翌朝。
いつも通り、スマホをいじっていた千歳の手が、ぴたりと止まる。
LINE通知:「朝ごはん、良かったら一緒に食べない?」
母からのメッセージだった。
(えっ、また!?)
千歳は思わず起き上がり、画面をまじまじと見つめた。
「用意できたら行くわ」
――それから三分後。
ドアがノックされ、「待った?」と顔を出した母の表情は、露骨にこう言っていた。
(早すぎない?)
「……え、だって、今ここで住み込みしてるの」
言い訳は反射的に出た。決して「隣の部屋に住んでるから」ではない。決して。
⸻
【ピコリーナ本館・一階 食事処「五分亭」】
最上階のレストラン「天上の朝」は、あまりにも神々しすぎるので却下。
今日は地に足ついた朝ごはんを――ということで、千歳は母を一階の食堂に案内した。
「ようこそ五分亭へ。本日は最高級のおもてなしをさせていただきますわ」
ふんわり笑顔で登場したのは、喫茶部門の料理長・エルファ=クレイズ。ドレスにエプロン姿で、ぺこりと優雅に頭を下げて厨房へ向かった。
十数分後、運ばれてきたのは焼き魚、味噌汁、玉子焼き、白米……一見して「普通の朝定食」だ。
「……安心したわぁ。こういうのでいいのよ、こういうので」
「そうね。派手すぎないのが一番よ」
と、ほっとする両親。しかしメニューの端には、
・地獄産塩サバ
・悪魔の農家直送米
・生まれたてすぎる有精卵(割ると泣く)
など、不穏な文言が並んでいた。
「えっ!? ちょ、待って、これは……」
千歳は即座に母の目の前のメニューをひっくり返した。
「これ、広告です! そういうアート作品的な! うちの会社そういうユーモアあるんで!」
母の「???」という表情を力業で流しながら、千歳は何とか次の話題を投げた。
「で、今日行きたいとこある?」
「できたらでいいんだけど……千歳が働いてるとこ、見てみたいかな~なんて」
(やっぱり来たか、このパターン)
千歳はため息混じりにスマホを取り出し、社内一斉LINEを送信。
【緊急通達】
パターン青。両親が来る。
空室を“まるで仕事してる風の部屋”にして!
その上で、近くにいたドワーフのおじさんに小声で頼む。
「頼む、例の“窓際族感あふれる部屋”を急ピッチで仕上げて!」
⸻
【ピコリーナ本館・3階 事務所前】
2階のジムとリラックスルームはまだ営業時間前。
千歳は両親を連れて3階へと上がった。するとそこには――
「将軍様、御局様、おはようございます♡」
クロエが満面の営業スマイルで立っていた。
「これより先は、企業秘密につきご案内できませんが……千歳さんの“仕事部屋”にはご案内いたします♡」
そう言って、エレベーターの地下ボタンをぽちり。
「……地下なの?」
「ええ、深層業務部……的な?」
やがてエレベーターはがっちゃん、と鈍い音を立てて停まり、暗い地下通路が広がる。
「お気をつけてください。罠が仕込まれておりますので♡」
「罠!?」
千歳が慌てて口を挟む前に、両親の目の前でスライムがびょいんと跳ね、落とし穴(フェイク)がぽこっと開き、謎のバナナトラップが転がっていく。
「くだらなッ!?」
壁に“励ましの言葉”が書かれているが全部嫌味が数枚をスルー。
そして歩くこと十分。
クロエが立ち止まり、微笑んだ。
「……こちらが千歳さんの仕事部屋です♡」
がちゃん。
金属製の重たい扉を開けたその先――そこにあったのは、どう見ても牢屋だった。
薄暗い照明、カビくさいコンクリ壁、畳一畳ほどのスペースに、みかん箱の机とイス。
隅にはなぜか和式便所。窓には鉄格子。天井からはポタリ、ポタリと水滴の音。
……その静寂の中で、千歳の両親が、黙って部屋を見つめていた。
「…………」
「…………」
しばらく沈黙。
母が、そっと千歳の顔を見た。
その目は、まるで――
《うちの子……こんな酷い環境で働いて……》
《それでも何も言わずに頑張ってたの……?》
そんな“お涙頂戴感”に満ちていた。
(ち、違うのッ!!)
千歳は、心の中で全力否定。けれど、言葉にする前に父がぽつりとつぶやいた。
「千歳……つらかったら、いつでも帰ってきていいからな」
「!? ちが――これ! これ演出だからっ!!!」
千歳は身を乗り出して叫んだ。
「これは……えっと……体験型企業アトラクション! うん、そう! “過酷な環境で働いてみよう”っていう、期間限定の企画で!」
「ずいぶんリアルね……和式便所が泣けるわね……」
母の声が震えている。
千歳は焦って続ける。
「演出なの! ガチじゃないの!! 本当はもっとちゃんとしたオフィスあるから!」
「でもクロエさんは“ここが仕事部屋”って――」
「クロエは演技力が高すぎて困ってるの! 普段から“神対応女優枠”で採用してるの!」
ドタバタしながらも、なんとかごまかそうと必死に叫ぶ千歳。
だが、母がふと口を開いた。
「千歳」
「な、なに……?」
「お母さんね……ちょっと思い出したの。昔、あなたが小学生のとき、ダンボールで“自分の部屋”って作ってたじゃない」
「えっ……?」
「『これはひみつの空間だから』って言って、お菓子持ち込んで、絵本と折り紙でいっぱいにしてて……なんか、それを思い出しちゃった」
しみじみ語る母。
千歳はぎくりとする。
「千歳……ずっと、がんばってきたんだね」
「ちがっ……いや……まあ、がんばってるけど……っ!」
「お父さん、会社に電話した方が。社長さんに環境改善を――」
「だからその社長が魔王だから無理だってばァァァァ!!!!!」
千歳の悲鳴が、地下に響き渡った。
(……誰か! この“悲しみ感動バレ未遂ルート”止めてくれ!!)
こうして多分壮大な勘違いをしたまま、辛かったら帰って来いを何度も言われながら両親は帰っていった。
だが、帰りの電車内でピコリーナ・カンパニーをスマホで検索する父。
「なんだ。千歳が社長だったのか。まぁ色々おかしかったもんな」
「あの子なりに安心させようと思ったんでしょう」
取材を受けて半笑いして受け答えしている娘の姿を見て少しだけ心配がとれる2人なのであった
追記。記事には「うち、ある意味なんでもありです」と、¨笑顔¨で答える片桐千歳社長とピコリーナ・カンパニーの皆さん。と社員一同のピース写真がうつっていたのであった。