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第3話 夏

 ◆


 八月に入った。


 翔太は夏期講習を理由にほぼ毎日来るようになった。


 夏期講習など受けていない。


 茜も薄々気づいていたが、指摘できなかった。


 ある日の午後、翔太がいつもと違う様子で現れた。


「どうしたの? 顔色が悪いわよ」


「大丈夫。ちょっと寝不足で」


 翔太はソファに倒れ込んだ。


 目の下にクマがある。


「ちゃんと寝てる?」


「……最近、眠れなくて」


 茜は心配になった。


 思春期の不眠は珍しくないが、翔太の様子は尋常ではない。


「何か心配事があるなら、話してみて」


「おばあちゃんには関係ない」


「関係なくないわ。あなたは私の孫よ」


 翔太が顔を上げた。


 その瞳に見慣れない感情が宿っている。


 それが何か、理解できない。


 理解したくない。


「おばあちゃん」


「なあに?」


「……なんでもない」


 翔太は首を振って勉強を始めた。


 明らかに集中できていない。


 ペンを持つ手が震えている。


「体調が悪いなら、今日は帰った方が」


「帰りたくない」


 即答だった。


 強い口調に茜は驚いた。


「でも」


「ここにいたい。ダメ?」


 子供のような問いかけ。


 しかし、目は子供のそれではない。


 茜は動揺を隠すように台所へ逃げた。


「お茶、淹れ直すわね」


 台所で一人になると深呼吸した。


 何かがおかしい。


 翔太の様子も、自分の反応も。


 でも、それが何なのか考えたくない。


 お茶を淹れて戻ると、翔太は問題集を閉じていた。


「やっぱり集中できない」


「そう」


 二人で黙ってお茶を飲んだ。


 エアコンの音だけが響く。


 外では蝉が鳴いている。


 真夏の午後の重い空気。


「おばあちゃん、髪切った?」


 突然の質問に戸惑った。


「え? ああ、少しね。先週美容院に行って」


「似合ってる。若く見える」


 褒め言葉に複雑な気持ちになる。


 孫が祖母の外見を褒める。


 不自然ではないはずだ。


 しかし、翔太の眼差しには何か別のものが宿っていた。


「ありがとう」


 それだけで精一杯だった。


 翔太は満足そうに微笑む。


 その笑顔が茜の胸を締め付けた。


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