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第20話 静かなる襲撃

 自分の部屋に戻ったアリアは涙を拭いた。


 ヴェイルの事が好きだと思った。

 兄の様だと思っていた。でも、……少し違う。

 けれども、彼の方はそうは思っていないのかも知れない……


 ——彼は魔王なんだもの。

 お仕事として私に優しくしてくれているだけなんだ……


 そう思ったら、悲しくなって来たのだ。


 気を取り直して就寝用のシルクのドレスに着替えてベッドに横になる。が、ふと気付いて首から下げていたペンダントを外し、ベッドサイドの机の上に置いた。


「……おやすみなさい。お母様、ミレーヌ……」



 ヴェイルは部屋の中で暫くの間佇んでいた。 

 アリアの涙には気が付いていたが、何故泣いてしまったのかは分からなかった。

「……何か傷付くような言い方をしたのかな……俺にどう言って欲しかったんだろう」


 彼は親切心からだけではなく、自分の中にも彼女が大きな存在になってしまっている事にはとうに気付いていたが、その事は言い出せなかった。


「……俺の手は……血だらけだから……」

 ヴェイルはそう呟くと、胸の前でグッと拳を握りしめた。


 18歳という若さで魔王に就任している彼には訳があった。


 ヴェイルに本当の兄弟はいないが、父のグラディスの妹である叔母のミシュレラが参謀をしていた事から、その子供達である従兄弟のリュークと彼の二つ年下の弟のロイがいつも王宮にいた。小さい頃は食事も勉強も遊びも常に一緒だった。


 3人は幼い頃から王族の文武同道の精神により剣術の修行も重ねていた。

 彼らの実の兄弟の様に過ごして共に育った事実が、後に仇となってしまう。


 父のグラディスは長子ではなく、兄弟の中でも魔力量の大きさから魔王となった人物である。


 その就任を長く恨み、機会を伺っていた彼の長兄と次兄がある日、王室転覆を狙って強い魔導師を集め、脅迫の後殺害する為に魔術と薬を使ってヴェイル達3人を攫った。


 その時彼はまだ12歳だった。


 目を覚ました時には手足を拘束されて口も塞がれ魔法を封印させられていた。そして絶望の中でロイがヴェイルとリュークの目の前で殺されてしまう。

 ……彼は怒りの余り、普段は使わない様に気を付けていたある能力を使ってしまった。


 拉致されていた現場にグラディス他大勢の兵が駆け付けた時には、敵側の生存者は一人もいなかった。


 そこには驚くべき事に何人もの斬り倒された遺体と『蒸発ロドン』によって積もった幾つもの砂の塊の中で、血の滴る双剣を握り締め、肩で息をし黄金の瞳を見開いて立つヴェイルと、ロイの遺体を抱き締めて号泣していたリュークの姿があったのだ。


 それからも泥沼の様に親族間で抗争が起きた。


 グラディス他親達は止めたのだが、何かが壊れてしまったかの様に自分とリュークは刺客が送り込まれる度に密かに自らの手で動き、葬って行った。

 時には一個小隊程の人数を2人で殲滅してしまった事もある。


 一通りの抗争が収まり、成人の儀(18歳)と共にそれらの勢力への牽制もあって魔王に就任した自分の事は、影で『殺戮のハーフダークエルフ』や『アサシン魔王』等と揶揄する者がいる事も知っている。


 また恨みを買い、狙われていつ命を落とすか分からない。復讐の為、ひいては国の為、愛する者の為とは言え、それだけの事を今までして来た自覚はあった。


 そんな自分がアリアを愛する事は許されるのだろうか……彼には自信がなかったのだ。



 その時、ホウと鳴き声が聞こえた。見上げると白い炎が現れ、フクロウの姿になって掴んでいた書簡をポトリと落とし、また炎となって消えた。

 拾って見るとそれはリュークからの知らせだった。開いて読んでみる。


「ハウエリア様が襲われたが予定通りユガドの種の除去に成功……ルガリエルのシュダークの真の狙いは……俺?!」

 文字を辿って驚愕する。そして最後の一文に彼の顔が青ざめる。


 ―—『アリアからペンダントを遠ざけろ』


「ペンダント?そんな物何処で……」

 ヴェイルはそう呟くと突然思い出した。


 今朝彼女はハウエリアに首にペンダントを掛けてもらっていたではないか!

「しまった!アリア!」


 彼は叫ぶと部屋から飛び出した。一心にアリアの元へと向かう。

 しかし彼女の部屋に着く前に廊下に誰かが立っている事に気付いた。


「……ヴェイル……兄様……」

「アリア……」


 それは、シルクのドレスを着て裸足のままでいるアリアだった。完全に赤い色になった目からは次々と涙が溢れて来ている。


 呆然と立ち尽くすその身体の周りには黒い煙が渦を巻き、額にはアイスクリスタルが貼り付いて、その煙を徐々に吸い込んで行く様子が見て取れた。


 彼女は彼を見て安心したのか、急にバランスを崩して傾いた。

 倒れ込むまでにヴェイルが抱き止める。アリアの身体は酷く熱かった…。



「……奴らにやられたな」

 アリアを部屋に運び、ベッドに寝かせたヴェイルは母を呼んだ。


 パトラクトラはサイドに座り、眠りに付いた彼女の頬から涙を拭ってやった。

 額の髪を上げ、皮膚にめり込む様に貼り付いているアイスクリスタルを見る。


「……ウーヴルの遅効性の呪術だ。この子の妖魔力を引き出し、このクリスタルに凝縮させている。これは相当な魔力量になってしまうぞ」

「何とか取れないのか」

「ダメだ。この術式は術者が解除しない限り、呪いを掛けた相手が死ぬまで取れる事はない」


 ふと、ベッドサイドの机に目をやる。

 そこにはペンダントがあった。何かの細かい繊維で編んだ紐で作った物だった。ヘッドのアイスクリスタルの部分が無くなっている。


 パトラクトラはそれを持ってみた。

「!」

 紐はみるみる煙の様な一筋の線となり、空中に古代エルフ文字が浮かび上がった。そして何処からともなく聞こえた女性の声で読み上げる。


『魔王ヴェイル=ヴォルクリアへ。この術は発動してから次の日没までで相手を殺す。その子を死なせたくなければウーヴルの里までそいつと2人だけで来い』


 声が終わると、その文字をはやがて形を崩して霧散した。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 半刻の後、ヴェイルとその母は王宮にある呪術用の狭い部屋にいた。

 机の上には細かな装飾が施された箱が載っている。籠に入れられた蛍光蝶の羽ばたく淡い光が、それをゆらゆらと照らしていた。


 パトラクトラがため息をついて言う。


「……結局この術を使うのか……一応用意はして来たが、気が進まぬ」

「……」

「私としても初めて使う術式だからな?成功率も分からないし、恐らくは二度と使えないぞ」

「母上の特殊魔法に賭けたいんだ……」


 彼女が肘を付く。

「ヴェイル。お前何故そこまでアリアに尽くすのだ。いくら幼い頃からの面識があったからと言っても、本来ならば魔王がウーヴルの生き残りになぞ気を掛けなくてもいい話なんだぞ?」


「……」

「……そんなにもあの子を愛しているのか……」

 ヴェイルは何も言えなかった。


「言っておくが、これは本当に危険な術だ。お前の魔力も半減する。死ぬつもりなのか」

「それでも……アリアには生きていて貰いたい」

 彼はそうは言ったが、これから始まる術の恐ろしさに身震いがする。


「……お前の彼女への想いと同じぐらい、こちらだってお前に生きていて貰いたいのだがな……」

 パトラクトラがそう言う。表情の分かりにくい人物だが、その時ばかりは少し怒っている様に見えた。


 ヴェイルが小さく返す。

「ごめんなさい……死なない様に努力はするよ、母上」


 彼女は彼をじっと見ていたが、やがて諦めた様に言った。

「……相当の覚悟がある様だな。仕方がない。では、そこに横になれ」


 部屋にあるベッドに横たわったヴェイルの身体に、彼女の両手がゆっくりと伸ばされた。



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