休憩室で、煎餅をかじりながらダラダラとテレビを見ていた。
――ああ、今日は全国的に七夕なのか。
千歳はポリポリと音を立てる。私の知識が正しければ、北海道の七夕はひと月遅れでやってくるはずで、あんまり実感がわかない。
「短冊に願いを書いて笹に飾ると、願いが叶うんだってさ。迷信だけど」
テレビの特集を見ながら、千歳がぽつりと言うと――
「なんじゃあれは」
背後からリィナの声がした。指さす先には、テレビ画面いっぱいに映るカラフルな短冊と笹飾り。
「紙切れで願いが叶うとは、図々しいにもほどがある。腹も膨れぬではないか」
夢も希望もあったもんじゃない女神である。
「でもリィナの知り合いで、そういう願い叶える神様とかいないの?」
「おるにはおるが……だいたい我と親しいのは、死神とか貧乏神とかじゃな」
「慈愛の女神って、そっち系と仲良くするもんなの?」
「我は確かに慈愛の神。じゃが、この現世の生活で――廃れてしもうてな……」
「人のせいにするな!」
千歳が手元の煎餅でツッコミを入れると、
「そうだぞ女神リィナ。たるんでいるな!」
――どこかから、声が響いた。
「この声は……大地の神!?」
リィナが顔を上げて警戒するが、千歳は呆れたように空を見上げる。
「なんでこの時期に“大地”なのよ。七夕って“星”のイベントでしょ?」
ゴゴゴゴゴッ……!
――3階の休憩室なのに、なぜか床が揺れる。下から地面が盛り上がってくる?
「ちょっと待って。建物壊さないように、サイズ調整して出てきてちょうだい!」
千歳が制止すると……。
しゅるしゅるしゅる……。
――異常に謙虚なエフェクトとともに、普通サイズの大地の神が登場した。
「……我、大地の神なのに……(普通サイズ)」
見上げるでもなく、真正面から目が合うサイズ感。泣きそうな神である。
「で? 何の用?」
千歳が煎餅の食感を止めずに訊ねると、
「世の中、皆して星を見ておる。星に願いをしておる。我のことなんか誰も見ておらぬ……悲しい……」
「知らんがな!」
千歳の即答に、大地の神はしょんぼりとうつむく。
「じゃがここには、リィナをはじめ我を理解してくれる者が多々おる。きっとなんとかしてくれると思って、壮大な演出をして参ったのだが……」
「……依頼料くれるなら、話は聞いてあげてもいいけど?」
千歳が煎餅のかけらをぽいと投げながら言うと、
「ほんとうか!? まことか!? これが慈愛か!」
大地の神の目がキラキラと輝き出す。
「慈愛ではなくビジネスよ」
呆れたように千歳が言い捨てるのだった。
「千歳、なんか上からすごい音したけど、なにごとなのです!?」
――総務部の佳苗が、ドタバタと慌てて休憩室に飛び込んできた。
「(ヒィッ……破壊神!?)」
佳苗の姿を見るなり、さっきまで星にかまってもらえないと嘆いていた大地の神が、反射的に千歳の背後に隠れた。
「なにビビってんのよ」
千歳は眉をひそめるが、本人は状況を理解していない。
佳苗のほうは「なんなのです!?地鳴りと揺れと、あと土のにおいがすごかったのです!」とプンスカしている。
「お主、怖くないのか……?」
背後から震える声がした。
「数千年前……あの小娘の寝返りひとつで、我は宇宙の彼方まで吹き飛ばされたのだ。家に戻るまで五百年はかかった……!」
「何わけわからんこと言ってるのよ。夢でも見てろ」
千歳はため息交じりに振り返る。
リィナはというと、じと目で佳苗を見ながらひとこと。
「……そんな神話があったのか……?」
(あるかもしれん……なぜか否定できぬ……)
「とにかく、大地の神様だっけ?」
千歳は気を取り直し、近くのテーブルから紙とペンを取り出して、大地の神に渡す。
「これに、“僕にかまってください”って書いて、星にお願いしなさいよ」
「本末転倒じゃないか!!」
大地の神が即ツッコミするが、千歳は煎餅をかじったままそっけない。
「七夕って、そういうイベントだから」
「我は大地の神ぞ!? 星などに頼るなど……いや、しかし……それでかまってくれるなら……」
「なびくの早っ!」
「お願いごとを、星に託して……わかった、書く!」
しゃがみ込み、真剣なまなざしで短冊に「かまってください」と書く大地の神。
「こやつ、こんな神だっけ?」
と、リィナが小声でつぶやいた。
「……そうか」
がさごそ。
ポケットからおもむろに取り出したのは、求人票用の書類。
カウンターの上に広げると、ボールペンを走らせた。
『星の神様(臨時)募集! 仕事内容:短冊の願いを叶えること。即日勤務歓迎』
書き終えるや否や、求人票をふわりと空に投げる――
ピカッ!
紙は一瞬で異次元に転送された。
「千歳、また異次元に求人出したのか!?」
リィナが顔をしかめる横で、千歳はあっさりとうなずく。
「だって願い叶える人がいないと進まないでしょ?」
その瞬間――
ズシャァァァン!!
天井を突き破らんばかりの勢いで光が差し込み、星屑のようなきらめきとともに、めちゃくちゃ怒った顔の神様が現れた。
「なんなんだよ!! 今日、一年で一番忙しい日だぞ!?」
叫ぶその姿は、星の神様。
額に星の紋章、ローブの裾からは流星の尾がたなびいている。とても神秘的、だったはずなのに。
怒りで頬がピクピクしている。
「七夕の願いだけで全国一億人分あるのに! なんでこんなとこでアルバイトさせられるんだよ!? しかも臨時ってなんだよ臨時って!」
「……すごい、本当に来たのです」
佳苗が目を輝かせる。
「我の短冊……読んでくだされ!」
大地の神は星の神に短冊を突き出す。
「かまってください、だぁ? こちとらブラックホールの調整で寝てねーんだよ!!」
「お疲れ様です」
星の神の怒号に、大地の神が超絶低姿勢でペコペコしている。
もはやなんでもありの求人票である。
「なんとかなんない? あんた、願い叶える神でしょ?」
千歳が肩をすくめながら言うと、星の神は即答した。
「嫌だよ! こんな契約、無効だ! 僕は帰る!」
ふわっと浮かびかけたその瞬間――
「なんとかならないのですか?」
佳苗が首を傾げて声をかけた。
「ヒィッ! 破壊神!?」
星の神は反射的に千歳の陰に隠れる。
「……あんたまで何ビビってんのよ」
千歳のジト目が突き刺さる。
「お前怖くないのかよ!? 数千年前、あの子のくしゃみで惑星が五個爆発したんだぞ!? いいか!? 惑星だぞ!? 衛星とか、岩とかじゃねぇんだぞ!?」
「……また神話が増えたな」
リィナが静かにメモを取っている。
「……とにかく、僕も死にたくないからね!」
星の神は深呼吸をして、大地の神に向き直る。
「大地の神だっけ? なんとかしてあげたくても、僕にはもうどうしようもないのさ。でもね、君に願いなんかしなくても……この世界に住むすべての者が、言わなくても君に感謝して生きてるんだよ」
一瞬、室内が静まり返る。
「……大地がなかったら、植物は育たない。植物がなければ、動物も人間も生きられない。畑がなきゃ、米も小麦も芋も育たない。食物連鎖の根っこは、全部――君なんだ」
「……」
大地の神の目に、キラリと光るものが宿る。
「我……間違っておった……!」
しゃがみ込むように手を合わせる。
「これからは、己を恥じることなく……皆を幸せにするため、日々精進いたしまするッ!!」
「はいはい、じゃあ依頼料置いてってねー」
依頼料をふんだくると、
「これ給料」
千歳は容赦なく手を差し出し、ひょいと星の神に五円玉を握らせる。
「五円かよ!!」
「……私が見逃すと思った?」
千歳はにやりと笑って、星の神の手のひらを指差す。
「『今日いそがしい』『そろそろ帰りたい』『今週ノルマ五願』って、ぜんぶカンペに書いてあるよね」
「ぬぐぅっ……見られていたとは……!」
「ほらほら、戻りなさい。忙しいんでしょ?」
星の神はチクショーと叫びながら去っていった。
――その夜。
休憩室の片隅に立てかけられた笹には、社員たちの短冊が風に揺れていた。
『痩せたい(切実)』
『部下がほしい』
『クレームゼロ』
『プリン消えませんように』
『もうちょっとだけ寝かせて』
そして、その中央に――
『異世界から来たみんなを、いつかちゃんと帰しますように』
――そんな千歳の短冊が、こっそり吊るされていた。
「……叶うわけないか」
煎餅をかじりながら、千歳は天井を見上げる。
仕方ないか。特別だよ。
『応募職種:星の神の手伝い 希望条件:即帰宅可・出社義務なし・出来高性』
「……人手不足にもほどがあるだろ」
千歳のツッコミが、休憩室に静かに響く。
そして、七夕の夜は――静かに、でもどこか賑やかに、更けていった。