「女王様…」由紀の声が喉元で詰まった。サイバーアームバンドは文字化けを迸らせた後、完全に消灯した。彼女の金属化した右手は制御不能に震え、指節が「カクカク」と音を立てる。「これはザーグの女王…フェロモンで全種族を指揮できる…スタークラストレベルでさえも…」
長井淳のザーベルが微動だにせず前方を指し示していた。女王が完全に姿を現した瞬間、洞窟内の空気が凍りついたかのようになった。それは小型トラックほどの大きさの怪物で、上半身は拡大したカマキリのような闇紫色の甲殻に覆われ、六対の複眼が環状に並び、それぞれが冷たい金色の輝きを放っていた。下半身はムカデのような節足の胴体で、各節の甲殻にはブルースパーが埋め込まれていた。
最も恐ろしかったのは、その頭部の両側に──なんと人間の腕が二列も生えており、呼吸に合わせてゆらゆらと揺れていたことだ。
「逃げるんだ…」由紀は長井淳の服の裾を掴み、金属化した指が布地に食い込んだ。「完全に目覚める前に…」
長井淳は微動だにしなかった。その視線は女王を捉えたまま――まるで猛獣が獲物を睨むように。
女王は突然、金切り声を上げた。そのソニックウェーブに岩壁のスパーが次々と爆裂し、ブルーのエネルギー液が雨のように降り注いだ。地面に触れた途端、蜂の巣状の穴を蝕みだしていく。
「伏せ!」
長井淳が由紀を押し倒した瞬間、女王の口器からブルーレイが噴出し、彼の背中をかすめた。戦闘服は一瞬で溶解し、その下から急速に再生する皮膚が露わになった。彼は素早く身を翻すと、掌でザーベルを一転させた。
「奴の注意を散らせ。」彼は低声でそう呟くと、「弱点は俺が探る」
由紀の金属化した右手が槍へと変形する。「狂ってる?あれは《スタークラストレベル》の脅威だよ!」
長井淳はすでに飛び出していた。女王の前脚が稲妻のように振り下ろされる中、彼は体を捻って転がりながら回避し、元々立っていた地面には三メートルにわたる裂け目が走った。飛び散る礫の中、長井は突然方向を変え、岩壁の突起を蹴って跳躍すると、ザーベルを女王の最も左側にある複眼へと突きつけた。
「ガン!」
刃先が複眼まであとわずかのところで、無形のエネルギーのシールドに弾かれた。女王の全身には見えないシールドが張られていたのだ。宙に浮いた長井には受け身を取る余地もなく、女王の右前脚が横薙ぎに振り抜かれる——そのまま真っ二つに斬り裂かれようとした瞬間——
「つかまえ!」
ユキの金属化した左手から突然鎖が伸び、長井淳の足首を捉えてぐいと引き寄せた。間一髪で致命傷を回避したものの、女王の骨棘が彼の脇腹をかすめ、一閃のうちに裂傷が走る。しかし、滴り落ちるはずの血が地面に届くより早く、傷口はすでに再生を始めていた。
「助かった」藤原隼は着地と同時に振り返って立ち上がると、「シールドに間欠がある。攻撃後の0.5秒は波動が生じる」
女王は怒りを爆発させたようだ。六対の複眼が同時に二人を捉えた。洞窟内に残っていたスコロペンドラコロニーが一斉に方向転換し、襲い掛かってくる。由紀は金属化した両腕を回転式のノコギリ刃へと変形させ、かろうじて第一波を防ぎきった。
「長くは持たない…!」彼女の声は、力を振り絞るあまり軋んだ。
長井淳は答えなかった。幽霊のように戦場を駆け巡り、姿を現すたびに女王のシールドが波打つ0.5秒の隙を正確に突く。ザーベルは女王の甲殻に無数の白い斬撃痕を刻んだが、決定的なダメージを与えることはできなかった。
三度目の攻撃を仕掛けたその時、女王は不意に戦法を変えた。口器が不自然な角度まで裂け、青い霧が噴き出す。長井は回避が間に合わず、右腕が霧に掠めたかと思うと、瞬時に感覚を失った。ザーベルが「ガラン」と地面に転がり落ちる音。彼の腕全体が、不気味な青色に染まっていった──
「神経毒だ!」由紀が叫んだ。救助しようとした瞬間、三匹のムカデに絡みつかれた。
女王の前脚が高く振り上げられ、長井淳の頭頂めがけて斬り下ろされた。間一髪のところで、長井は左手でザーベルを拾い、スライディングしながら女王の体の下をくぐり抜けた。刃は女王の腹部の最も柔らかい部分をかすめ、浅い傷を残した。
緑色の体液が滴り落ち、地面は瞬時に深い穴へと蝕まれていった。長井淳の右腕は感覚を取り戻しつつあったが、動きは明らかに鈍っていた。女王はその隙を見逃さず、突然高周波のソニックウェーブを放った。
「うっ…!」由紀は耳を押さえながら地面に膝をつき、金属化した腕が共振でひび割れを生じた。
長井淳の鼓膜から血が滲み、視界がぼやけ始めた。女王の前脚は彼の瞳に三重の残像を描きながら、轟音と共に斬り込んでくる。必死に刀を構えて防ごうとしたが、膨大な衝撃に吹き飛ばされ、背中を岩壁に強打した。
「長井っ!」由紀のメタルチェーンが再び放たれたが、途中でムカデに噛みつかれて阻まれた。
女王はゆっくりと近づき、口器から滴る毒液が長井淳の足元に無数の小さな穴を蝕んでいった。六対の複眼にはプレデターの冷たい光が揺らめき、無数の人間の腕が不気味に蠢き、まるで勝利を祝うかのようだった。
長井淳は里の父のノートに記されていたこの生物の描写を思い出した。凶暴で狡猾な敵ではあるが、決して打ち倒せない相手ではないと。
この思いが頭をよぎった瞬間、女王の前脚が目の前に突き刺さってきた。長井淳はとっさに横転し、ザーベルを女王の前脚関節の軟部組織に正確に突き立てた。緑色の体液が噴き出し、女王は苦痛の鳴き声をあげた。
「由紀!」長井淳が叫んだ。「第三節の甲羅を狙え!」
由紀は以心伝心で、金属化した両腕を突然合体させ、一振りの巨大なハンマーへと変形させた。渾身の力を込めて女王の背中第三節の甲殻めがけて叩きつける。「ドン」という鈍い音と共に、甲殻は蜘蛛の巣状のヒビが走った。
女王は狂ったように体をよじらせ、シールドに明らかな乱れが生じた。長井淳はこの一瞬の隙を逃さず、ザーベルを毒蛇のように亀裂に突き立てた。刃が半分ほど沈み込んだ瞬間、女王は激しく振り返って、彼を刀ごと吹き飛ばした。
長井淳は空中で体勢を整え、着地と同時に片膝をついて数メートル滑った。ザーベルは緑色の体液にまみれ、その刃先には光る組織が引っかかっていた――女王の神経節だ!
女王は完全に激怒していた。もはや由紀を顧みることなく、全ての攻撃を長井淳に集中させている。前肢が嵐のように斬りつけ、長井淳は必死に回避を繰り返すが、その度にかろうじて致命傷を免れている。彼の戦闘服はぼろぼろに裂け、体中に再生途中の傷が広がっていた。
「頑張って!」由紀のメタルハンマーが再び鎖へと変形し、女王の後脚の一本に絡みついた。
女王が激しくもがくと、鎖が音を立てて断ち切れた。由紀は反動で地面に叩きつけられ、金属化した腕は元の状態に戻りながら、細かいひび割れに覆われていた。だが、彼女が長井淳のために勝ち取ったたった一秒の時間が——
長井淳は身を躍らせ、女王の前脚を踏み台にして飛び上がり、ザーベルを女王の中央にある複眼めがけて突き刺した。女王が急いで頭をかわすと、刃は複眼の縁をかすめ、大きく甲殻を削り取った。
緑色の体液が滝のように噴き出し、女王は耳をつんざくような叫び声をあげた。長井淳はソニックウェーブで七穴から血を流しながらも、女王の頭部の突起を必死で掴んで離さない。彼の軍刀が再び振りかぶられ、甲羅の下に露出した柔らかな組織へと向けられた—
刀身が根元まで貫き、女王の体は激しく痙攣した。全ての複眼が同時に破裂し、狂ったように頭部を振り回す。長井淳は空中に放り出され、地面に叩きつけられた。
女王はもがきながら数歩前進すると、ついにドサリと倒れ伏した。洞窟内に残っていたムカデたちは、糸の切れた操り人形のようにバタバタと倒れ、痙攣し始める。由紀はよろめきながら立ち上がり、信じられないという表情でこの光景を見つめた。「あなたは……女王を殺したの……?」
長井淳は荒い息を吐きながら立ち上がり、女王の死骸へと歩み寄った。ザーベルで甲殻を切り裂き、胸部から拳大のコアを摘出する。体液を拭い去ると、そこには不気味なダビデの星の紋様が浮かび上がっていた。
「これは…」由紀が近寄り、金属化した指でコアの表面を軽く触れながら、「こんな紋様、見たことないよ…」
洞窟内で生き残ったザーグは混乱して逃げ惑い、中には互いに攻撃し合うものもいた。女王のフェロモンによる指揮を失い、集団は完全な混乱に陥っていた。長井淳はコアをタクティカルバッグに収めると、荒れ果てた戦場を見渡した。
今、彼の狩りの時間だ。