何故だ!
何故、俺の音楽はこんなにも広く民衆から支持されているのに、皇帝や貴族はまるで評価しないんだ?
ヨーロッパ中を旅してまわった子供の頃、俺は確かに神に愛されていた。
父さんに連れられて訪問したどこの宮廷でも俺の才能は絶賛された。《黄金の軍騎士勲章》をローマ教皇クレメンス十四世から授かった史上二人目の作曲家でもある。俺は、神童と呼ばれ、誰からも愛されていた!
なのに……神童は大人になればただの人だというのか。
ザルツブルクでは大司教がシュラッテンバッハからコロレードに変わり、居場所が無くなった。
ミラノではハプスブルグ家直系のロンバルディア大公フェルディナントがもてなしてくれたが、宮廷楽士への登用はしてくれなかった。彼の母親マリーア・テレージアはかつて俺の事をあんなに可愛がってくれたのに!
ミュンヘン、アウクスブルク、マンハイムでも大した評価は得られなかった。マンハイムではアロイージアを始めとした魅力的な若い女性達と知り合えたが、それを父に怒られてパリへと向かった。今にして思えば、この時父の言葉を無視していれば違う未来があったのかも知れない。
そして、母と共にたどり着いたパリ。
交響曲
その上、何故かそれまで面倒を見てくれたグリムが冷たくなる。彼にパリを去るように言われ、つまり追い出されて俺はパリを去った。
かつてマンハイムで出会ったアロイージアは既に歌手として成功し、パリで失敗した男なんか相手にしてくれなかった。
それでも、俺が作った曲は多くの人々から称賛を浴びた。地位はなくとも、人気は確かにあったんだ。
アロイージアの妹、コンスタンツェと結婚した俺はヴィーンで間違いなく成功していた。皇帝ヨーゼフ二世の前で数々の曲を披露し、サリエーリにもよくしてもらった。俺の書いたオペラは、サリエーリのオペラと人気を競うほどだった。高名な作曲家ハイドンは俺を誰よりも高く評価してくれた。
なのに、望んだ地位は得られなかった。
そうだ、サリエーリだ。彼は確かに俺の才能を褒め、俺の曲を何度も演奏し、俺の演奏も聞きに来てくれた。いつも俺の事を気にかけてくれていた。そして彼は才能を見いだした作曲家の推薦状を書く事ができる、ヴィーン宮廷楽士で最高位の
それが何故、俺を推薦してくれなかった?
サリエーリ!
あいつが、俺を推薦してくれればこんな惨めな事にはなっていないのに!
サリエーリ!!
俺を褒めてくれた、あの言葉は嘘だったのか?
サリエーリ!!!!
――あいつのせいで。
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ヨアネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオーフィルス・モーツァルト。
『
だからこそ人気が衰えた事で陥った自らの窮状を嘆き、弱った心から尊敬すべき友人をも責めてしまうのだった。
アマデウスとはモーツァルトの四番目の名前テオーフィルスをラテン語で言い換えた言葉である。