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【3】

「かおりさん、本当に綺麗ねえ。『ウェディングドレス』ってそれだけで特別だけど、やっぱり元が良いと違うわあ」

 母が感嘆の溜息を漏らすのを、佳純はその隣で同じ想いで聞いていた。

 眩しいほどに綺麗なドレス。溜息が出そうなほどに綺麗な花嫁。

 大切な自慢の兄に相応しいと心から感じる、美しく聡明な彼女。


 チャペルで執り行われた結婚式で、佳純は博己とかおりの姿を見つめる。

 ステンドグラスから差し込む光が、かおりのシンプルな白いドレスを星のように輝かせていた。

 博己が彼女の手を取る姿を見つめながら、ふと佳純の頭を昔の夏の記憶が過った。

 高校受験の前、博己が「佳純なら絶対受かるよ」と励ましてくれた夜。二人でアイスを食べながら、ベランダで相変わらず鮮明とはいえない星を見上げた。

 あの時、博己が「夏の大三角、覚えたか?」と笑った顔が今のかおりへの笑顔と重なる。

「お兄ちゃんの幸せを願ってる。でも、なんでこんなに苦しいの?」

 祝福の言葉を口にしながら、胸の奥の小さな傷が疼いて心の中でそう呟いていた。


 博己の隣に立つ彼女は、佳純が密かに夢見た場所にいる。

 精一杯の笑顔を作りながら、佳純の心の中では叫びが響いていた。

「なんであたしじゃないの?」

 その思いは、すぐに自己嫌悪に変わった。博己の幸せを願うのに、こんな醜い感情が湧く自分を許せなかった。


「では次は御親族の皆様もお入りください」

 博己とかおりが結婚式を挙げたチャペルの別室で、カメラマンの声が掛かった。

 主役二人の撮影のあとは、それぞれの家族も加わった全員の集合写真になる。

「ほら、佳純ちゃん。何ボーッとしてるの! このお写真、ずっと残るんだから。しかもうちだけじゃなくて、博己くんたちはもちろん向こうのおうちにも大事なのよ!」

 母の小声の叱責にようやく我に返り、佳純は精一杯の笑顔を作って「兄夫婦」の方へ踏み出した。


 まだ学生ということもあり、佳純はこの日のために買ってもらった華やかなパーティドレスを身に纏っている。

 第一礼装は未婚の女性である佳純の場合振り袖になるのだろうが、両方の親の申し合わせで「親族は洋装で」ということになったらしい。

 成人式に母の振り袖を着た経験からも、禄に食事もできない状態になるのは目に見えていたため正直ありがたかった。


「お父さん、お母さん。今まで僕を支えてくださって本当に感謝しています。これからはかおりちゃ、──かおりと二人で新しい家庭を築いて行きます」

 改まった博己の挨拶に、父も母も目を潤ませて言葉が出ない様子だ。

 博己の中で、おそらくはずっと立ちはだかっていた「に対する負い目や蟠り」は昇華できたのだろう。

 かおりの存在で、彼女との関係において。


「佳純も。『家族』の存在が俺にとってどんなに大きかったか、今のほうがよくわかる気がするよ。これで縁が切れるわけでもないしね」

「お兄ちゃん、あたしもお兄ちゃんがいてよかったこといっぱいあり過ぎるくらい。これからはかおりさん、……『お義姉ねえさん』と幸せになってね。今までよりずっとね!」

 最後まで涙なしに告げられたことに安心する。それは紛れもなく佳純の本心だった。


 佳純は博己の幸せを心から願っている。

 だが、心の底に沈む重く小さな何かは、決して溶けることなくそこに在り続けた。


【4】


『佳純、明後日だけどさあ』

「あ、どうなった?」

 大学の友人からの電話。

 普段の連絡はほぼメッセージアプリだが、声を聞いて話したほうがいいこともあるので電話も大切な手段だ。


『いや、ギリギリまでごめん! やっと新しいバイトの子来たから、

 明後日はちゃんと空けられたわ。先週から休みなしだもん、いくら夏休みだからって勘弁してよって感じ』

「そっか、よかったね。いま割とどこも人手不足だから、簡単に辞めて変わる子多いらしいけど」

 苦労話は聞かされていたので、口先だけではない慰めの言葉が出た。


『それにしてもいきなりシフト無視して、店長が連絡したら『あ、辞めますー』って、他のバイトのことも考えてほしいよね〜』

「それはほんとにそう思う!」

 仲の良い友人グループでの遊びの約束を確認し、スマートフォンの通話をオフにする。

 ふと顔を上げると、自室の窓の向こうにはすっかり夜の帳が下りた東の空が広がっていた。

 ひときわ輝くあの星がベガ。そしてその斜め下……。


 二人で空を見上げて夏の大三角を教わったあの日、帰宅してから調べて知った。

 アルタイルが牽牛けんぎゅう、……つまり彦星だということを。そして織女しょくじょのベガが織姫だ。

 幼稚園のときに教えてもらったことも、同時に思い出した。


 今年はもう過ぎたが、七夕は毎年やって来る。

 離れていて会えなくとも、博己は彦星とは違う。

 いや、たとえ彦星だとしても、彼の織姫は佳純ではなかった。

 ただそれだけのことだ。

 白馬になんて乗っていなくてもいいから、佳純の『たった一人』をこちらから探しに行かないと。


 そう、今電話を掛けて来た友人に紹介を頼んでもいい。交友関係が広い上に責任感も強い彼女なら、安心して話を持ち掛けられる。

 女友達との関わりもとても楽しく大切だ。しかし、……それだけでは何かが足りない気持ちも日々強くなっていた。

 かけがえのないパートナー。愛と信頼を預けられる人。

 願わくば、一緒に星空を眺めて笑みを交わせる相手。

 佳純だけのになり得る誰かを。



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