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おまけ

サリエーリとお菓子

「レモネードアイスは至高の一品だ」


 サリエーリはグラーベン通りの行きつけのアイス屋で好物のレモネードアイスを食べていた。そこに現れたのは陽気に歌うモーツァルトだ。


「やあパパ! 僕はこれから貴族のお嬢さんとお茶をしに行くんだ!」


 コンスタンツェはどうした? と聞こうかと思ったがやめておく。この男はこう見えて妻を誰よりも愛している。若い女性と遊びに行くのは純粋に楽しいからだ。ヴィーンの常識では考えられない事だが、とやかく言う事でもない。


「そうか、楽しんでおいで」


 まるで本当の父親のようにモーツァルトを送り出すサリエーリだが、アイスを舐める口は止まらない。そんなサリエーリに、モーツァルトは楽し気に近づいて質問した。


「それで、ちょっと相談なんだけど。パパおすすめのお茶菓子はない?」


 そんな事を聞いてくるのは珍しい。お菓子なんて貴族はいつも使用人に用意させているのに。だが、サリエーリはお菓子の話を振られると黙ってはいられない。アイスの最後の一口を飲み込み、人差し指を立ててニヤリと笑う。


「それなら、プリューゲルクラプフェンなんてどうだ?」


 プリューゲルクラプフェンとは、切り株に見立てた伝統的なお菓子だ。現代の日本ではドイツからバウムクーヘンという名前で伝わり、非常に人気のあるお菓子だが、本場のドイツでは実はそれほど人気でもない。現代のヴィーンにおいても、バウムクーヘンと呼ばれる事が多くなっているらしい。


「プリューゲルクラプフェン? パパがおすすめするほど腕のいい職人がいるの?」


 プリューゲルクラプフェン職人は長生きしないと言われる。非常に精魂込めて、熱い火に向かって長時間作業をするためだ。プリューゲルクラプフェンはあまり太くはなく、細長いちくわのような形状のケーキである。


「ああ、あそこのプリューゲルクラプフェンは絶品だよ」


 サリエーリはすぐにモーツァルトを連れて職人の店に行く。彼はヴィーンで甘いお菓子を売る店はほぼ網羅しているので一切迷うことなく目的地に到着した。


「わあ、凄い!」


 店に行くと、モーツァルトは職人の作ったプリューゲルクラプフェンに目を奪われた。台の上に立った円筒状の生地に、上からチョコレートがかかってまるで山のような形になっている。その上にクリームがかかり、まるで冠雪したシュネーベルク|(ヴィーンの近くにある山)のようだ。


「これを買っていくといい」


 促されたモーツァルトは手ごろなサイズのプリューゲルクラプフェンを買い、プレゼント用に包んでもらった。貴族のお嬢さんにそこまでしてプレゼントをする必要があるのかと、少々気になるが黙っている。それよりも自分用に買っていこうか、いやさっきアイスを食べたばかりだと頭を悩ませるサリエーリだった。




「では、お嬢さんによろしく」


 店を出て、相手が誰なのかはあえて聞かずにモーツァルトと別れようとするが、彼はその場から立ち去ろうとしない。


「どうした?」


「えへへ、これはパパへのプレゼントだよ!」


 モーツァルトは悪戯っぽく笑って、手にした包みをサリエーリに渡した。


「知ってる? 今日は僕がパパと初めて会った日なんだよ」


 そう言われて驚くサリエーリ。この日は、確かに初めてモーツァルトと顔をあわせた日だった。それはサリエーリがまだオペラ作曲家としてデビューする前の事であり、当時モーツァルトが自分の事を認識していたとはサリエーリは露ほども思っていなかったのだった。


「まさか、君が私の事を覚えていたとはね。このお菓子は日持ちするから、明日にでも一緒に食べよう。今日はお茶に行くんだろう?」


 せっかく二人が出会った記念なのだから、二人で食べようと提案するが、モーツァルトは笑う。


「アハハ、何言ってるの。それは嘘だよ! 良かったらこれから一緒にお茶を飲まない?」


「ああ、そうか。その為に来たんだな」


 アイスを食べた後だが、まだ胃袋には余裕がある。今日は楽しい休日になるだろうと思うサリエーリだった。

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