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第26話-悪い子(リリアーヌ視点)

 リリアーヌは、恥辱に胸がふさがる思いだった。


 家族の罪に目を背け、ただ恩恵だけを受けていた。

 ノンナを見下し、傷つけ、それを「楽しい」とさえ思っていた。

 ――あのとき、心から、笑っていたのだ。


 いま思えば、吐き気がするほどだ。


 ――私……どうして、あんなことをして、何も感じなかったの?


 姿勢を保とうとしたが、指先がわななき、握ろうとした拳に力が入らない。

 喉が詰まり、小さな嗚咽が漏れそうになる。 ……「ふぇっ」と子どものような声がこぼれかけて、慌てて飲み込む。

 ――貴婦人らしく。せめて、形だけでも。

 そう思って立ち続ける。


 だが、心の奥ではもう、座り込んで泣いていた。


 ――私も、母上と同じ。

 自分のことしか見えていなかった。ノンナが泣く顔を、ただ、面白がっていた。


 膝が崩れそうだった。いま立っていられるのは、ただの惰性だ。


 公爵の力強い閉会の辞が終わると、貴族たちは一斉に席を立ち、退出していった。

 残された場に、重たい沈黙と緊張が淀む。


 護衛がそっと彼女の横に立ち、低い声で言った。


「少々お待ちください」


 柔らかい口調だったが、その意味は明白だった。


 ――逮捕されるのね、私。


 考えようとすればするほど、脳が白く霞んでいく。

 問いばかりが浮かび、答えはどこにもなかった。

 視界が揺れ、息が浅くなる。


 そのとき、ロルウンヌ子爵セオドアがマクシムとのやり取りを終え、こちらへと歩いてきた。


「リリアーヌ。お前も……この件に関わっていたのか?」


 声に、かつての優しさはなかった。

 セオドアはずっと、リリアーヌを可愛がり甘やかしてきた。

 しかし、いま、セオドアは罪人と悟った者に厳しく問いかけていた。


 リリアーヌはうつむき、唇を噛んだ。

 喉が締まり、言葉が出ない。こんな感覚は、生まれて初めてだった。


「……はい……リリアーヌは……ノンナを……いじめてました。母上から……ノンナの力を、魔法で……分けてもらって……」


 喉が焼けるように痛い。けれど、逃げるわけにはいかない。

 彼女は顔を上げ、震える声で、最後まで言った。


「……あとで、全部話します。取り調べも、罰も……受けます。もし……もし、許されるなら……ノンナに……謝りたいんです……」


 セオドアは、しばらく姪を見つめていた。

 そして、静かにため息を吐く。


「そうか。ならば、そこに座っていなさい。お前の母と、私が話をする。……お前も、それを聞くべきだ」


 ***


 リリアーヌは席に座り、震える手を膝の上に置いて、目の前の光景を見つめていた。


 向かい合って座るのは、エリゼーヌとセオドア。

 場に残っているのは、ノンナ、サンディ、公爵家の人々、虚ろなドナルド、そして沈黙に包まれた護衛たち。


 エリゼーヌの瞳には、怒りと拒絶が燃えていた。

 そこに、微かな怯えも混じっている。


 彼女は優雅に首を傾け、震える唇でささやくように言った。


「兄上……どうか、アレの幻に惑わされないで。ノンナは私たちの名を貶める魔女です。災いの力を持つ、悪意に満ちたひねくれ者……」


 それは、狂った言葉ではなかった。

 信じきっている者の声だった。真剣に、心から、兄を説得しようとしていた。


「私たちの善意を、ねじまげ、罠に変える……アレは、そんな災いの力を持っているのですよ」


 その声には、継子への憎悪と……見当違いな哀れみが滲んでいた。


 セオドアは、何も答えなかった。ただ、その言葉を受け止めていた。


 エリゼーヌの視線が、ノンナに向かう。


 ノンナは、動かない。微笑みも怒りもない。

 ただ、静かに、まっすぐに、継母を見返していた。


 その視線に、リリアーヌの背筋がぞわりと冷たくなる。


 ――ああ、母上はまだ罪を認めていない。あの目……まだ勝とうとしている。あれは、簒奪さんだつ者の目だ。


 他人の力を、再配分魔法で根こそぎ奪ってきた者。

 目の奥に、まだ渇きが見えた。諦めてなどいない。


 リリアーヌは、胸の奥で何かが静かに崩れるのを感じた。


 母に向けていた信頼。希望。願い。


 そのすべてが粉々になった。

 もう、二度と……元には戻らない。

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