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第5話

「いやあ、幼馴染だけあって、二人まるで恋人同士みたいじゃないか」

「ははっ、この調子じゃ、そろそろうちのばか息子の結婚式にも出られそうだな。楽しみだよ!」

背後から神崎誠司の声が聞こえてきた瞬間、鹿乃はようやく我に返った。慌ててシャッターを切り、今夜のクライマックスとなるシーンをきっちりとカメラに収めた。

舞台上の二人はすぐに距離を取った。窈子は顔を真っ赤にしながら、三階に向かって手を振る。

「鹿乃、お疲れさま。今日はもう十分よ、ありがとう!」

その言葉に、鹿乃はようやく安堵の息を吐き、機材をまとめて下階へと降りた。神崎おじさんと母のそばに歩み寄ると、母が窈子の手を取って、にこやかに話しかけているところだった。

「道中ちょっとトラブルがあって遅くなっちゃって……窈子さん、気を悪くしてない?」

「そんなことありませんよ、叔母様、叔父様が来てくださって嬉しいです。ちょうどケーキを分けるところでしたし」

誠司は満足そうに息子を見やり、肩をポンと叩いた。

「湊、お前もようやく身を固める気になったんだな。父さんはうれしいよ。あのネックレスまで贈ったんだし、そろそろ窈子ちゃんのご両親も招いて、正式に結婚の話を進めたらどうだ?」

窈子の頬は一瞬で真っ赤に染まり、嬉しそうに湊を見つめた。そして次に視線を鹿乃へと向ける。

「私はもう大丈夫だと思うの。だけど、国内には友達が少ないから……結婚式のときは、鹿乃にもぜひ手伝ってほしいな。たとえば……私のブライズメイドになってくれたら嬉しいな」

鹿乃はカメラを持って疲れた手を揉んでいて、その言葉に気づかなかった。母が軽くつついて再度言ってくれたことで、ようやく反応を見せた。

ゆっくりと顔を上げる鹿乃。その表情は相変わらず淡々としていて、感情は読み取れなかった。

「すみません、先の予定が立て込んでいて、式には伺えないと思います。

でも……心から、義姉さんと湊兄の幸せをお祈りします。末永くお幸せに」

その言葉に、母と誠司、それに窈子まで笑顔を浮かべた。

ただ一人、神崎湊だけが違った。

彼の目は暗く沈み、じっと鹿乃を見つめた。口元の薄い笑みも、すっと消えていった。


長く、苦しい仕事を終えた鹿乃は、帰宅するなりバスルームへ直行した。シャワーを浴び、濡れた髪をタオルで拭きながら、疲れた体を引きずって部屋のドアを開ける。

その瞬間だった。

「……っ」

大きな手が彼女の腕を掴み、力強く廊下の壁に押し付けた。

そして、間髪入れずに降り注いだのは、雨のように途切れることのないキスの嵐。首筋に残る水滴の上を舌が這い、くっきりとした赤い痕を刻んでいく。


この突然の出来事に、鹿乃は思わず叫びそうになった。だが喉までこみ上げた悲鳴を、舌で必死に押しとどめ、左右に身をよじって彼の拘束から逃れようとした。

しかし、鹿乃が逃げれば逃げるほど、湊のキスはどんどん激しさを増していき、ついには彼女の顎を押さえつけてきた。

鹿乃は全身で抵抗し、階下から誰かが階段を上ってくる足音が聞こえ始めると、その瞳には恐怖の色が浮かんだ。

「……正気なの?」

この一言が口からこぼれた瞬間、湊は目を赤く染めたまま冷たい笑みを浮かべ、鹿乃の耳元に顔を近づけた。

「正気じゃないさ。そんなに嫌なら、大声で叫べばいい。みんなに見てもらおうじゃないか、俺たちがどんな関係なのかを。‘兄’が‘妹’をどうやって追い詰めてるのかをさ。」

やがて足音が階段を降りていくのを聞いて、鹿乃の凍りついた心もようやく落ち着きを取り戻した。彼女は力を振り絞って湊の腕を振りほどき、身体をかがめてすり抜けると、怯えを滲ませた声で言った。

「……本気で何考えてるの?」

湊の目線は鹿乃を追い、瞳に宿る影はまだ晴れない。

「本気でわかってないのか? 誰が『兄さん』なんて呼んでいいって言った? あいつのことも『義姉さん』だと? 」

鹿乃はその場で立ち止まった。

湊が自分に近づいてきたのは、復讐のためだった。

――それは、彼自身が言ったことだ。ならどうして、こんな些細な呼び方にまでこだわるのだろう。

「……『兄さん』って呼んで何が悪いの。あの人と結婚するんでしょ? 私の目の前でキスまでしてたじゃない……!」

「鹿乃!」湊の声が怒りに震える。

「何度説明すればいい!? あれはただの演技だ! 窈子にキスしたのは……父さんたちが来てたからだ!」

怒気を帯びた声だった。湊の怒りが本物なのかどうか、鹿乃にはもうわからなかった。

でも――彼女の中では、すでに「これはまた演技だ」という確信が芽生えていた。だからこそ、彼女はうなずいて言った。

「ええ、確かに。あなたって、本当に演技が上手だもの。」

――でも、そんなを、いったいどこまで続けるつもりなの?

私はもう、あなたのどおりに十分傷ついた。これでもまだ足りないの……?

そう思いながらも、鹿乃はその思いを口には出さなかった。ただ、何度かまばたきをしたあと、ついに堪えていた涙が溢れ出した。

もう、これ以上は無理だ。

もう、彼の茶番に付き合う気力は残っていなかった。

湊は、いつまで私を縛るつもりなのか。


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