車を降りたあと、湊は鹿乃をどこかの密室へと連れ込んだ。
四方を分厚い壁に囲まれた、窓もなく空気の通わない閉鎖空間。
そして、鹿乃の身に着けていたスマホや財布など、すべてを取り上げると、彼はドアに鍵をかけ、たった一言を残した。
「数時間だけ、ここで大人しく待ってろ。お前のパスポートを取りに行ってくる。それさえ手に入れば──俺たちは、どこへだって行ける。」
そう言い残し、彼は鹿乃の反応も気にせず、足早に去っていった。
遠ざかる足音を聞きながら、鹿乃は拳を握り締めた。爪が手のひらに食い込む痛みで、必死に気持ちを落ち着かせる。
やがて彼女はしゃがみ込んで、これまでの情報を一つ一つ思い返しながら、どうすればこの状況から抜け出せるかを考え始めた。
思考を巡らせていると、ふいに別の足音が聞こえてきた。
──ヒールの音。神崎湊ではない。
鹿乃はとっさに立ち上がり、ドアを力いっぱい叩いた。
「誰か!助けて!」
足音はドアの前で止まった。
鹿乃が声を張ろうとしたそのとき、聞き覚えのある声がドア越しに響いた。
「……鹿乃、彼はあなたをどこに連れていくつもりなの?」
名取窈子──
希望の光が差し込んだかと思ったその瞬間、それはまたたく間に消え失せた。
墓地で別れて以来、彼女と会うのはこれが初めてだ。
こんな場所に現れたということは、彼女は湊のあとをこっそり追ってきたに違いない。
すでに婚約は破棄されたはずなのに──なぜ、まだ彼を諦めきれないのか。
そんなにも、彼が好きなのか?
そう気づいたとき、鹿乃の中である一つの希望が生まれた。
この絶望的な状況で、唯一の突破口かもしれない。
深く息を吸い、言葉を選びながら早口で話す。
「ポルトガルよ。あの人、私とそこで結婚するつもりなの。でも私は、そんなこと望んでない……」
その言葉を聞いた名取窈子は、乾いた笑い声をあげた。
「結婚?……あの人、本当に頭がおかしくなったのね。
あなた、あれだけ彼のことが好きだったじゃない。どうして今さら引こうとするの?」
相手が反応したのを確認すると、鹿乃は準備していた言葉を次々と口にした。
「彼が私に近づいたのは、母への復讐のためだったの。私はそれに気づいて、彼のもとを離れる決意をした。こっちに留学に来たのは、勉強のためもあるけど……私の婚約者もここにいるの。今月末には正式に婚約する予定で、母もそのために渡英してくる。だから私は、もう彼とは関係を断ちたい。あの人のせいで人生を壊されたくないの。」
それを聞いた名取は黙り込んだ。
時間がじりじりと過ぎる中で、鹿乃の心拍はどんどん速くなっていく。
それでも焦ってはだめだ──そう自分に言い聞かせながら、さらに揺さぶりをかける。
「聞いたよ、お母さんから。あなたたちの婚約、もう解消されたんだって? あなたもわかってるはず。あの人は正真正銘の
だが、その言葉を聞いた途端、名取窈子は怒気を込めた声で遮った。
「黙って! 私と湊は、二十年以上の付き合いなのよ。私たちのことに、部外者のあなたが口を出さないで!」
まさに、鹿乃の思惑通りの反応だった。
彼女は、すかさず
「私だって出て行きたいよ。でも彼は、私のパスポートを取りに戻ったばかりなの。帰ってきたらすぐ、私を連れ去るつもり。お願い……婚約者に連絡してくれない? 今日さえ逃げられれば、もう二度と彼の前には現れないから!」
再び沈黙が訪れた。
けれど今度ばかりは、鹿乃は焦らなかった。
──名取窈子なら、きっと動いてくれる。
そして予想は的中した。
数分後、ドアの向こうから声がした。
「……連絡先を教えて。」