【前回までのあらすじ】
ウーヴルの詳細を調べる為、アリアとヴェイルはナザガランに帰省する。その裏でトラフェリア女王ハウエリアがルガリエル国王シュダークによって偽物にすり替えられてしまう。ハウエリア本人はリュークとミレーヌに救出され隠れ城に潜伏する。
アリアは魔王一家に暖かく迎えられる。
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カトル山脈の麓の森の中、ウーヴルの拠点では2人の男が話をしていた。
「ネガリダが帰って来ない。やられたのか」
「だから単独行動は避けろと言ったのだ」
「あいつは妖魔力の波動攻撃力も桁違いだった。耐性がある奴でもなければ即失神の筈なのに……」
悔しさを滲ませて語り合う。
「自分の妖魔力を過信したんだろう。トラフェリアにいた魔族の1人がどうやら魔王らしい。そいつの方が彼より一枚上手だったと言う事だ。……ネガリダを殺したのは恐らくそいつだ」
そう言いながら、1人の女性のウーヴルが入って来た。
少し浅黒い肌に栗色の髪を垂らし、動き易そうな軽装の鎧を身に付けていた。
額には菱形の薄紅色のアイスクリスタルが嵌っている。
「ツガンニア……魔王がいた、だと?」
ユガが聞き返す。
「そうだ……詳しい事は分からないが、今は何故か例のウーヴルの娘の護衛の様な事をしているらしい……あの娘は王女の身代わりとして育てられたそうだ」
その女性、ツガンニアが答える。
「身代わり……シュダークが言っていたのか?」
彼が訝しげに問う。
「そうだな。シュダークは何もかも知っていた様だが……いざとなったらトラフェリアへの報復に使うのか、女王には騙されているフリをしている様だ。ハウエリア女王もどう思っているのか……もう1人の本当の娘の為に従順さを装っているそうだがな。どちらも食えん奴らだ。私が渡す様に指示したアイスクリスタルのペンダントがウーヴルの娘の手の中にあるといいのだが……」
「俺はきちんと説明してシュダークに渡したぜ。『ハウエリアに娘の首にかけさせろ』と伝えた」
ユガが報告する。
「そうか。ありがとう」
彼女は目を瞑った。
自分の掛けた術の僅かな痕跡を辿っている。
「……よし。どうやらかけているな。これで発動条件が揃った。魔王ヴェイル=ヴォルクリア。シュダークの話に乗ってやっただけのつもりでいたが……もうお前は赦さない」
ツガンニアはそう言うと目を開いた。先程まで碧かった瞳が、炎の様な真紅に変わっている。
彼女はふいに前方に手を振った。スタンッと音がして、壁にいつの間にか鋭い『エルフの剣』が突き刺さっていた……
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
ナザガランでのひと時は、後々アリアの大切な思い出となった。
明るく楽しい人々、優雅な動物や竜達、厳かな装飾が施された城内、城下の家々など……ヴェイルに連れられて見物に行った彼女にとってはどれも初めて目にする物ばかりで、夕刻に至るまでがあっという間に過ぎて行った。
この国の電力の代わりとも言える魔光供給システムは、魔族国民全員から僅かずつ税として供給される魔力を国全体に巡らせているもので、辺りが暗くなっても優しい光の照明器具が国全体と城内をほんのりとした明るさで包んでいる。
晩餐には星霜草と月影茸のスープやヴェイルが喜んで持って帰った光玉貝のエマルション、アグニビーストのグリエ、空芋と紅豆のポシェ等の、ナザガランならではの色彩豊かで豪華な料理が並び、彼女の目と舌を楽しませた。
その後、気持ちの良い寝具を揃えた部屋を用意してもらったアリアは、就寝前の挨拶をしようとヴェイルの部屋を教えてもらい、長い廊下を歩いていた。
明かりのない部屋の中で、ヴェイルは広い腰窓に座っていた。
窓の外に掲げる籠の中に、数羽の蛍光蝶が羽を光らせて止まり、時には舞いながら囲われている。その淡く儚い光が、彼の横顔をほんのりと照らす。
トラフェリアにいる時には決して外す事のなかった鎧を外し、ナザガラン特有の意匠の品の良い服装を身に纏った華奢な体からは、冷徹な判断を下す魔王の趣きは感じられなかった。
窓枠にもたれて、曲げた片足に腕を乗せて遠くを見ているその姿は、彼がまだ大人には満たない事を思い出させるものだった。
「ヴェイル兄様」
トントンとノックの音をさせて、アリアが訪ねてきた。
「どうぞ」
扉を開けて、彼女は入って来た。
「私、そろそろ休みますのでご挨拶に来ました。今日は本当に良くしていただいてありがとうございました」
「うん。疲れただろう。休むと良いよ」
「では……」
「あ……アリア」
ヴェイルは礼を言って去ろうとする彼女の背中に声を掛けた。
アリアが振り向く。
「なんでしょう?」
「あの……ごめん、ウーヴルの里に連れて行ってやれなくなって……」
「ううん、いいの。兄様のお命の方が大事ですもの。それに、大体の事はもうパトラクトラ様がお教えくださいましたから」
「そうか……あれ?」
急にヴェイルが腰窓から降り、部屋の明かりを付けた。
彼は彼女の側に行き、驚いた様子で頬に手を添えてじっと見つめた。
「な、何……を」
―—今、私は何をされているの~~
彼女は混乱して紅くなった。いつもと違う雰囲気のヴェイルの整った顔がすぐ近くにあり、真っ直ぐ見つめて来るではないか。
「……やっぱり……瞳が赤くなっている」
「え?!あっ、あの……」
ヴェイルは頬から手を離して両手で彼女の手を掬う。アリアは内心ドキドキして彼の白い手を見つめた。普段は常に何らかの素材の軍事用グローブを身に付けているので素肌の暖かさが新鮮だった。
「妖魔力……やはりトラフェリアから出すべきじゃなかったか……」
言われて改めて見ると、両手から薄らと黒い煙の様な妖魔力が湧き上がって来ていた。
「あ……」
「苦しくはないか?すぐに吸収を……」
「だ、大丈夫です……」
アリアはさりげなく手を離した。
ヴェイルは申し訳なさそうな顔をした。
「やはり明日、トラフェリアに帰ろう。ミレーヌかハウエリア様にお会いして光属性の魔力を補給した方がいい」
「……どうして…?」
「え?」
「あなたはどうしていつもそんなに優しいの?」
アリアが俯いて言う。
「どうしてって……」
ヴェイルが戸惑う。
「小さかった時もそう。あなたは何の関係もない私の為に妖魔力を吸収してくれた。体質が特異だからって聞いてたけど、たまに無理して熱を出してたわ。でも何も言わずにまた頑張って……
トラフェリアの火事の時も、戦えなくなるぐらい魔力を使って遠距離で巨大な防御壁を作ったり。だけど何も言わないの。一人で抱え込んでいるの……どうして?魔王様だから?」
「……そうだな、誰かがやらなきゃいけないって思ったから……かな」
彼女が顔を上げて聞く。
「私の事も?」
「君の事は……その……」
アリアの問いに、ヴェイルは何かを言い掛けたがふと下を向いた。
しかしやがて一言ずつ確かめる様に言う。
「アリアの件は……最初は母がハウエリア様に頼まれたから俺を連れて行ったんだけど、行ってみたら君がしょっちゅう妖魔力の発作を起こして苦しんでいて……段々と放って置けなくなって来てしまって……」
「……そう……ですか」
アリアは顔を背けた。
涙が溢れて来たのを見られたくなかったからだ。
「兄様の仰る通りですね。ありがとうございます。明日にはトラフェリアに向かいましょう……おやすみなさい」
彼女はそう言い残すと、ヴェイルの部屋から出て行き、扉をそっと閉めた。