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第2話 梅雨明け

 ◆


 梅雨が明けた。


 今年は短い梅雨だった。


 七月に入ってすぐ、真夏の暑さがやってきた。


 蝉の声が耳を劈く。


 翔太の訪問は増えていた。


 週に三回、四回。


 時には毎日。


「おばあちゃん、今日も来ちゃった」


 挨拶は形式的になっていた。


 翔太は当然のように入ってくる。


「暑いでしょう。エアコンつけるから」


 茜は違和感を押し殺した。


 内心では戸惑いが広がる。


 これは普通なのか。


 祖母と孫の適切な距離なのか。


 翔太は茜の家で宿題を始めた。


 リビングのテーブルに問題集を広げる。


「おばあちゃん、ここの公式が分からない」


「どれどれ」


 茜は元教師だった。


 高校で国語を教えていたが、基本的な数学なら分かる。


 教員時代の血が騒ぐ。


 二次関数の問題。


 放物線のグラフを描きながら説明した。


「頂点の座標はこうやって求めるのよ。平方完成を使って……」


「ああ、なるほど」


 肩が触れ合う距離だ。


 翔太の体温が伝わる。


 若い男性の匂い。


 シャンプーの香りに汗が混じる。


 茜は無意識に身を引いた。


「どうしたの?」


「いえ、何でもない」


 翔太の瞳が傷ついた色を見せた。


 大きな瞳。


 亜希子譲りの二重瞼と長い睫毛。


 顎のラインがしっかりしてきて、青年の顔になりつつある。


 茜は気づかないふりをした。


 気づいてはいけない。


 これは孫だ。


 血の繋がった娘の息子だ。


「続き、やりましょう」


「うん」


 勉強は順調に進んだ。


 翔太は理解が早い。


 本来なら成績優秀なはずだ。


「集中できないんだ」


 休憩時間、翔太が呟いた。


「何か悩み事?」


「……いろいろ」


 それ以上は聞けなかった。


 聞いてはいけない気がした。


 夕方、翔太は帰り支度を始める。


 最近は亜希子が迎えに来ることもあった。


「翔太、いるんでしょう。早く出てきなさい」


 玄関先での母子のやり取りは険悪だ。


「分かってるよ」


「宿題は? 塾の予習は?」


「やってる」


「嘘ばっかり。家で全然勉強してないじゃない」


 亜希子の小言が続く。


 翔太は無表情で聞いている。


 諦めたような顔だ。


 二人が帰った後、茜は玄関に立ち尽くした。


 あの母子の関係は修復できるのか。


 自分は何をすべきか。


 答えは見つからない。

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