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第45話 神の降臨(物理)

「支配人。ご相談があるのですが」


昼下がりの社長室に、ノックの音と共に声が響いた。


社長兼支配人の千歳は、書類に目を通す手を止めて顔を上げる。


「田辺さん? どうかしたの?」


田辺誠一。五十八歳。元・隣のブラック企業で営業課長をしていたが、その会社がまるっと潰れた直後、ピコリーナ・カンパニーに拾われた男だ。


現在はグループ傘下の「ホテル・ステラ」でフロントマネージャーを務めている。


物腰柔らかで、まじめな常識人。言ってしまえば、ピコリーナ社内では貴重な“普通の人”。


「ええ。ちょっと……お客様の件で」


「クレーム?」


「いえ、むしろその逆でして。ちょっと変わったお客様なんですが」


千歳は首をかしげる。


「うちの従業員が“ちょっと変わってる”のは慣れてるけど、お客様まで?」


「実は──もう十日も連泊されてるお客様がいまして」


「ほう」


「部屋から一歩も出ず、一番安いシングルルームにこもりきり。食事は一日一食、しかも頼まれるのは……カップ麺だけなんです」


「でも、お金は?」


「……ええ。前金で一ヶ月分、きっちり」


「じゃあ、いいじゃない。健康はちょっと心配だけど、個人の自由だし」


「そうなんですが……その……たまに部屋から叫び声が聞こえるんです」


「叫び声?」


「“ああ、神よ! 何故私に降臨しないのだ!”って……」


「……それはまた、なんというか……メンヘラ感あるわね……」


「支配人、神とか悪魔とか、お好きでしょう? 得意分野そうですし」


「いや別に好きで選んでるわけじゃないから。勝手に来るだけだから」


千歳がため息をついた瞬間、社長室の窓の外にふわりと金の光が漂った。


「……で、降臨してほしいとか申しておるらしいな?」


神々しい光とともに、白いドレスを纏い、ふわりと浮かびながら現れたのは──


「リィナ……女神、登場しないでよ、そういう感じで」


「我が導かぬことには、世界の均衡が──」


「その辺の中年男性の部屋から神よ!って叫ばれたくらいで来るんじゃない!」


「主の声が強すぎたのじゃ」


「嘘だな?」


「嘘じゃ。暇だったのじゃ」


軽くて浮かれた女神・リィナは、部屋の中をふわふわと旋回しながら言う。


「で? 会ってみるの?」


「ふむ……その者に会うか会わぬか、それは我の気分──まぁ、面白そうじゃし会ってやるか」


「動機、軽いな……」


リィナはゆるりと回転しながら、「異常に強い神の気配を感じたから来た」とか適当なことを言っているが、暇つぶしに決まっている。


だが、事態はこの“暇つぶし”を境に、大きく転がり始めるのだった──


部屋番号は「213」。


その扉の前で、女神リィナは浮いていた。


「ぬぅ……神を呼びつけるとは、どんな身の程知らずかと思えば」


「勝手に来たのリィナでしょ」


千歳はぼそりと突っ込むが、聞いていないようだ。


「まぁよい。神は慈悲深く、民の声に耳を傾けるもの。扉の向こうの主よ、我が姿を見よ!」


「ちょっと、ノックくらい──」


ドアノブを回す前に、扉はガチャリと開いた。


中から出てきたのは、顔に深いクマを刻んだ中年男。髪は短く刈り込まれ、肌は浅黒く、目つきは鋭い。かつて地元で名を馳せた、伝説の特攻隊長──らしい。


「来てくれたか! 俺の前に……本当に、降臨してくれたのかっ!」


「お、おう」


千歳は一歩引いた。


圧がすごい。呼吸も重い。というか近い。


「俺は! 恋愛小説家になりたいんだッ!」


「えっ?」


千歳とリィナがそろって聞き返す。


「……顔と体つきに、全然向いてない」


「やっぱりそう思いますよねぇ!? あ、いや……でも、俺、どうしても……!」


その男──辻倫太郎(つじ りんたろう)、42歳。


元・暴走族総長、のちに特攻隊長を務めた熱血硬派。現在、無職。母親と同居中。


思い立ったのは一ヶ月前のこと。


「もう俺、タイマンとかしたくねぇな……」


ある日そうつぶやいて、部屋でスマホを眺めていたとき。おすすめ動画で出てきたのが、「恋愛小説家の1日」だった。


「……これだ。俺も、こんな風に、静かに誰かを想いながら文章を綴りてぇ」


その瞬間、辻倫太郎は決意した。


俺、恋愛小説家になるわ。


当然、周囲は止めた。というか笑った。というか殴られた(母親に)。


だが、辻は止まらなかった。


地元の人間に見られるのは恥ずかしい。だから自宅を離れ、話題になっていた「色んな意味で有名のホテル」に缶詰状態で挑戦することにした。


「で、進捗は?」


「いや、それが……ゼロ」


「ゼロ?」


「書いてねぇ」


「書いてないんかい!!」


千歳が即ツッコミを入れる。真顔でノータイム。


「いや、書こうとしたんだけどさ、どうにもアイディアが出ねぇ。そもそも恋愛したことねぇし、どういう気持ちで書けばいいのかも……わかんなくてよ……」


「なら、なんで恋愛小説なんか目指したの」


「……なんか、かっこいいから」


「動機が完全に中二病だな」


すると、ふわりと宙に浮かんでいたリィナが、辻の顔をまじまじと見つめて言った。


「主の願いは、理解した。だが──その面で恋愛を語るには、相当の腕が必要じゃな。出直して参れ」


「そこをなんとかぁぁぁ! 俺に愛の物語を書くチャンスを! アイディアを!」


「我は神ぞ? そもそも恋愛したことなどないし、妄想力にも限界が──」


「妄想力?」


「お?」


「妄想って、必要なんですか?」


「恋愛においては必須じゃ。すべては、己の脳内に紡がれる幻想から始まる」


千歳がじと目でリィナを見た。


「……あなた、それっぽいこと言ってるけど、現実逃避と妄想ばっかりしてるから、力失ったんじゃないの?」


「ぐっ……!」


それでもリィナはぷいっと横を向き、空中をひと回り。


「まぁ、どうしてもと言うならば──千歳。あれじゃ。ほら、あるじゃろ。例のアレ」


「……ああ、もう。出たわね」


千歳はデスクの引き出しから、一枚の紙を取り出した。


異次元求人票。どんな職種でも、異世界に投げ込めば、それっぽい人材がやってくる、という不思議な媒体。


「じゃあ、もう知らないからね? 恋愛小説の“編集者”ってことで、募集するよ。臨時で!」


千歳が求人票を空中にポイッと投げると、紙は光に包まれ、パシュッと音を立てて消えた。


そして数秒後──


ボンッ!


空間がぐにゃりと歪み、地面に何かが落ちた。


カタツムリだった。


「……なにこれ。アニメみたいな、でっかいカタツムリ……?」


「ワイこそが編集者歴三百年。恋愛小説家をうんびゃく人育ててきた、異次元の編集者・カタツムリである! で、まさかと思うがこいつが作家とは言わないだろうな! 無理だからな!」


辻が思わず叫んだ。


「両生類にまでバカにされてたまるかぁぁあああ!!」



「編集者・カタツムリ」──その名の通り、でっかい殻を背負ったアニメ調のカタツムリは、部屋の床にぬるっと這い出した。


目玉がにゅるりと伸びて、辻倫太郎を観察する。


「ふむ。よーく見ると、見た目はゴツいが、根性だけは評価する。恋愛小説家としての資質は――ゼロじゃな」


「いきなり言うか普通!?」


「だが、ゼロであればこそ、伸びしろしかない。ワイが鍛えた作家どもも、最初はみんなポンコツだった。寝ぼけて書いたラブレターで火事を起こしたヤツもいた。だがそいつは今や、五千部売れている」


「えっ……微妙……」


「静かにせぇ! 五千部は五千人の恋人を生んだんや!」


「そんな物理的に言わないでください」


カタツムリは胸(たぶん)を張った。


「倫太郎、お前に必要なのは“愛の妄想力”や!」


「妄想力……?」


「そう! 恋愛とは、頭の中で一億回繰り返す失恋から生まれる神話! 百万人と出会って、脳内で付き合って、フラれて、また立ち上がる! それを文字にするんや!」


「ちょっと怖いこと言ってない?」


リィナが小声で呟くが、カタツムリは構わず続けた。


「というわけで、お前には“妄想トレーニング”を受けてもらう!」


「で、でも俺、妄想とか得意じゃねぇし……」


「それならワイが補助してやる!」


カタツムリの触角がぐにゅりと伸びる。


「えっ、何!? やだ! ちょっと待っ――」


ズガァァァァンッ!!!


世界がひっくり返った。




* * * 




──辻が目を覚ますと、そこは真っ白な空間だった。


見渡す限りの純白。天井も壁も床もない。ただ、そこに立つ“彼女”だけが、現実の色を持っていた。


「……はじめまして、先輩♡」


「だれ!?」


「私は“脳内妄想シミュレーター”ですっ。あなたが理想とするヒロイン像を、勝手に補完して具現化しました♡」


「勝手にすんな!」


「さ、では今日のテーマは“出会い頭の恋”です! 主人公・辻倫太郎は、通学中に女子高生とぶつかって……」


「俺おっさんだぞ!? 職質されるやつやん!」


「いえ、今のあなたは脳内17歳設定ですっ」


「マジかよ!!」


勢いよくぶつかる二人、散らばる教科書、そして


「あっ……ご、ごめんなさいっ」


ヒロインが慌てて拾い始めるノートの上に、二人の手が触れ合い――


「すまねぇ、指が汚れてる。バイクいじった帰りで……」


「いえ……むしろ、かっこいいと思います……♡」


「こっっ恥ずかしい!!!!!」




* * * 




──現実世界──ピコリーナホテル・ステラ213号室。


ベッドの上で痙攣する辻倫太郎。


「……ああ、俺、いま妄想で女子高生と恋に落ちてる……!」


「なにしてるの、あの人……」


千歳が遠巻きに見守るなか、カタツムリ編集者が満足げにうなずいた。


「よし。ようやく“脳内恋愛レベル”が1に上がったな」


「……なんか、もっとヤバい方向にいってない?」


「神よ、これは一体……?」


リィナが、ふるふると震えながら言う。


「人間というものは……常に、想像と現実の狭間で、悶え、叫び、それでも前に進むのだ……」


「わからぬ!」




* * * 




そして2ヶ月後。


喫茶ピコリーナ。佳苗がコーヒーを淹れているカウンターで、珍しく真面目に本を読んでいた。


「え? なに読んでるの?」


千歳が聞くと、佳苗は小さく答える。


「これなのです……“愛と鉄拳とマッチョ魂”……っていう小説なのです」


「恋愛小説なの、それ?」


「作者の名前、“辻倫太郎”なのです」


「まさか……あの……?」


「恋愛小説って聞いたのに、全員マッチョで、しかもヒロインがマッチョ娘だけで、最終的に“娘をくれ”って言ったら“ならば俺を倒せ”って親父が出てきて、バトルものになったのです」


「……恋愛どこいった」


「でも、なんか、熱かったのです。むしろ恋って、こういう熱さなのかもって……ちょっと思ったのです」


千歳はふと、窓の外を見やった。


サインもらってたほうがよかったのかな?

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