鹿乃は彼に逆らいきれず、時間も迫っていたため、仕方なく湊の車に乗り込んだ。
だが、道の途中で彼は急に車を迂回させ、「ちょっと寄るところがある」と言い出した。
現れたのは――名取窈子だった。
その姿を見た瞬間、鹿乃の心はズシリと重くなった。
言いたいことはいくつもあった。父の納骨という大事な場に、なぜ無関係な人間を連れて来るのか。なぜそこまでして、二人は離れられないのか。
けれど、時間は迫っていた。鹿乃はそのすべてを飲み込んだ。
新しい墓地への道すがら、鹿乃は骨壺を抱えて、ひとり黙って先を歩いていた。
言葉は、なかった。
ようやく準備が整い、納骨の段階になったとき、湊のスマホが鳴った。
彼は画面を確認して眉をひそめ、何も言わずにその場を離れた。
鹿乃は気にも留めず、骨壺を納めようと身をかがめる。ところが――
名取が、彼女の前に立ちはだかった。顔には嘲るような笑み。
「湊ね、今日私と一緒に夕陽を見に行く約束してたの。
あなたを墓地まで送ったのは、ついでだったってこと、知らなかったでしょ?」
確かに、鹿乃は知らなかった。
だが、どうでもよかった。今はただ、父を安らかに眠らせることだけを考えていた。
鹿乃は名取の挑発を無視し、視線すら向けずに骨壺を抱えたまま進もうとする。
名取はそんな態度に、我を忘れた。
「向井鹿乃、あんた何様のつもり? 私が話してるのに聞こえないわけ?」
激昂した彼女は、突如として骨壺を奪い取り――
そのまま地面へと、思いきり叩きつけた!
ドンッ――
鈍い音と共に、壺は階段を転げ落ち、見るも無残に砕け散った。
灰色の遺骨が、あたりに舞った。
鹿乃の中で、何かが完全に壊れた。
「……お父さん!!」
叫びながら駆け下り、膝をついて泣きながら灰をかき集めようとする。
だが次の瞬間、突風が吹き抜け、彼女の最後の望みすら、あっけなくさらっていった。
どれだけ手を伸ばしても、指の間から灰はこぼれ落ちていく。
父は、骨になり、今やその骨すら守れなかった――。
怒りと悲しみが渦巻く中、鹿乃は震える手で立ち上がり、名取の前に立つと――
その頬を、全力で打ちつけた。
パァン――!
名取の白い頬が、一瞬で赤く腫れ上がった。
「名取窈子……それは私の父の遺骨だった。彼がこの世界に残した最後のもの……
それを壊したあなたは、地獄の底まで堕ちるがいい!」
打たれた名取は呆然とした顔で立ち尽くし、怒りに震えながらも、ふと視線を横に逸らした。
ちょうど湊が戻ってきたのを見て、突如――演技に転じた。
階段に身を委ねるように倒れ、転がり落ちていったのだ。
何も知らぬ湊がその場面を見て、慌てて駆け寄り、彼女を抱き上げる。
「鹿乃! お前、何をやってるんだ!」
「私が? ――彼女に何をされたか、あなたは見ていないの?」
湊は初めて見る鹿乃の泣き叫ぶ姿に、思わず動きを止めた。
その顔には、涙があとからあとから流れ続けていた。
湊の腕の中で、名取はすすり泣きながら訴える。
「湊……さっき、うっかり鹿乃のお父さんの骨壺を倒しちゃって……風で全部飛んじゃって……そしたら鹿乃が怒って、私を突き落として……血も出てるし、もう、痛くて……」
壊れた骨壺の破片が目に入り、湊の胸の奥に冷たいものが走った。
慰めの言葉を探した。けれど、口から出たのは――
「窈子は……わざとじゃなかったんだ……」
「――出ていけ!!」
鹿乃の叫びは、全身全霊をかけた一言だった。
湊が何か言いかけたそのとき、名取が彼の服を握って訴える。
「湊、痛いの……脚が……もしかして、折れてるのかも……」
湊は彼女を一瞥すると、何も言わずに抱き上げ、そのまま去って行った。