──夜の浜辺に、戦の名残が漂っていた。
「ふふっ……やったわね。全員、片付けたわ」
赤いツインテールをかき上げながら、クロエの瞳がルビーのように光った。
砂浜には倒れた黒装束の山賊たち。
黒炎党──戦国時代に突如現れた「武装組織もどき」は、遠い未来、いや千歳からみた現代知識と若干の魔法は微塵のかけらもなく物理(と、埴輪)によって見事に殲滅された。
「へっ……もう動けん……就活より疲れた……」
千歳は浜辺にへたり込み、遠くの波を見つめていた。
「埴輪軍団、意外と役に立ったのです♡」
佳苗がぴょこりと手を挙げ、満足げに笑った。
──そのとき、浜辺の小道から、ざくざくと草履の足音が近づいてきた。
「おぬしたち、ここにおったか!」
声の主は、以前顔を合わせたあの男──
「利家様なのです♡」
佳苗は慌てて頭を下げ、浴衣の泥を手早くはらった。
「うむ、見事な働きであった。黒炎党の残党ども、すでに城下でも話題となっておる」
利家は長槍を背に立ち、満足げに頷く。
「そなたらの助太刀、まことに感謝する」
「い、いえ! わたしたち、べつに報酬とか見返りとか、そういうつもりで戦ったわけじゃ──」
千歳が慌てて首を振るが、その肩にクロエが手を置いた。
「……商機とは、信頼と実績から生まれるものよ」
その目は光っていた。ルビー色に。完全に“金の匂い”である。
「ふむ。であれば──」
利家は腰の風呂敷から何やら巻物を取り出す。
「この海辺一帯において、そなたらに“商いの許可”を与える。物資の取り引き、屋台の設営、宿の経営、いずれも妨げぬものとする!」
「えっ、マジで!?」
千歳が立ち上がる。
「やったぁ~っ♡ 合法的に商売できるのです♡」
佳苗が飛び跳ねる。
「契約書は……っと、はい。こちらに印を」
「契約書は……はい、こちらに印を」
クロエはいつものように懐からA4サイズの現代風の契約書を取り出した。
「よ、よし! これでついに──」
「──でも、売るものなくない?」
冷静な声で千歳が現実を突きつけた。
「……」
海の風が吹く。
一同、見事なまでの沈黙。
「……え、いや、でも……あれだよ、屋台って言えばさ、焼きとうもろこしとか?」
「それ仕入れ先ないよ」
「そもそもトウモロコシ栽培してない時代でしょこれ」
「じゃあ、あれよ! おしゃれな現代グッズ! 推しキーホルダーとか!」
「だれの推しだよ……」
「……なら、輸入すればよいのでは?」
クロエがふと、魔石のペンダントを取り出した。
「──フッ。ついに神の加護を使う時がきたようじゃなあれば、次元通信の儀式をヨモツに繋げることにしよう」
「えっ、そんなファンタジー便利通信できんの!?」
「送れるものは小型かつ、神の認可が必要な品だけじゃが──」
「よし、それでいこう!」
「いいのか!? この手段で……!」
そして、数十分後──
光に包まれた転送陣が砂浜に輝き、「現代品」が届いた。
「やった! 届いたぞ……!」
「こ、これは──っ」
「え……埴輪?」
「……ちがう。これは……算盤(そろばん)だ」
砂の上に並んだのは、なぜか立派な木製の算盤、20個。
「え、えぇぇぇぇぇぇええええええええええ!!??」
「それ、誰が買うの!? この戦国で!? 誰向け!?」
「……でも、褒美で商売許可出たんだし、なんとか……なる、よね?」
砂浜に、算盤。
潮風に、溜息。
──ピコリーナ・カンパニー、戦国の地で“そろばん屋”としての第一歩を踏み出す──(かもしれない)
「──して。そなたらはこの地で商売を始めるというたな」
前田利家の声が、城の広間に低く響いた。
大名らしく立派な座敷に、香のかおりが漂っている。
千歳たちは畳に正座し、緊張気味だ。
いや、クロエだけはいつものように契約書を用意しているが。
「ところで……」
利家がふと、鋭く問いかけた。
「何を売るつもりなのだ?」
「……」
ピコリーナ・カンパニーの面々に、緊張が走る。
「……そ、それがですね……」
千歳が、後ろの包みからおずおずと木製の物体を取り出す。
「こ、こちらです」
「ふむ……?」
利家が前に身を乗り出す。黒塗りの木、玉が整然と並び、板に仕込まれているそれ──
「これは……埴輪か?」
「ちがいます。埴輪っぽいけど……ちがいます」
「ではなんだ? 武器か? 防具か? あるいは……儀式の道具か?」
「ちがいますってば!!」
千歳はあたふたしながら、算盤を膝の上に置き、口調を切り替えた。
「これは“そろばん”です」
「そろばん……?」
「計算に使う道具ですよ。たとえば──」
千歳は懐から紙を取り出して畳の上に広げた。
「十両と五両を足すと、いくつになりますか?」
「……十五両、ではないか?」
「そうです。でも、これを“速く、正確に、たくさん”計算できるのが、そろばんです!」
パチパチッと、千歳の指先で珠が弾かれた。
「ほら、こうやって──一、一、足して……ほら! 答えがすぐに出るんです!」
「おおっ……!」
利家が身を乗り出す。
「これは……算術か? まるで呪文のようではないか……!」
「はい! しかも、“読み書きそろばん”といって、商人や役人にとっては最強の武器なんです!」
「強くはないけど、正確です!」
「冷静です!」
「うむ……!」
利家の目がキラリと光る。
「気に入った! この“ソロバン”、すべて買い取ろう!」
「えっ」
「えっ」
「えぇぇぇえええええっ!?!?」
ピコリーナの面々が揃って立ち上がる。
「よいか、我が家中にはまだ算術に疎い者も多い……これで軍の台帳も、税の管理も、商取引も一新されようぞ!」
「で、でも、ほんとうに使えるんですか……?」
「わしは分からぬが、見た感じおぬしらが使いこなしておる。ならば、教えることもできよう」
「えっ、そ、そりゃまあ、いちおう……」
クロエがこっそり耳打ちする。
「……“そろばん教室”という新事業、始めてみます?」
「そろばん教室!? 戦国で!? いや、でもアリかもしれん……!!」
こうして、戦国の地でピコリーナ・カンパニー初のビジネスが成立した。
──翌日、前田家の屋敷内にて。
襖が開くと同時に、家臣たちのざわめきが止んだ。
「本日はようこそお集まりくださいましたーっ! こちら、戦国初の“そろばん教室”です!」
満面の笑みで、千歳がポーズを決める。
その隣では、クロエが眼鏡と書類片手に真面目な顔。
「本講座では、三日で基礎が学べ、七日で簡易な帳簿が読めるようになります。成績優秀者には“そろばん認定・初級”の称号と、こちら──」
「“褒美の饅頭”が授与されます♡」と佳苗がにっこり。
「おぉぉぉぉ!」
「それはぜひとも!」
家臣たちの目がギラリと光った。主に饅頭に。
「えー……では、まずは数の読み方から。はい皆さん、声に出して~!」
千歳が黒板代わりの板に、漢数字とそろばんを並べて見せる。
「いち、に、さん、し──」
「いち、に……よ……し? よしなのか?」
「ちがうちがう、“し”! “し”です!」
「し、し、し……!」
なぜか全員、死にかけた顔になっていた。
「そ、そこまで“し”を連呼しなくてもいいから!?」
──地獄の数の授業が終わったあと。
「では次、加減算の練習に入ります」
「ま、まだ続くのか……!」
「この木の棒……“そろばん”を使います。いま私が動かすので、皆さんも手元のそろばんでまねしてください!」
千歳が手本を示す。パチ、パチッと心地よい音。
「……できたっぽい……?」
「そ、その……四足す五は……なんじゃこれ、九か?」
「すごいです、利家さま! 正解です!」
「わし天才かもしれん!」
「まさか……殿が計算できるようになるとは……!」
「感動だ……!」
いや、感動のハードル低すぎるのでは!? と千歳は心で突っ込んだが、これはこれで教育の成果だ。たぶん。
──
講座の終わり、利家が改めて口を開いた。
「うむ。見事な道具よ。“そろばん”なる秘術──これは武具以上に兵の力を底上げする……!」
「そこまで!? 武具以上!?」
「商も兵も、結局は“数”と“記録”よ。これを用いて民の納めし米や銭の管理がなされば、無駄も失せよう」
「そ、そういう思想なら……まぁ正解かも……」
クロエがすかさず追撃。
「では、そろそろ“次の納品”と“月謝”について、契約書を──」
「うむ、よい。全てこの利家に任せよ!」
「ふっふふふ、これは良い取引でございます♡」
なぜか瞳が光ったクロエを見て、千歳は背筋に冷たいものを感じた。
──そして、その夜。
「……そろばん、全部売れたけど、次どうする?」
「ヨモツさんにまた連絡して、送ってもらおうか?」
「今度は“埴輪”じゃないもので……!」
「言っとくが、我はもうしばらく神の力は使えんぞ」
商材:そろばん。
取引先:前田利家公。
新規事業:戦国ソロバン塾──爆誕。
問題:売るものがない