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第37話-礼拝堂(ノンナ視点)

 包みの中から現れたのは、真四角な箱だった。サンディは巧みな細工の取っ手を引き、箱の前面を開く。

 中は、簡素な祭壇のように仕立てられていた。そこには、古びた茶色い布と、丁寧に縫われた小さな布袋が収められていた。


 布は古い物だ。もとは白い敷布だったのだろう。きれいに洗われていたが、茶色い汚れがこびりついていた。


 ドナルドは布袋を見て目を細め、静かに言う。


「魔導具ですね。品質保持の魔法がきちんとかかっている。ドンネステ博士の作品でしょうか」

「いえ、私が作りました。伝統的な図案を使い、刺繍やパッチワーク等の手仕事もすべて自分で施しました」


 サンディはそう答えながら、まっすぐドナルドを見つめた。そして、布袋の紐を解いて差し出す。

 その紐も、凝った細工の組紐だ。サンディの手作りとノンナは知っている。


「中身は見えませんが、鑑定はできるはずです。どうか確認してください、父上」


 ドナルドはわずかに戸惑いを見せた。しかし、サンディの真剣な眼差しに応え、うなずく。

 杖を取り出し、振る。

 先端から金色の魔力がほのかに揺らぎ出る。魔方陣が袋を包み込んだ。


 ドナルドは息を飲んで、いったん杖を置いた。

 そして、再び杖をとり、やり直す。


 数秒後、ドナルドの目から涙が溢れた。


「間違いありません。1本だけ入っている髪の毛……ユリアのものです」


 サンディがホッとしたように息をつき、静かに言った。


「やはりそうでしたか。僕を拾った父……ドンネステ博士は、包んでいた布を、付着物も含め、丁寧に保管していたのです」


 その声には、自分を拾ってくれて育てたドンネステ博士への静かな感謝の念がにじんでいた。


「私の恩師……博士以外の誰かに拾われていたら、ユリアの痕跡は何も残らなかったということですね」


 ドナルドは静かに微笑みながら、涙をこぼした。

 頬を伝う涙は止まらなかったが、その表情には、どこか救いを得たような穏やかさが宿っていた。


 サンディは袋を完全に開き、中が見えるようにした。

 袋の中は黒い布で、その上で砂色の髪の毛が輝いている。


 そこにいる者たちは、静かに息をのんだ。


 ***


 ノンナは、この髪の毛を初めて見たときのことを思い出した。


「サンディの髪みたい」


 そう言ったあの日、弟はうれしそうにうなずいていた。

 サンディの髪は袋の中の髪の毛と同じ色で、同じように柔らかく波打っている。


 ***


 ドナルドは嗚咽しながら、繰り返し「ユリア」とつぶやき続けた。


 ドナルドがすでに知っていたであろう事実を、ノンナは冷静に振り返った。


 ***


 エリゼーヌの供述書には、おぞましい告白が並んでいた。

 その内容は、金庫に保管してあったゴードの報告書と一致していた。


 双子を出産したユリアは、何の手当ても受けられずに命を落とした。

 ユリアにまつわるすべては焼かれ、捨てられ、忘れられた。

 エリゼーヌの方針は徹底していた。


 遺体は平民の焼き場で火葬された。

 ゴードが遺灰を回収し、廃棄したそうだ。どこに捨てたかは報告されていなかった。


 旧アウレスピリア領のユリアの生家は、大嵐で崩壊している。

 ユリアにつながるものは、何も残っていなかった……はずだった。


 ***


 ノンナは、落ち着いた口調で話を切り出した。


「父上のご許可をいただければ、かつて私が暮らしていた小屋を取り壊し、そこに母上の遺髪を納める霊廟と礼拝堂を建てたいと考えています」

「霊廟……」

「はい。私たちも定期的にお参りいたします」


 すすり泣くドナルドにつられるように、双子の目にも涙が光る。セオドアは大きな音を立てて鼻をかむ。


 マクシムが計画書を差し出した。

 ドナルドは嗚咽しながら受け取る。


 マクシムが説明を始めた。


「礼拝堂の管理は、王国国教会の聖職者である私の母が担います。建築費用は、ノンナ嬢とサンディが受け取った賠償金でまかなう予定です。ユリア様は婚外子の母ではありますが、伯爵嫡男であるサンディの実の母君として正式にまつられます」


 ノンナは、静かに微笑んだ。ドナルドの顔に、さらに戸惑いの影が差す。


 その視線を受けたセオドアが、助け舟を出すように語りかけた。


僻地へきちの修道院で畑を耕しながら祈る生活より、元伯爵として領地経営に関わる方が、きっとユリア様もお喜びになります。私と共にノンナ嬢とサンディ様を補佐しながら生きる選択肢も、あるのではないでしょうか」

「私たちもそう思います。母上の霊廟をお守りください」

「父上、お願いいたします。私がフォートハイト伯爵領を繁栄させる手伝いをしてください」


 ドナルドは形の良い大きな手をぎゅっと握っていた。

 貴族らしく手入れされた爪が、手のひらに食い込み、血がしたたる。


「私は……何も疑わず、ただの学友に過ぎない下級生に親切に接し続けた。それは……間違っていた。私の優柔不断さが、ユリアを失う遠因になったのだよ」


 マクシムが「それなら、挽回してはいかがでしょう」と軽い口調で言う。セオドアがおどけた表情でうなずく。

 その軽さは、わざとのようにノンナは感じる。


 ドナルドは泣き続けていた。彼の目は涙越しに、ユリアの遺髪から離れようとしない。

 部屋にいた他の者たちは、黙ってドナルドを見守る。


 やがて、ドナルドは涙を拭い、はっきりとした声で答えた。


「はい、そうさせてください。できるだけ早く、伯爵位をサンディさんに譲ります」


 ノンナは、サンディと顔を見合わせて微笑み合った。

 そのまま弟を見つめる。

 頼もしい相棒……けれど今は、肩に重みを引き受けたひとりの当主にも見えた。



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