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第38話 佳苗のカミングアウト

佳苗は困っていた。


……とても、ものすごく困っていたのです。


「どうして、なのです……」


愛用のサンダルが、ついに壊れてしまった。


右足の鼻緒が、ぷつんと音を立てて今世を去ったのだ。


代わりの靴はあるにはあるけど、朝の雨に濡れてしまい、まだびしょびしょである。




「私の靴でよければ、貸すよ?」


救世主は意外なところから現れた。そう、千歳である。




「ありがとうなのですっ!!」


佳苗は満面の笑みで靴を受け取ると、クロエと一緒に近所の靴屋へ。


新しいサンダルを買って、ついでにパフェも食べて――


「今日は最高なのです~♪」


と、ご機嫌で会社の10階(通称:自宅)に戻る途中。




やってしまったのです。




「……やっちゃったね」


クロエの表情が少し引いている。


なぜなら佳苗は、通称“地雷”を踏んだのである。


靴底にべったりと、未確認生命体がこびりついている。


「やばいのです!ウンコなのですッ!」




千歳の靴に……ウンコを……踏んでしまったのです。


佳苗は絶望した。




「……洗って返すのです」


必死に洗った。何度も洗った。


だが。


ぷーん。


どこからともなく、におうのです。たぶん幻臭です。いや現実です。







「ごめんなさいなのですううぅぅ!!」


佳苗は涙ながらに、社長室(会社3階)へと向かった。




その頃、社長室では。




「この依頼、けっこう難しいなぁ……誰に頼もうかな」


千歳はPCの前で唸っていた。クライアントからの要望は――


『七夕祭りのイベントで、織姫と彦星の寸劇をやってほしい』


という、なんともアレな案件である。


「女神と魔王でいっか。片方ずつ神と悪でバランス取れるし」


安直極まりないキャスティングを思いつき、千歳はスマホでLINEをポチポチ。


『七夕の織姫と彦星の寸劇、やってくれる?』

送信。


(いがみ合わなきゃいいけど……)




そんな時、コンコンとノックの音。




「入っていいのです?」


「ああ、どうぞー」


入ってきたのは佳苗。なにやらもじもじしている。


(ああ、なるほど。織姫役、やりたいのか。じゃあ彦星はセラスあたりにしよっか)


千歳はわかってるよ、10年以来の付き合いだもんね。と笑顔を見せる。


その笑顔に、佳苗はぞっとした。


こういうときの千歳の“わかってるよ”みたいな笑顔は、だいたい何もわかってないのです。


「……あのですね。千歳。わたし……カミングアウトしなくちゃいけないのです!!」


ちっぽけな勇気を振り絞って、佳苗は叫んだ。







その頃、社長室の前。


ノック寸前の女神リィナが、ぴたりと手を止めた。




「カミングアウト……? 佳苗が?」


「どうしたリィナ。余はまだトイレ掃除中だ。とっとと断って仕事に戻りたいのだが」


魔王が後ろからぼそぼそ言っている。




「待つのじゃ魔王。これは……ただごとではない。佳苗が、ついに己の正体を明かすつもりなのじゃ……!」




「まさか……!」


「そのまさかじゃ。彼女が破壊神であることを、千歳に告げる気なのじゃ!」




魔王の表情がこわばる。


「それはヤバいのではないか? なんか……最終回みたいな空気出てこない?」


「魔王。メタ発言は控えるのじゃ。仮に完結しても、外伝や番外編としてちょいちょい続ければよい!」


「おぬしもメタいぞ、女神!」


「話を戻せ。問題は、千歳が佳苗が破壊神と知った時、どうするかじゃ」


「……あいつ、たぶん言うよな。『じゃあなんか破壊してみて』って」


「で、佳苗が『では地球を壊すのです!』とか無邪気に言い出して……」


「世界が終わるのじゃな」


リィナと魔王は静かにうなずいた。


つまり。


「今この瞬間、世界は存続の危機にあるのじゃ!!」


「止めなければ!」


リィナと魔王が力を合わせて社長室のドアを開けたのだった。


「どうしたの2人とも」


唖然とする千歳。


「待て佳苗。また早い! まだ我は早いと思うのじゃ!」


「今この瞬間、世界は存続の危機にあるのじゃ!!」


「止めなければっ!!」


女神リィナと魔王が力を合わせて、勢いよく社長室のドアを――


バァァァン!


「どうしたの二人とも」


唖然とするのは千歳。


カフェオレ片手に、完全に油断した顔である。


「待つのじゃ佳苗! 世の中には……言ってよいことと、悪いことがあるのじゃ!!」


リィナが全力で佳苗の前に立ちはだかった。



「確かに……確かに、ウンコを踏んだなんて言ったら……」


佳苗はリィナの目をまっすぐに見つめながら、神妙な表情でうなずく。


「千歳はショックで寝込んでしまうかもしれないのです……!」


「……え? ウンコ?」


魔王の眉がぴくりと跳ねた。


「佳苗よ……確かに親友に真実を伝えたい気持ちは理解できる」


リィナの目が潤む。


「だが……その後の関係はどうなる? 今と同じままだと……言い切れるか?」


「うぅ……親友を……失いたくないのです……」


佳苗、完全にリィナの勘違いに便乗しながら涙目。


3人で話し合いをいまいち聞き取れない千歳がふと口を開く。


「……あー、リィナ。神の加護とか言って勝手に買ってきた謎の籠、部屋の隅にずっとあったやつ。邪魔だったから捨てといたから。」


「千歳ぇぇぇ!! なんてことをするのじゃ!! あれは! あれは清めの結界じゃったのにぃぃ!」


「あと魔王。あんたのその変なマント。今後社内で**着用禁止ね。**後ろ歩くとき、邪魔くさいのよ」


「千歳ぇぇぇぇえええ!! それは魔王としての! 魔王としてのアイデンティティの最後の砦だったのにぃ!!」


リィナと魔王、そろって意気消沈。


部屋の隅でしょんぼり体育座りしている女神と魔王。なかなかにシュール。


そんな中、千歳はふっと微笑んで、佳苗に向き直った。


「とまぁ、佳苗。言いたいことがあるなら、言っていいのよ?」


「……え?」


「私はずっと佳苗の親友だから!」


――その言葉に、佳苗の胸がじんと熱くなる。


「ありがとうなのです……! それなら、気兼ねなく言えるのです……!」


「……うん。で、なに?」


「千歳の靴でウンコ踏みました!!」


「……は?」


「はい! 思いっきり! べっちゃりと! 洗いましたが、めっちゃ匂うのです!」


千歳、コーヒーを吹いた。


「よりにもよって私の靴!? ていうかそれ、言わない方が良かったやつじゃない!?!?」


「……でも、言ってよかったのです!」


「おい!!」


リィナと魔王は社長室の隅でボソッとつぶやいた。


「……世界、壊れなかったのじゃ……」


「というか、壊すほどでもなかったのだな……ウンコ……」




――ピコリーナ・カンパニーの世界は、今日もギリギリで守られたのであった。



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