「よし、全員出かけたわね」
ピコリーナ・カンパニー社屋、地下通路への重い扉が静かに開く。
休日の朝、社内はしんと静まり返っている。
いや、静まり返っているどころか、あのダークエルフたちの嬌声も、ぶりっ子OLの鼻にかかった声も、聖女霊の無言圧もない。
いつもは神や幽霊やエルフで大賑わいの本社が、今日はまるで人類が滅んだ世界のように無音。
理由はただ一つ。温泉旅行で全員出払った。
「このチャンスを逃すわけにはいかない…!」
スーツの上に動きやすい作業ジャケットを羽織ったクロエは、OL的に計画的な行動力を発揮して地下へと足を踏み入れた。今日この日、彼女が挑むのはピコリーナ社屋地下の禁断の封印区画。かつて仕えていた主、魔王様が封印されている場所だ。
「……ふふ、リィナの奴、ちょっと会社勤めしたからっていい気になってるけど、封印ひとつに私が負けると思ったら大間違いよ」
にやり、と唇を歪ませながらも、慎重に地下の通路を進む。
「さーて、調査開始っと。封印の解読、罠の解除、障害物の排除。今日はきっちり終わらせるわよ。できる女ってのはね、出社してから朝イチで一仕事終わらせるもんなの」
しかしその自信は、すぐに打ち砕かれることになる。
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「……はあ!?」
通路の先、いきなり現れたのは――逆さ吊りになったハリボテのドラゴンだった。鼻からはシャボン玉、尻尾の先はタンバリン、そして口からは「うぉぉおぉ!誰だ我を起こしたのはあああ!」と、明らかに録音音声。
「なにこれ!?罠!?……いや違う、ただの悪ノリ……!!」
本物の封印区画までの道は、意味不明なアホ罠のオンパレードだった。
・踏むとクラッカーが鳴る床タイル
・ミストサウナのように霧が出る部屋(中からはリィナの「働かぬ者、温泉に行くべからず」という音声がループ再生)
・なぜか途中にある試着室(中には巫女服とバニー服と埴輪スーツ)
・「クロエの顔がブスに見える魔鏡」(ネロ作)
「……私がこんな茶番に屈するとでも思った?」
正直ちょっと心折れそうだったが、クロエはなんとか前へ進む。途中、「封印に近づく者、まずは心を清めよ」と書かれた石碑を発見するも、清める手段は水道の蛇口しかなかった。しかも冷水のみ。冬なのに。
「くっ……冷たッッ!!くそリィナ……ッ!」
誰がこんな罠を仕掛けたのか――聞くまでもない。あのアホ女神しかいない。ピコリーナ・カンパニーの現女神。無駄に威厳だけはあるリィナ。
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そしてついにたどり着いた、地下最奥部。
その中央に――封印されし魔王の棺があった。
「……やっと来た……!」
クロエの目が輝く。棺の周囲には魔法陣が七重に張られ、封印の波動はびりびりと肌を刺す。これはただの封印じゃない。結界・封呪・時封・時空転移防止・人格干渉結界・乙女心封印術・二日酔い予防結界……
「えぇええ!? なにこの意味不明な組み合わせ!? どこで覚えたのよこんな魔術!!」
そして極めつけに、魔王の棺の上には一枚の張り紙。
まるでキョンシーのように、ででんと魔王の額に貼られていた。
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《クロエへ》
我が封印の間に来るとは、よほど暇なのであろう。
温泉にも来られぬ者に、封印が解けるはずもない。
働け。以上。
リィナ・ウル・ディヴィーネより
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「……ッッッッあああああああのアホ女神!!!」
クロエは叫んだ。思いっきり叫んだ。地下に響き渡る絶叫。
「しかも手紙、まるで私が来るって分かってたみたいに書いてあるしッ!ほんと腹立つ!なんなの!?未来予知!?透視!?センスが悪すぎる!!」
イライラしながら、封印を調査するクロエ。しかし、何重にも重なった封印はあまりに高度で、手出しできる部分がひとつもない。
「……これ、まるで……閉じ込められてるような……?」
そう思った瞬間、クロエの脳裏にふとよぎるアイデア。
「まさか、求人票で出すことは……できない……か?」
その瞬間、遠く離れた温泉地で、あるOLがくしゃみをしていた。
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「いや、ないな。うちの求人票って、基本的に“採用”が前提だし」
クロエはすぐに頭を振った。
「魔王様を社内で雇用するって……どんな業務につかせるつもりよ。会議?営業?温泉掃除係? ……いや無理無理無理無理!!!」
結局――
どれだけ調べても、クロエには封印を解除する手段は見つからなかった。
まるで試されているかのような高度な結界。
そして、リィナの挑発めいた手紙。
「はぁ……私、まだまだなのね……」
肩を落としつつも、クロエは一度立ち止まって振り返った。
魔王の棺は、相変わらず静かに、厳かに、しかしどこかユーモラスに鎮座している。
まるで「焦るな」と言われているようだった。
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地上に戻る階段を上りながら、クロエはぽつりとつぶやいた。
「ま、今の生活も悪くないし……」
でもその口元には、小さな意地が残っていた。
「次こそは、絶対に、アホ女神を出し抜いてやるんだから!」
クロエの野望は、まだ終わらない。
了解しました。それでは、今のシーンに繋げて、本編の「第二部完結編」の続きとしてバス内の会話パートをコメディタッチかつ不穏さも含めたトーンで執筆します。分量は約2000文字前後で描写し、そのまま次章に繋がる構成にします。
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一方その頃。
旅の帰路を進む観光バスの中は、すでに夜の帳に包まれていた。
「……すぅ……むにゃぁ……んふふ、埴輪カフェ……フレンチトースト……」
「きゃぴ~~ん♡ セラスさんと混浴~♡ わたしのラッキーすけべポイントが爆上がりなのですぅ~……」
「…………」(セラスは無表情で寝ている。むしろ目を開けたまま眠っているというホラー状態)
バスの中は疲労と満腹により、社員たちの大半が爆睡。
ヨモツに至っては、自作の「埴輪型ネックピロー」でぐっすり夢の世界だった。
車内の暖房と走行音に揺られながら、空間には緩い眠気と平和が満ちている。
そんな中――
「……起きてるのは、お主だけか。珍しきことじゃな」
千歳は最後列の窓際で、リィナと並んで座っていた。
「んー、なんか……眠れなくて」
「ふむ、旅の余韻というやつか」
千歳は缶の麦茶を口に運びながら、ふと思い出したことをぽつりと尋ねた。
「……そういえばさ。前に言ってたよね、地下に魔王を封印したって」
「言ったな。事実じゃ」
「え、それってつまり今この瞬間も……?」
「うむ、今も地下に封じられておる。たぶん今ごろクロエが、涙目でアホな罠に引っかかっとるじゃろう」
「え、ええぇ……まずくない!? クロエに解かれたりとか……!」
「問題ない。我の封印じゃぞ。魔力的に、クロエと我では桁が五十違う。クロエは鍋、我はダムじゃ」
「……すごいけど例えが家庭的だな……」
「しかもな」
リィナは少し声を潜め、隣の寝息に耳を澄ませながら続けた。
「実はな、あまりに強大すぎて、我自身ももう解けんのじゃ。封印したはいいが、鍵をどこに置いたか忘れた、みたいなものじゃな」
「ダメじゃん!? 管理できてない神って何!? 業務怠慢でしょそれ!」
「安心せい。その代わり、封印に反応できる者がひとりだけおる」
「え、誰?」
リィナは静かに千歳を見た。
「お主じゃ、千歳」
「……私!?」
「そう。我の力の外側にあり、かつ“人間”であり、“異界と契約可能”であり、“求人票にあらゆる存在を登録できる者”。封印を“解く”可能性があるのは……お主だけじゃ」
「……」
「ふむ、驚いたか」
「……いや、驚いたけど、もっと驚いたのは――」
千歳はゆっくりと後部座席の一点を指差した。
「ねえ、リィナ。なんでさっきから、佳苗のことずっと見てるの?」
リィナの視線は、前方の通路をはさんだ向こうの席。すやすやと寝息を立てている佳苗を、何とも言えぬ顔で――冷たく、鋭く、睨みつけていた。
「……この娘じゃ」
「え?」
「我にとって――魔王より恐ろしいのは、この娘じゃ」
「……え? え?」
千歳はあわてて首を傾げた。
「なんで!? 佳苗だよ? あの、埴輪カフェとか混浴とか変な夢見てる佳苗だよ!? 魔王より上なの!?」
「うむ」
「なんで!?」
「それは……いずれ分かる」
「なんでだよぉぉおおお!!」と千歳が心の中で叫んだその時、
「……んにゃ? 千歳ちゃ~ん? ふぇへ……どこ見てるのですぅ~?」
佳苗が夢の中からふにゃっと顔を起こした。
「こ、こっち見んな寝てろ!今お前がいちばん怖いって言われたとこだよ!!」
「ひどいのですぅ~~!?」
⸻
地下通路・その頃
「……へ、へっくしゅん!!」
クロエが地下通路で大きなくしゃみをした。
「誰よ!? こんなときに私の噂してんの!?まさか千歳!? あの女神と井戸端会議してた!?あのやろう……!」
それでもクロエの指は、魔王の封印陣をなぞっていた。
僅かに、ほんの僅かに、魔力の軌跡が揺らいでいる。
「……もうすぐよ、魔王様」
その目は、本当に嬉しそうだった。
あとは千歳に求人票を書かせれば!
第二部 完
クロエ「ここで!?」