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第三話 闇堕ちは突然に

「蒼海さーん! 一人なら、あたしたちと一緒にお弁当食べない?」


 四月最後の週の木曜日。お昼休みに入ってから、いつものように一人でお弁当を食べようとしていた時だった。同じクラスの緑川風香みどりかわふうかさんが私の席の近くまで来て、笑顔で誘ってくれたんだ。


 髪と同じ明るい茶色で、大きな瞳が私を覗き込んでいる。弓道部の緑川さんはスポーティーな雰囲気の美少女で、アゴの辺りで切り揃えたショートボブがよく似合っていた。


 友達もたくさんいて、別のグループの女子とも親しく話せる明るい性格なのに、私にまで気を配ってくれる優しい人。


 今年初めて同じクラスになったのに、いつも一人でいる私を気にして、お弁当の時間や体育のペアにも時々誘ってくれる。きっとすごく良い人なんだと思う。


 だけど、緑川さんは私にはあまりにもまぶしすぎて、一緒にいると劣等感で消えたくなりそう。それに、緑川さんの友達にもどんな目で見られるか怖いし……。


「あ、……う、……大丈夫」


 何度も何度も断るのは申し訳ないなと思いつつも、私は下を向いたまま、ボソボソと返事をする。


「? 大丈夫って一緒に食べるってこと? それとも、食べないってこと?」

「え、と」

「風香、やめときなよ。蒼海さんは一人が好きなんだよ」


 私が言い淀んでいたら、近くの席でお弁当を広げていた緑川さんの友達がそんなことを言った。


 本当は、一人が好きなわけじゃない。私だって友達がほしいし、みんなと楽しくおしゃべりしたい。

 でも、せっかく誘ってもらえてもいつも断ってばかりだし、そもそもちゃんと話せないし、みんなからは『一人が好きな人』って思われてても仕方ないよね。


「そ? 何かあったら、いつでも言ってね」


 そう言い残し、緑川さんは友達のところに戻っていく。


「う、うん。ありがと……」


 私の声は小さすぎて、きっと緑川さんには聞こえなかったと思う。そのはずなのに、緑川さんはこちらを振り返った。


「なんか気になっちゃうんだよね」


 ふふっと笑って、緑川さんは自分の椅子を引く。


 そーっと様子を窺っていたら、緑川さんは楽しそうに友達と話し始めた。窓際では、八雲くんがクラスの男の子たちと机をくっつけ、お弁当を食べている。


 八雲くんも、緑川さんも、他の人も。みんな友達がいて、楽しそう。このクラスの中で一人きりなのは、私だけ。


 心の中でこっそりため息をつき、私はおばあちゃんが作ってくれたお弁当に箸をつける。

 アスパラベーコン、ミニトマト付きのポテトサラダ、たくさん野菜の入ったオムライス。おばあちゃんの得意料理は昆布の佃煮とかごぼうのきんぴらとかの和食系なのに、『おばあちゃんの地味な料理で、瑠璃ちゃんがお友達から笑われないように』っていつもカラフルなお弁当にしてくれる。


 私はおばあちゃんが作ってくれる料理が大好きだし、そもそも友達は一人もいないんだよ、おばあちゃん。心配かけるだけだから、まさかそんなこと言えないけど。


 理想の夢に入れるようになってから二週間。

 相変わらず現実での私はぼっちで、人とまともに話すことさえ出来ない。


 でも、大丈夫。私には夢があるから……。

 今夜も夢で八雲くんやグレンと過ごせることを励みにして、一人ぼっちの学校生活を今日もどうにか乗り切ろう。


 ◇◇◇


 その日の夜。眠りについた後の私は、またパジャマではなく、学校の制服を着ていた。


 黒地のセーラー服、胸の下まである伸ばしっぱなしの黒い髪。平均的な身長も、どこにでもいそうな顔立ちも、いつもの私のまま。


 目の前に広がっている光景だって、普段過ごしている学校そのもの。だけど、夢と現実では全然違った。


 校舎の時計の針は、ずっと八時で止まっている。

 行けるところは、校門の近くと校庭と学校の中だけ。それ以上外に出ようとしても、何かに阻まれて出ることが出来ない。グレンと八雲くん以外は誰もいない。

 そして、二人ともそれについて何の疑問も抱いていなかった。


 明らかに私の勝手な理想だけで作られた世界だって、はっきり分かる。それでも、いいんだ。


 ここには、現実ではもう二度と会えないグレンがいる。

 それから、現実では絶対に手の届かない存在の八雲くんの彼女で。何より夢での私は、いつものうじうじした暗い女の子なんかじゃなくて、彼氏とも明るく話せるような子なんだ。


「流星くーん!」


 グレンと少し話をしてから、いつも通り昇降口の中へ。

 すると、やっぱりそこには八雲くん――ここでは私の彼氏だし、心の中でも流星くんって呼んじゃおうかな。

 流星くんがさわやかな笑顔で、私を出迎えてくれた。


「瑠璃!」


 流星くんが近づいてきて、私の手をぎゅっと握る。


「行く?」

「うん!」


 流星くんに優しく見つめられ、私も笑顔で頷く。


 初めは緊張して口から心臓が飛び出そうだった流星くんとの触れ合いも、最近は少しずつ慣れてきた。手を繋ぐのも、ハグも、髪を撫でられるのも。


 も、もちろん、毎回ドキドキはしてるけど……!

 でもね、それ以上にとっても幸せ。

 だって、現実では絶対出来ないことだもん。


 現実の流星くんに彼女がいるのかどうかは分からないけど、きっと流星くんの彼女は幸せなんだろうなぁ。

 流星くんは絶対浮気なんてしないだろうし、怒鳴ったりもしないし、いつも優しくて、心から愛してくれるだろうから。流星くんみたいな完璧な人の彼女には、きっとすごく可愛くて明るい子が似合うよね。……たとえば、緑川さんみたいな女の子とか。


「どうかした?」


 一瞬現実のことを考えたせいで、少し表情が暗くなっちゃってたのかもしれない。流星くんが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。


「う、ううん。幸せだなと思って。流星くんって、ほんとに理想の彼氏って感じだよね」


 せっかく夢で楽しい時間を過ごしてるのに、落ち込んでたらもったいないよね。気を取り直し、私は笑顔を作る。


 すると、流星くんの濃茶の瞳が一瞬だけ曇った気がした。けれど、次の瞬間にはいつもの流星くんに戻っていて。


「そう言ってもらえて嬉しいよ」


 私を見つめる流星くんは、優しくてさわやかな彼氏そのもの。さっき彼の表情が陰ったように見えたのは、気のせい、かな……?


 夢の中での流星くんは、現実での彼と同じようにいつも優しい。


 だけど、時折寂しそうな目をしたり、口数が少なくなったり、時にはどこかに行っちゃったりする時もあるんだよね。

 彼の様子がおかしくなる時は決まって――、……あれ? 何だったっけ? さっきまで覚えてたはずだったのに、急に思い出せなくなっちゃった。


 まあ、いっか。

 きっと私の考えすぎだよね。

 流星くんはいつだってなんだから。


「私ね、本当に流星くんが好き。まさか流星くんみたいな理想の人と付き合えるなんて思ってもなかったよ」

「理想って、どんなの?」

「どんなって……、流星くんみたいだよ」


 顔が熱くなるのを自分でも感じながら、流星くんを見上げる。流星くんは、引き攣った笑顔でこちらを見ていた。


 変なこと言っちゃったかな?


「俺みたいって?」

「え?」

「いや、瑠璃の目からは俺がどんな人間に見えてるのかなと思って」

「改まって聞かれると恥ずかしいんだけど……。ん、と……。流星くんはね、いつも優しくて、かっこよくて、さわやかで、明るくて、誰とでも親しくなれて、とにかく完璧なの」


 モジモジしながらも、彼に笑いかける。

 だけど、流星くんは笑顔を返してくれなかった。


「完璧、か……」


 ポソリとつぶやき、流星くんはうつむいてしまう。


「流星くん以上に完璧な人なんていないよ」

「結局瑠璃も俺に完璧を求めるんだな。みんなと同じだ」


 流星くんは冷たく吐き捨て、繋いでいた手を突然バッと振り払う。


「流星くん?」


 どうしちゃったのかな。

 彼に触れようとしたら、手を前に出し、はっきりと拒絶された。


「やめろ、近づくな。お前もみんなも同じだ。いつだって、俺に完璧を求める。だから、俺が完璧を演じないといけなくなるんだ。お前たちの理想を勝手に押し付けるなよ……!」


 流星くんとは思えないような、低く暗い声。

 いつもの甘い流星くんの声とは別人のよう。


「ねぇ、本当にどうしちゃったの?」


 さっきの私の発言がそんなに流星くんを怒らせちゃったのかな。それだったら、ちゃんと謝らなきゃ。

 そう思い、もう一度彼に手を伸ばす。


「近づくなって言ってるだろ!!」


 金属のようなものに阻まれ、吹き飛ばされる。


「きゃああああああ!!」


 数歩よろむいちゃったけど、足を踏ん張って、どうにか持ちこたえた。


 まだジンジンと痺れる右手を左手でさすり、顔を上げる。


 さっきまでは流星くんのはずだった彼は、まるで別人のような姿になっていた。


 いつもの学ランには、びっしりと鎖が巻きついていて。

 黒いマントと足には銀色の甲冑のようなものを付けていて、顔全体を覆う黒い仮面までしている。


「流星くん……だよね……?」

「我は、ノワール。流星そのものであり、陰の存在」


 えっ、何? ノワール? 流星くんじゃないの?

 流星くん改めノワールは、地を這うような声で名前を告げた。


 ねえ、待って。

 どういうことなのか全然分からないよ。


「ノワール? 何言ってるの? 元の流星くんに戻ってよ」

「まだ分からないのか。これが本来の我の姿であり、我こそがお前のよく知っている流星だ」

「そんなはずないよ。流星くんはお前なんて言ったりしないし、そんな話し方したりしないもん」

「そう思うのであれば、お前は現実から目を背けているだけだ」

「確かにそれは否定出来ないけど……。少なくとも流星くんは、あなたみたいな人じゃない!」

「認められないというのであれば、お前も道連れだ。我と共に壊れろ」


 流星くんの手の中に鎖が巻きついた斧が当然生まれ、それをこちらに勢い良く投げ飛ばしてきた。


「えっ、うそ、……いやっ」


 流星くんが私を傷つけるようなことをするはずない。

 信じたいのに、彼は確かに私にめがけて斧を投げた。


 それと同時に、今までは校舎だったはずの背景が何もない暗闇に変わる。何? どうなってるの?

 逃げなきゃって思っても、身体が反応しなかった。

 どうしようもなくて、とっさに目を瞑る。


 でも、いつまで待っても、覚悟していたような衝撃は訪れなかった。





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