ロンドン大学の近くにあるアパートは、立地も環境も申し分なく、鹿乃はすぐに気に入った。
悠真はまず彼女と一緒に部屋を見て回り、不足しているものを丁寧にメモしてくれた。
その後は周辺のスーパー、レストラン、駐車場、さらには裏道まで、細かく案内してくれた。
鹿乃は一生懸命に覚えようとしながら、何度も礼を口にした。
だが悠真はあまり気にする様子もなく、ちょうど昼時になったところで彼女に尋ねた。
「お昼、何が食べたい?」
鹿乃はこの辺に詳しくなく、自分で選ぶのは難しいと感じていたので、素直に彼のおすすめに従うことにした。
悠真はあっさりと中華料理店を選び、すぐに連れて行ってくれた。
一日半ほどの付き合いではあったが、鹿乃は思った以上に彼に好感を持っていた。
理咲さんや白石おじさんに比べて、悠真は決して口数が多い方ではない。
けれども冷たいわけではなく、話しかけられなければ自分からはあまり多くを語らないだけ。
静かで落ち着いた彼の振る舞いは、どこか信頼感があって、鹿乃にはとても居心地が良かった。
物静かながら、何事にも抜かりがない彼の姿は、まるで何でもできる人のように映った。
そのため、自然と彼に対して安心感や親しみが生まれていた。
ちょうど注文が終わったタイミングで、理咲さんから電話がかかってきた。
二人がいつ帰るのかを尋ねる内容だった。
悠真は鹿乃の顔を見て確認すると、彼女は指で「4」と示した。
それにうなずいて、彼は電話口で応えた。
通話が終わると、彼は簡潔に内容を伝えてくれた。
「母が言ってた。今日は君の歓迎パーティーを用意してるって。終わったらうちに寄ってくれってさ。」
「歓迎パーティー……?」
そんなに大げさなものなの? と鹿乃は少し驚いた。
だが、もう全部決まっているなら、ここは郷に入っては郷に従えだ。特に文句を言う理由もない。
昼食を終えると、二人は学校を軽く見て回り、そのまま帰るつもりだった。
ところが校門を出た瞬間──鹿乃は前方に立っている男を見つけて、思わず足を止めた。
笑みを浮かべていたその表情が、瞬時に固まる。
悠真も彼女の変化に気づき、視線を向けた。
そこには、こちらへとまっすぐ向かってくる神崎湊の姿があった。
彼は本能的に鹿乃の前に立ち、護るように腕を広げた。
その動きに、飛行機から降りてきたばかりの湊は激しく苛立ち、拳を振り上げた。
だが、その腕は悠真にがっちりと掴まれ、まったく動かなくなる。
悠真は湊を一瞥し、すぐに鹿乃へと顔を向けて尋ねた。
「知ってる人?」
まさかこんなに早く彼が来るなんて──鹿乃は内心驚いていた。しかもこんな場所で鉢合わせるなんて。
だが、悠真に問われた以上、答えないわけにはいかない。
「……兄なの。」
「彼氏だ!」
二人の言葉が同時に重なる。鹿乃の声は淡々と、湊の声は怒りに満ちていた。
その瞬間、普段ほとんど感情を見せない悠真の顔に、かすかな表情の変化が浮かんだ。
しかし彼は最後まで鹿乃の言葉を信じ、手を放し、数歩後ろに下がって二人の間に空間を作った。
湊はその様子を見て、苦々しげに彼を睨みつけた。
「……で、こいつは何者?」
嫉妬と苛立ちがにじむ口調に、鹿乃は深くため息をつきながら答える。
「友達よ。」
そのたった二文字が、湊にはまったく信じられなかった。
だが今はそのことを詰めるときではないとわかっていた。
彼はすぐに鹿乃の手をつかみ、その場を離れようとする。
「ついてこい。」
だが、鹿乃はその手を振りほどき、悠真のそばへと歩み寄った。
「……今は用事があるから、無理。」
その一言が、湊の中に眠っていた怒りの火種に火をつけた。
彼は信じられないという表情で鹿乃を見つめ、眉をひそめる。
「……それが、俺に対する口の利き方か?」
鹿乃は、彼が怒っていることくらいわかっていた。
けれど、もう気にする必要はないと、自分に言い聞かせた。
「私は、間違ったことは言ってない。事実を言っただけ。」