「用事?何の用事だ?その
湊はそう言って、笑っていた。ただ、その目には冷たい光が宿っていた。
鹿乃の表情も陰りを見せるが、目の奥には変わらぬ強さがあった。
「……どうしてここまでこじらせなきゃ気が済まないの?
湊、せめてきれいに終わらせることはできないの?」
湊とは十年の付き合いだが、鹿乃がここまで怒っているのを見るのは、彼にとって初めてだった。
一瞬だけ、心が揺らぐ。
だが、ずっと自分が主導権を握ってきたこの関係で、湊はどうしても引き下がることができなかった。譲歩することが、自分の立場を失うようで怖かった。
押さえつけていた感情が爆発する寸前まで膨れ上がっていた。
「ダメだ!俺は前にも言った。お前は、俺のものなんだ!」
鹿乃は、この時点で彼がもう冷静な状態ではないことを理解していた。対話はもはや不可能だと判断し、言葉を交わすのを諦める。
そして、そのまま立ち去ろうとした瞬間──
沈黙を守っていた悠真が、穏やかな声で口を開いた。
「鹿乃は自分の意思で物事を決められる、ひとりの人間だ。誰の所有物でもない。彼女の人格と意思を無視するなら、彼女が話すのをやめるのは当然の選択だと思うよ。」
そう言い終えると、悠真は湊の反応など一切気にせず、鹿乃に向き直る。
「もうすぐ四時だ。行こうか?」
鹿乃は、彼の目をまっすぐ見返し、力強くうなずいた。
その様子に、湊の中の怒りが一気に爆発した。
彼は我を忘れたように鹿乃の肩を掴み、無理やり引き止めようとする。
だが、悠真は一瞬の隙も与えず、すっと腕を伸ばして鹿乃の肩を抱き寄せた。
そして、もう片方の手で湊の肩を軽く押すと──湊の体はあっさりと弾かれ、三メートル先の花壇に激突した。
転がる湊を見下ろす悠真の声には、いつになく冷たい響きがあった。
「どんな立場だろうと、話し合いができないからといって暴力を振るうのは、大人として恥ずかしい行為だと思うよ。」
湊は地面に倒れながら、ふたりの親しげな様子を睨みつけていた。目には怒りと嫉妬が燃え上がっていた。
擦りむいた腕の痛みなど気にせず、彼は立ち上がると再び悠真に掴みかかろうとする。
──だがその前に、長く様子を見ていた学校の警備員たちが彼を取り押さえに入った。
状況が制圧されたのを見て、悠真はこれ以上騒ぎを大きくしたくないと判断し、鹿乃を連れてその場を離れた。
帰りの車の中──悠真は一言も喋らなかった。あたかも、何もなかったかのように。
その沈黙が、かえって鹿乃の胸に罪悪感のようなものを生んだ。
しばらく考えた末、彼女はおずおずと口を開いた。
「……さっきのことなんだけど、お願いがあるの。誰にも言わないでくれる?」
悠真は運転しながら、静かにうなずいた。
「もちろん。君のプライベートなことだ。僕から他の誰かに話すつもりはないよ。安心して。」
彼の言葉には何の疑いもなく、鹿乃は心からほっと息をついた。
屋敷が目の前に見えてきたころ、彼女はふと、心からの気持ちを伝えた。
「……今日は、本当にありがとう。」
車を停めると、悠真はようやく彼女を見た。その表情には、いつもの冷静さが戻っていた。
「礼なんていらないよ。君はうちの客人なんだから、当然のことだ。」
そして、少しだけ言葉を付け加える。
「でも……今日の君の