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梅雨が明けた。
今年は短い梅雨だった。
七月に入ってすぐ、真夏の暑さがやってきた。
蝉の声が耳を劈く。
翔太の訪問は増えていた。
週に三回、四回。
時には毎日。
「おばあちゃん、今日も来ちゃった」
挨拶は形式的になっていた。
翔太は当然のように入ってくる。
「暑いでしょう。エアコンつけるから」
茜は違和感を押し殺した。
内心では戸惑いが広がる。
これは普通なのか。
祖母と孫の適切な距離なのか。
翔太は茜の家で宿題を始めた。
リビングのテーブルに問題集を広げる。
「おばあちゃん、ここの公式が分からない」
「どれどれ」
茜は元教師だった。
高校で国語を教えていたが、基本的な数学なら分かる。
教員時代の血が騒ぐ。
二次関数の問題。
放物線のグラフを描きながら説明した。
「頂点の座標はこうやって求めるのよ。平方完成を使って……」
「ああ、なるほど」
肩が触れ合う距離だ。
翔太の体温が伝わる。
若い男性の匂い。
シャンプーの香りに汗が混じる。
茜は無意識に身を引いた。
「どうしたの?」
「いえ、何でもない」
翔太の瞳が傷ついた色を見せた。
大きな瞳。
亜希子譲りの二重瞼と長い睫毛。
顎のラインがしっかりしてきて、青年の顔になりつつある。
茜は気づかないふりをした。
気づいてはいけない。
これは孫だ。
血の繋がった娘の息子だ。
「続き、やりましょう」
「うん」
勉強は順調に進んだ。
翔太は理解が早い。
本来なら成績優秀なはずだ。
「集中できないんだ」
休憩時間、翔太が呟いた。
「何か悩み事?」
「……いろいろ」
それ以上は聞けなかった。
聞いてはいけない気がした。
夕方、翔太は帰り支度を始める。
最近は亜希子が迎えに来ることもあった。
「翔太、いるんでしょう。早く出てきなさい」
玄関先での母子のやり取りは険悪だ。
「分かってるよ」
「宿題は? 塾の予習は?」
「やってる」
「嘘ばっかり。家で全然勉強してないじゃない」
亜希子の小言が続く。
翔太は無表情で聞いている。
諦めたような顔だ。
二人が帰った後、茜は玄関に立ち尽くした。
あの母子の関係は修復できるのか。
自分は何をすべきか。
答えは見つからない。