――七月下旬。
学生たちは夏休みに入り、世の中はどこもかしこも浮かれムード。
だが、我らがピコリーナ・カンパニーのオフィスには、そんな甘やかな風は一切吹かない。
「だからぁ! 扇風機は私の番って言ったのですら!」
「風向きがいちばん当たる角度は私が発見したのよ。したがって当然私が占有すべきでしょ?」
「神に風を届けることを惜しむとは、いかに信心が浅いかのぅ……」
扇風機1台を囲み、佳苗・クロエ・リィナが壮絶なバトルを繰り広げていた。いや、涼しい風を求めてるだけなのに、なんでこんな命懸けみたいな感じなんだ。
千歳は、その死闘の傍らで、新製品の試作品を試していた。
「これ、ほんとに涼しいんだけど……形が……」
それは、ヨモツが開発したばかりの“クール埴輪抱き枕”。
一見ただの埴輪。中には冷却ジェルと魔力氷が詰め込まれており、ヒンヤリ感は本物だ。ただ、見た目は埴輪。しかも瞳が光る。寝てて心臓に悪い。
「いや、これさ……商品としてどうなの?」
「ヨモツは進化したのだ」
セラスが無表情で頷いたが、それを言うなら“退化”の可能性も視野に入れるべきだと思う。
しかしそんな折、我が社の求人に一人の応募者が現れた。
年若き少年。名はネロ=フィンブリオ。
見た目は中学生くらいで、白衣に魔法陣のような刺繍があるローブを着ていた。
錬金術をたしなみ、転生前は魔導師見習いだったらしい。
今は「新しい発明で人を幸せにしたい」と希望に燃えていた。
だが彼はオフィスの隅にある一体の埴輪を見て、突然目を潤ませたのだ。
「……この埴輪、すごい……! 魂が込められてる……!」
「え? いや、ただのクール埴輪だけど?」
「僕、この埴輪を作った人と一緒に仕事したいです! お願いしますっ!」
まさかの埴輪ルートで入社希望。あまりに真剣なまなざしに、あたしたちは言葉を失った。
……結局、その熱意に負けて、ネロくんはヨモツ直属の開発部門に配属されることになった。
我が社の未来は、また一歩カオスに近づいたのであった。
翌日。
「──このままだと赤字ね」
クロエが帳簿をバサッと机に叩きつけた。そこには真っ赤な数字と、付箋で書かれた《死》の文字。
「ちょ、縁起でもない字つけないでよ!? なんで“死”!?」
「これは赤字を超えた黒字の向こうにある闇よ。財務的終焉」
「終焉って言い方やめて!? まだ始まって2ヶ月も経ってないんだけど!?」
事務所は今日も暑かった。札幌なのに、どういうわけか地獄のように暑い。唯一の扇風機を佳苗とリィナが奪い合っていた。
「あーっ!風が来ないよぉ~!リィナ様ばっかずるーい!」
「ふんっ、我が神格が高いから風が寄ってくるのじゃ。優遇されて当然じゃろ」
「物理的に回転してるんだけど!? 神格関係ないよね!?」
千歳は冷凍庫からヨモツ開発の「強クール埴輪抱き枕」を取り出し、背中に当てる。
「……うん、昨日より冷たくて気持ちいいけど……」
「やはり不気味なのは否定できないわね」
それでも冷気は正義。
社内は会話する気力も溶けるレベルの猛暑。
そんなとき、テレビから耳障りなほど明るい声が響いてきた。
《夏だ!海だ!グルメとお土産で大繁盛♡今年も大賑わいの海水浴場から中継です!》
「これよ!!」
クロエが叫んだ。
「うわ、急に元気になった。怖い」
「海よ、海!この灼熱の札幌にいても金は生まれない!ならば海で売るの!商売よ!」
「いやいや、今から海って……もう7月の後半よ?完全に出遅れじゃん」
「出遅れたなら、抜け道を探すのがプロよ」
「……で、なにを売る気?」
「うーん、たとえば……海の家?」
「は? 申請は? 許可は? 建物は? 物資は? どこにそんな金が?」
千歳のツッコミは最もだった。が、クロエはそれを鼻で笑い飛ばす。
「確かに今からじゃ現代での海の家は無理。でも、“過去”なら?」
「……過去?」
「そう!海の家とかまだ存在しない時代に行けば、私たちが初めての店になるのよ!つまり──」
「独占販売!!」
佳苗が合いの手のように叫び、バチン!と扇風機の風を奪い取った。
「いやいやいや!! 何言ってんの!? 過去ってどうやって行くのよ!?」
「そこがポイントよ。異世界からの転移だって可能だったんだから、時空跳躍だって不可能じゃないはず!」
「何その謎ロジック!!」
そのとき──事務所の片隅から、ひょこっと一人の少年が現れた。あの錬金術少年ネロだ。
「……あの。ぼく、試作品で“過去の気配がする埴輪゛作ったんですけど」
「なにそれ怖い」
「すこしズレてると先祖が夢に出るってだけで、たぶん使えます!たぶん!」
「いや“たぶん”がもう怖いんだけど!!」
しかしリィナが頷いた。
「時を超えるとは、すなわち神意と熱意の融合じゃ。理屈など不要!商魂があれば行ける!!」
「いや絶対神様の発言じゃない、それ!!」
クロエが勢いよく立ち上がった。
「決まりね!目指すは、誰も海の商売を知らない時代!キャンプしか存在しない、店も屋台も何もない──」
「弥生時代とか言わないでね!? 言ったら本当に行く流れになるからね!?」
「行きましょう、ピコリーナ・カンパニー過去進出部、発足よ!!」
「部、じゃないよね!? 会社だよね!? 一応まだ!!」
こうして、“タイムスリップで海商売”という正気の沙汰とは思えないプロジェクトが始動する。
エアコンの代わりに冷凍埴輪を抱きながら、赤字の帳簿を睨みつつ、ピコリーナ・カンパニーはふたたび未来──いや、過去へと突き進むのだった。
⸻いや、ほんとに前回かっこよく未来に!っていったのに!