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第17話

強酸性霧がトンネルに立ち込め、金属が腐食する刺すような臭いが傭兵たちの悲鳴と混ざり合う。長井淳の防護マスクには亀裂が走り、一呼吸ごとに灼熱感が喉を這い上がってきた。


 「うわあっ――!」ヴィクトルの硬化皮膚が酸霧の中で白煙を上げ、金属光沢は急速に消え、下から爛れた血肉が露わになった。彼は膝をつき、アダマンタイトレベルのアームバンドが危険な赤色に点滅している。「目が! 目が見えん!」


 由紀の金属化された右腕が前に立ちはだかったが、すでに酸が表面の金属を腐食させており、内部の機械構造が露わになっていた。一匹のフライング・インセクトイドが彼女の油断につけ込み、天井から急降下――鋭い口器がまっすぐ彼女のうなじを狙う。


「ドン!」

 フライング・インセクトイドはまるで見えない壁にぶつかったように、勢いよく弾き飛ばされた。長井淳のサーベルがほぼ同時に斬りつけ、刃はフライング・インセクトイドの脆い翼膜のつなぎ目を正確に切り裂いた。緑色の体液が噴き出し、フライング・インセクトイドはくるくると回転しながら地面に墜ちた。


 「ウィンドウォールはあと30秒しか持たない!」後方からユヴェタンの声が響く、彼のコアの指輪は普段とは違う青い光を放ち、額に細かい汗がにじんでいた。「長井、9時方向だ!」


 長井淳は振り返りもせずに身をかがめ、サーベルを後ろへと振り払った。不意打ちをかけようとしたフライング・インセクトイドの前脚が切り落とされ、耳をつんざくような悲鳴をあげる。ユヴェタンの風属性操作が絶妙にそれをひっくり返し、長井はその隙に飛び上がり、刀先をフライング・インセクトイドの複眼の間にある神経節に正確に突き刺した。


 「連携、上出来だ」ユヴェタンが唇の端をゆるめると、指輪の輝きがさらに強まった。「3時方向、3匹の群れだ!」


 長井淳はすでに視界に捉えていた。三匹のフライング・インセクトイドが三角陣形に急降下し、アシッドサックは限界まで膨らんでいる。彼は地面の小石を掴むと、最左翼の個体の複眼目がけて力いっぱい投げつけた。フライング・インセクトイドが本能的に身をかわした瞬間、隊列に綻びが生じた。


 「見事!」ユヴェタンの指輪が閃光を放ち、不可視存在のエアロプレッシャが右側の二匹のフライング・インセクトイドを強引に押し潰した。長井のサーベルは毒蛇のように鋭く突き出て、一閃で両者のアシッドサックを貫通。緑色のアシッドが噴き出すが、二人にかかりそうになった瞬間、突如現れたサイクロンに飲み込まれて消えた。


 「お前の風属性操作はブロックだけじゃないんだな」長井は刀についた緑血を振り払いながら言った。


 「お前のソードスキルも、ブロンズレベルの域を超えてやがるな」ユヴェタンは微笑みで応じた。


 由紀は呆然と二人のスムーズな連携を見つめていた。長井淳の一挙一動は、ユヴェタンのウィンドトレースを寸分違わず見越している。一方、ユヴェタンが張るウィンドウォールのひとつひとつが、長井にとってクリティカルアングルを生み出していた。初めて共に戦う二人なのに、まるで長年ともに戦ってきたような完璧なコンビだった。


 「頭上に気をつけて!」由紀が突然叫んだ。


 六匹のフライング・インセクトイドが隊列を組んでトンネル天井から急降下し、酸の雨を降らせた。ユヴェタンが両手を前に突き出すと、指輪が眩いブルーレイを放ち、ドーム状のウィンドウォールが四人を包み込む。酸液がウィンドウォールに当たって「ジュージュー」と音を立てたが、貫通することはできなかった。


 「長くは持たない…!」ユヴェタンの腕が小刻みに震えた。「この規模の防御は…エネルギーを消耗しすぎる!」


 長井淳はすでに動いていた。地面に転がっている破損した鉄パイプを掴み取ると、手の中で重量を確かめる。ユヴェタンは即座に意図を理解し、ウィンドウォールの天井部分に精密な隙間を作った。長井淳が全力を込めて投げた鉄パイプはその隙間を抜け、フライング・インセクトイドの先頭個体のアシッドサックに正確に命中。爆発の衝撃波が編隊全体を吹き飛ばした。


 「今だ!」長井淳が鋭く喝を飛ばした。


ユヴェタンは即座にウィンドウォールを解き、代わりに無数の細かいエアロブレードを解き放った。それらは正確にフライング・インセクトイドたちの翼膜を切り裂き、バランスを失わせる。長井淳は幽霊のように落下するフライング・インセクトイドの間を駆け抜け、サーベルの一閃ごとに緑色の血の雨を噴き上げさせた。


 「あれが…本当に人間か…?」負傷した傭兵が呻くように呟いた。


 ヴィクトルは片手で目を押さえながら地面に座り込んでいた。ハードニング能力は既に解けており、顔中には酸による腐食傷が広がっている。「あの小僧…いったい何者だ…」


 戦闘のリズムが加速していく。長井淳とユヴェタンは背中合わせに立ち、一人は接近戦で斬り込み、もう一人は風属性操作の防御と反撃を担った。フライング・インセクトイドの死骸が周囲に小山のように積み上がる中、さらに多くのフライング・インセクトイドが洞穴の奥から湧き出てきた。


 「こいつら…我々の体力を削りにかかっている」ユヴェタンの息遣いが荒くなり、指輪の光も不安定に揺らいだ。「ここを突破する手立てを考えないと」


 長井淳の視線が最大のフライング・インセクトイドに固定された。その個体は他の二倍以上もあり、甲殻は不自然なシャドウパープルを呈している。六対の複眼には、ただの虫とは思えない知性の光が宿っていた。


 「あれが指揮を執っている」長井が声を低めた。「あれを制圧すれば、撤退できる」


ユヴェタンは彼の視線の先を見て言った。「危険すぎる。距離がありすぎて、俺の風属性操作は届かない」


 「チャンスを作れ」長井淳はすでに構えを整え、サーベルを胸前に構えていた。


 ユヴェタンは深く息を吸い込み、指輪が突如として前例のない強烈な光を放った。両手を両側へ思い切り引き裂くように広げると、トンネル内に竜巻のような渦が形成される。フライング・インセクトイドの群れが強制的に分断され、指揮官のフライング・インセクトイドへと一直線に続く通路が切り開かれた。


 「10秒だ!」 ユヴェタンが歯を食いしばって叫んだ。「これが限界だ!」


 長井はすでに飛び出していた。ウィンドを受けた彼の速度は驚異的で、ほとんど足が地面につかないほどだった。指揮を執るフライング・インセクトイドが危険を察知し、耳をつんざくような羽音を立てると、周囲の護衛フライング・インセクトイドたちが即座に集結してきた。


 「させんぞ!」ユヴェタンは片手で通路を維持しながら、もう片方の手で幾筋ものエアロブレードを放ち、長井の行く手を阻もうとするフライング・インセクトイドを寸分の狂いもなく迎撃した。


 長井淳はこの一瞬の隙を逃さなかった。岩壁を蹴って高く跳び上がると、指揮フライング・インセクトイドが慌てて身をかわすのを尻尾の剛毛一本でキャッチ。暴れ狂う虫の背上で、長井淳のサーベルは甲羅の継ぎ目目掛けて閃いた。


 「ギィィ――ッ!」指揮フライング・インセクトイドが苦痛の叫びを上げると、他のフライング・インセクトイドたちは即座に混乱状態に陥った。


 長井淳の刀先がフライング・インセクトイドの神経節の中で精密に動き、制御中枢を探っていた。里の父がかつて教えてくれた方法だ――全てのザーグは似た神経構造を持ち、正しい位置を刺激さえすれば…


フライング・インセクトイドは突然硬直すると、異様なまでに従順になった。長井淳は姿勢を調整し、まるで馬に乗るようにその背中にまたがる。剛毛を引っ張ると、この巨体は驚くほど素直に指示通り方向を変えた。


 「長井!」由紀の叫び声が響いた。「後ろだ!」


 残存するフライング・インセクトイドたちが集団で激怒し、狂ったように襲いかかってきた。長井淳は指揮フライング・インセクトイドを操作して急旋回させると、神経節の上の刀先で軽く圧力を加えた。フライング・インセクトイドは即座に意図を悟り、羽ばたいて洞窟の奥深くへと突進する。その後を、怒り狂ったフライング・インセクトイドが追いかけた。


 「あの人はどこへ...?」ヴィクトルがよろめきながら立ち上がった。


 ユヴェタンの指輪の光が次第に薄れていく。彼は長井淳の消えた方向を見つめ、複雑な輝きを宿した瞳で言った。「ライザーを探しに...そして真実へ向かう」

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