三時間後──
戻ってきた湊が部屋のドアを開けた。隅っこにちょこんと座る鹿乃を見て、彼は満足げに微笑み、コンビニ袋を差し出した。
「鹿乃、これ。何か食べて、少し元気出せ。準備できたらすぐに出発しよう。」
鹿乃はうつむいたまま、袋の中身を見つめるだけで、しばらくは動かなかった。
湊が焦れ始めたころ、鹿乃はようやく手を伸ばして水のボトルを取り出す。
だが、力が入らずキャップを開けられず、仕方なく彼に差し出した。
その仕草が、湊にはたまらなく愛おしかった。
彼は笑みを浮かべ、水を開けてやり、頭を優しく撫でた。
「分かってくれたんだな、鹿乃。俺たちは運命なんだ。お前は俺のそばにいればいい。ご両親のことは俺がなんとかする。」
鹿乃は何も言わず、小さく頷いた。
「……うん。」
この一言で、このひと月の苦しみが一掃されたような気がした。
湊は気分よくパンを手に取り、自分も食べ始める。
鹿乃は数口水を飲むと、彼にボトルを返しながら、カバンを指差した。
「マイナンバーカード、ちゃんとあるか確認したいなって……。」
湊は何の疑いも持たず、カバンを渡した。
鹿乃は中を探るふりをしながら、彼が水を飲む隙をついて、自分のマイナンバーカードをソファの隙間に押し込んだ。
数分後、何事もなかったようにバッグを返すと、ちょうど湊も食べ終わっていた。
彼は腕時計を見て、「そろそろ行こうか」と鹿乃を立たせた。
二人で階段を下り、車へ向かう。
元々運転していた運転手の姿はすでになかった。
鹿乃は助手席に乗り込み、自らシートベルトを締める。
湊が運転席でシートベルトをつける間、鹿乃はバッグを抱え、何かを取り出すふりをした。
車が地下駐車場を出ると、鹿乃が突然驚いたように叫ぶ。
「お兄さん、マイナンバーカード忘れてない?さっきカバン見た時、なかった気がする……」
湊の笑顔がぴたりと止まり、眉をひそめてこちらを見る。
「持ってたはずだが……なくなった?」
鹿乃が真剣に頷くと、彼の表情に苛立ちが浮かんだ。
「……まぁ、あとで再発行すればいいさ。」
鹿乃の掌には汗が滲む。
彼女は必死に頭を回転させ、ようやく一つの可能性に賭けた。
「でも、ポルトガルで結婚するには、マイナンバーカードなどの証明が必要なんじゃない?もし不備があったら、式が延期になるかも……」
その言葉に段湊の目が一瞬鋭くなった。
彼は数秒考えたあと、舌打ちして車を降りた。
「じゃあ、ちょっとだけ待ってろ。すぐ戻る。」
念入りにすべてのドアロックを確認し、彼は去っていった。
鹿乃は静かに彼の背を見送った。
その姿が階段の奥に消えた瞬間──
「ガンッ!」
車の後部座席右側のガラスが鉄パイプで砕けた。
鹿乃はすぐさまシートベルトを外し、後部座席から飛び降りる。
その場に立っていたのは──名取窈子。
鉄パイプを握ったまま、無言で方向を指差す。
「……あんたの婚約者に場所、教えといた。来るかは知らないけど、自分で確かめな。」
鹿乃は迷わなかった。
指さされた扉に向かって、全速力で駆け出した。