいに袖を引かれる感覚――いつの間にか猫耳幼女が俺の足元にいて、袖をぐいぐいして何かを必死に訴えかけている。


「うんうん。わかっているよ」


 頭を撫でれば、猫耳がくすぐったそうに揺れる。

 やはり言葉はなかったが、ここへ来て何を求めているのか明確に理解できた――この子は、ずっと助けを求めていたのだ。ならば俺は、大人として務めを果たすべきである。


「怪我はないみたいだね」


「は、はい……」


 猫耳少女の対応から害意はないとわかってもらえたようで、警戒心が和らぎ近づくことが叶う。その流れで側に膝をついて患者の容態を観察してみたところ、これといった外傷は見受けられなかった。


「頭をぶつけたりはした?」


「たぶん、してないです……でも目をあけなくて……」


「なるほど。だとすると、貧血とかかな」


 あいにく俺は医者じゃないから、正確なところはわからない。しかしながら狐耳幼女は安定した自発呼吸を繰り返しており、わりと落ち着いた状態に見えた。


 加えて、幼女たちが栄養失調状態であることは一目瞭然で、それが原因で失神したと考えるのが一番しっくりくる。なんなら、小さくむにゃむにゃと寝言のような声を漏らしているし。


 この分なら、もうしばらく経てば自然と意識を取り戻すかもしれない。


「他の可能性もなくはないけれど、少し様子を見てみようか」


「リリは、だいじょうぶですか……?」


 不安そうにヘーゼルの瞳を揺らす犬耳幼女。

 やはり確かなことは言えない。けれど子供に悲しそうな顔をさせるのは、俺の大人としての矜持が許さない。


「大丈夫だよ。でも、場所を変えたほうがいいかもしれないね」


 見渡す限り、この聖堂は荒廃している。壁や天井のあちらこちらに穴が空き、そこかしこから外気が入りこむ有様だ。心身を休めるには相応しくなく、こんな場所にいては具合が悪くなる一方に思える。


 ならばここは、緊急避難的に我が家へご招待するとしよう。その方が色々と対処しやすい。


 保護者の許可に関しては……まあ、気にする必要はあるまい。恐らくいないだろうし、いても子供をこんな状態で放置する者なんかに任せておけない。


 仮に事件へ発展して逮捕されたとしても、それはそれ。己の信念に従って行動した結果なので、粛々と罰を受けるだけのこと。


「とりあえず俺の家においで」


「おうち……?」


「そう。あったかい食事もあるよ」


「えっ、たべもの!?」


 犬耳と尻尾がピンと持ち上がり、その内心を如実に反映している。なにそれ、かわいい。しかしすぐにへにょんと消沈した面持ちとなり、もの凄く悲しそうに言う。


「あ、でも……わたしたちドウカもってません……」


「ドウカ……銅貨? もしかしてお金の心配をしているのかな?」


 なんだそんなことか、と口にしかける寸前、俺は強い違和感を覚えて言葉をのみ込んだ。


 まだ幼女といえるような年頃の子が、食事と聞いて真っ先にお金のことを気にするなんてちょっと不自然だ。


 自分が子供の頃は、何かとお金がかかるという認識は薄かった……つまりこの子たちは、『お金がなければご飯も食べられない』という常識を得るような厳しい境遇にある、と改めて突きつけられたのである。


「……そんなの気にしなくていい。さあ、移動しよう」


 過酷な実情にふれた途端、胸が詰まる思いがした。が、努めて笑顔を浮かべ移動を促す。


 俺は一声かけ、依然として意識のない狐耳幼女を慎重に抱きあげた。人生初のお姫様抱っこである。それから我が家へ向かい、ゆっくりと歩き始める。


 聖堂の外にどのような世界が広がっているか、興味がないわけではない。それに存在しないはずの地下通路など、確認したいことは山ほどある――だけど、今は全部あとまわし。


 チラッと後ろを振り返れば、残す二人の幼女も手を繋いでついて来てくれている。まずはこの子たちを安心させてあげたい。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?