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カペルマイスター ~宮廷楽長アントーニオ・サリエーリの苦悩~
カペルマイスター ~宮廷楽長アントーニオ・サリエーリの苦悩~
寿甘
歴史・時代外国歴史
2025年06月03日
公開日
2.5万字
連載中
サリエーリはモーツァルトの才能に嫉妬した。 サリエーリはモーツァルトの楽曲を盗作した。 サリエーリはモーツァルトを毒殺した。 どれも、何の証拠もない悪意ある風説でした。 サリエーリの没年前後、ヨーロッパ中で語られたこの噂は、後年発表される彼等を題材にした戯曲によって、あたかも真実であるかのように世界に広まってしまったのですが、近年ではサリエーリの再評価の流れも生まれております。 これはサリエーリとモーツァルトの関係を、いくらかの事実を基にして筆者が大いに脚色を加えた、完全なフィクションの物語です。決して史実ではないという事をどうかご了承下さい。 物語の都合上、モーツァルトとの交流がかなり多くなります。 モーツァルトの独白に始まり、 第一幕 若き宮廷室内作曲家の誕生 第二幕 かつて神童と呼ばれた男 第三幕 苦悩の日々と友の急死 第四幕 彼の後悔と突然囁かれる噂 という内容でお送りします。 ※電子書籍を自己出版中です。 執筆にあたり、参考にした文献等 『サリエーリ 生涯と作品 モーツァルトに消された宮廷楽長|(新版)』 著者:水谷彰良 発行:復刊ドットコム 2019年 『図説モーツァルト その生涯とミステリー』 著者:後藤真理子 発行:河出書房新社 2006年 『アマデウス─モーツァルトとサリエーリ』 著者:海老沢 敏ほか 発行:サントリー株式会社 1987年 監修:海老沢 敏    ルードルフ・アンガーミュラー    オットー・ビーバ 以下、参考にしたサイト 『Musikverein』 ヴィーン楽友協会公式サイト

プロローグ

神に愛されなかった神童

 何故だ!


 何故、俺の音楽はこんなにも広く民衆から支持されているのに、皇帝や貴族はまるで評価しないんだ?


 ヨーロッパ中を旅してまわった子供の頃、俺は確かに神に愛されていた。


 父さんに連れられて訪問したどこの宮廷でも俺の才能は絶賛された。《黄金の軍騎士勲章》をローマ教皇クレメンス十四世から授かった史上二人目の作曲家でもある。俺は、神童と呼ばれ、誰からも愛されていた!


 なのに……神童は大人になればただの人だというのか。


 ザルツブルクでは大司教がシュラッテンバッハからコロレードに変わり、居場所が無くなった。


 ミラノではハプスブルグ家直系のロンバルディア大公フェルディナントがもてなしてくれたが、宮廷楽士への登用はしてくれなかった。彼の母親マリーア・テレージアはかつて俺の事をあんなに可愛がってくれたのに!


 ミュンヘン、アウクスブルク、マンハイムでも大した評価は得られなかった。マンハイムではアロイージアを始めとした魅力的な若い女性達と知り合えたが、それを父に怒られてパリへと向かった。今にして思えば、この時父の言葉を無視していれば違う未来があったのかも知れない。


 そして、母と共にたどり着いたパリ。


 交響曲《パリ》で初めて成功を掴んだというのに、間もなく母が亡くなってしまった。なんという運命の悪戯か。


 その上、何故かそれまで面倒を見てくれたグリムが冷たくなる。彼にパリを去るように言われ、つまり追い出されて俺はパリを去った。


 かつてマンハイムで出会ったアロイージアは既に歌手として成功し、パリで失敗した男なんか相手にしてくれなかった。




 それでも、俺が作った曲は多くの人々から称賛を浴びた。地位はなくとも、人気は確かにあったんだ。


 アロイージアの妹、コンスタンツェと結婚した俺はヴィーンで間違いなく成功していた。皇帝ヨーゼフ二世の前で数々の曲を披露し、サリエーリにもよくしてもらった。俺の書いたオペラは、サリエーリのオペラと人気を競うほどだった。高名な作曲家ハイドンは俺を誰よりも高く評価してくれた。


 なのに、望んだ地位は得られなかった。


 そうだ、サリエーリだ。彼は確かに俺の才能を褒め、俺の曲を何度も演奏し、俺の演奏も聞きに来てくれた。いつも俺の事を気にかけてくれていた。そして彼は才能を見いだした作曲家の推薦状を書く事ができる、ヴィーン宮廷楽士で最高位の宮廷楽長カペルマイスターだ。


 それが何故、俺を推薦してくれなかった?


 サリエーリ!


 あいつが、俺を推薦してくれればこんな惨めな事にはなっていないのに!


 サリエーリ!!


 俺を褒めてくれた、あの言葉は嘘だったのか?


 サリエーリ!!!!


――あいつのせいで。


******


 ヨアネス・クリュソストムス・ヴォルフガングス・テオーフィルス・モーツァルト。


 『神に愛されし者アマデウス』と呼ばれた、しかしその人生はとても神に愛されたとは言えなかった天才作曲家は、晩年になり知り合いに金の無心を繰り返していた。その原因は妻の散財、賭博にのめり込んだ等さまざまに語られるが、いずれにせよ彼の金銭感覚を狂わせたのはオペラが成功した時に得られる、通常の勤め人の年俸の数倍という高額な報酬であった事は疑いようもない。


 だからこそ人気が衰えた事で陥った自らの窮状を嘆き、弱った心から尊敬すべき友人をも責めてしまうのだった。


 アマデウスとはモーツァルトの四番目の名前テオーフィルスをラテン語で言い換えた言葉である。

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