◆
八月に入った。
翔太は夏期講習を理由にほぼ毎日来るようになった。
夏期講習など受けていない。
茜も薄々気づいていたが、指摘できなかった。
ある日の午後、翔太がいつもと違う様子で現れた。
「どうしたの? 顔色が悪いわよ」
「大丈夫。ちょっと寝不足で」
翔太はソファに倒れ込んだ。
目の下にクマがある。
「ちゃんと寝てる?」
「……最近、眠れなくて」
茜は心配になった。
思春期の不眠は珍しくないが、翔太の様子は尋常ではない。
「何か心配事があるなら、話してみて」
「おばあちゃんには関係ない」
「関係なくないわ。あなたは私の孫よ」
翔太が顔を上げた。
その瞳に見慣れない感情が宿っている。
それが何か、理解できない。
理解したくない。
「おばあちゃん」
「なあに?」
「……なんでもない」
翔太は首を振って勉強を始めた。
明らかに集中できていない。
ペンを持つ手が震えている。
「体調が悪いなら、今日は帰った方が」
「帰りたくない」
即答だった。
強い口調に茜は驚いた。
「でも」
「ここにいたい。ダメ?」
子供のような問いかけ。
しかし、目は子供のそれではない。
茜は動揺を隠すように台所へ逃げた。
「お茶、淹れ直すわね」
台所で一人になると深呼吸した。
何かがおかしい。
翔太の様子も、自分の反応も。
でも、それが何なのか考えたくない。
お茶を淹れて戻ると、翔太は問題集を閉じていた。
「やっぱり集中できない」
「そう」
二人で黙ってお茶を飲んだ。
エアコンの音だけが響く。
外では蝉が鳴いている。
真夏の午後の重い空気。
「おばあちゃん、髪切った?」
突然の質問に戸惑った。
「え? ああ、少しね。先週美容院に行って」
「似合ってる。若く見える」
褒め言葉に複雑な気持ちになる。
孫が祖母の外見を褒める。
不自然ではないはずだ。
しかし、翔太の眼差しには何か別のものが宿っていた。
「ありがとう」
それだけで精一杯だった。
翔太は満足そうに微笑む。
その笑顔が茜の胸を締め付けた。