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第22話

 傭兵駐屯地の夜は静かではなかった。


 焚き火を囲み、数人の傭兵が安酒をがぶ飲みしながら今日の勝利を祝っていた。長井淳は片隅で独り、肩の酸による焼け傷を布で固く巻きつけていた。痛みは彼を覚醒させたが、それ以上に彼を覚醒させたのは解けぬ疑問だった――なぜ今度の女王にはダビデの星の刻印がなかったのか? なぜザーグは女王の死後も秩序立って攻撃できたのか?


 彼は焚き火をじっと見つめていた。炎の光が瞳に映っているのに、思考の奥深くまでは届かない。


 「淳」ユヴェタンが近づき、傍らに腰を下ろすと、手に持った酒瓶を差し出した。


 長井淳は受け取らなかった。


 「今日のことをまだ考えているのか?」ユヴェタンが問いかけた。


 「ああ」


 「ヴィクトルはクソ野郎だが、傭兵団には傭兵団の規律がある」ユヴェタンは息を吐きながら続けた。「コアの件……何とかするから」


 「結構だ」長井淳はユヴェタンの言葉を遮り、立ち上がった。「俺はコアには興味がない」


 ユヴェタンは眉をひそめた。「それで、結局何に引っかかっているんだ?」


 長井淳は答えず、背を向けて立ち去った。


 彼はヴィクトルの嫌がらせなど気にしていなかったし、戦利品の分配にも興味がなかった。気にかかっていたのは「異常」だけだ――ザーグの行動パターンが変化し、女王からは重要な刻印が消えている。それなのに、誰もこのことに疑問を抱いていないらしい。


 彼は当てもなく歩き続け、いつの間にか駐屯地の外周部に来ていた。ここには焚き火もなく、ぼんやりとした非常灯が幾つか、廃棄コンテナと積み上げられた物資の輪郭を浮かび上がらせているだけだった。


 「おや、ブロンズレベルの『英雄』さんじゃないか」


 影から嘲るような声が響いた。長井淳は足を止め、ゆっくりと顔を上げた。


 ヴィクトルが四人の傭兵を従えてコンテナの陰から現れ、薄笑いを浮かべていた。連中は明らかに酒が入っており、目には挑戦の色が宿っている。


 「一人でこんな所まで出歩いてるなんて、偉ぶってんのか?」ヴィクトルは首を傾げながら、見下すような口調で言った。


 長井淳は相手にせず、振り返って去ろうとした。


 「待て!」ヴィクトルが鋭く喝を入れ、数歩前に出ると腕を伸ばして行く手を阻んだ。「どうした、俺たちと話すのも嫌か? 本気で偉いもんだと思い込んでんのか?」


 長井淳は静かに目を上げた。「どけ」


 ヴィクトルは鼻で笑った。「『どけ』だと? てめえ何様のつもりだ? ブロンズレベルの雑魚が、運良く女王一匹仕留めたくらいで、俺様に向かってそんな口がきけると?」


 長井淳は何も言わず、ただ冷たくヴィクトルを見つめた。


 ヴィクトルはその視線に激高した。突然、手を伸ばして長井淳をぐいと押しのける。「なんだ? 文句あんのか?」


 長井淳は半歩下がって体勢を整えると、その目は依然として静かなままだった。


 「黙りやがってるのか?」ヴィクトルが嘲笑いを浮かべ、背後にいる部下たちへ目配せした。「どうやら、お前に規律の躾け方を教えてやる必要がありそうだな」


 ヴィクトルが拳を振り下ろした。


 長井淳は頭をかわすと、素早くヴィクトルの手首を逆手に取り、ぐいと捻った。ヴィクトルは痛みに顔を歪めるが、反応は速く、もう片方の肘で長井淳の肋骨を狙う。長井淳は手を離し後退するが、ヴィクトルは執拗に追い打ちをかけ、二人は狭い空き地で数度の攻防を繰り広げた。拳と足がぶつかり合う音だけが、静かな夜に鋭く響いた。


ヴィクターの部下たちは急いで介入せず、ただ円陣を組んで長井淳が逃げないように囲んだ。彼らは明らかに、ヴィクトルがこの「ブロンズレベル」の雑魚を簡単に片付けられると考えていた。


 しかし、現実はそうではなかった。


 長井淳の格闘技術は、彼らの予想をはるかに超えていた。派手な動きはないが、一挙一動が無駄なく効率的で、ヴィクトルの猛攻の中にも反撃の機会を確実に見出した。3分後、ヴィクトルの口元に血がにじむ一方、長井淳はわずかに呼吸が乱れただけで、冷たい眼差しは変わらなかった。


 「クソが……!」ヴィクトルは血の混じった唾を吐き、険しい表情で怒鳴った。「てめえら、いつまで見てやがる? 全員でかかれ!」


 四人の傭兵がようやく包囲を縮めてきた。


 長井淳は周りを見回し、筋肉を緊張させた。彼は喧嘩を恐れていなかったが、もし相手が異能を使えば、この戦いは簡単にはいかないとよく理解していた。


 幸い、傭兵たちは異能を使うつもりはないようだった——彼らは長井淳を殺すのではなく、拳で懲らしめようとしていた。


 五対一。


 長井淳の拳が最初の傭兵の顎に叩き込まれ、相手はよろめきながら後退した。二人目が横から襲いかかってくるのを、長井淳は身をかがめて回避すると、払い蹴りで地面に叩きつけた。だが三人目の拳はすでに背中に命中しており、長井淳はうめき声を漏らしながら、反転するように肘打ちを腹へと返した。


 ヴィクトルの足がとどめを刺すように膝裏に炸裂し、長井淳は片膝を地面についた。しかし即座に転がりながら後続の攻撃をかわすと、起き上がる際には里の父の形見のサーベルを手にしていた――その刃には宿命の輝きが宿っていた。


 「刃か?」ヴィクトルが冷笑いを浮かべた。「お前だけのものじゃないぞ」


 彼は短剣を抜き、他の者も続々と武器を構えた。


 長井淳は何も語らず、ただ刀の柄を握り締め、冷たい眼差しを向けるだけだった。


 まさに再び斬り合いになろうとしたその時──ヴィクトルは突然、長井淳の背後に立つ小柄な傭兵に目配せした。


 井田と呼ばれるその傭兵が口元を歪めると、次の瞬間、その身体は影に溶け込んで消えた。


 長井淳は不穏な予感を察したが、時すでに遅かった――


 長井淳の背後から、井田の影が不意に浮かび上がる――その手にはサーベルがきらめき、まっすぐ背中めがけて突き出された!


 「ズブッ!」


 サーベルが服を貫く瞬間、長井淳の背中に熱い衝撃が走った。灼熱の液体が脊椎を伝って流れ落ちるのを感じながら――


 しかし――


 刃は深く食い込まなかった。

 井田の表情が一瞬で歪んだ。サーベルはまるで不可侵の障壁に突き当たったかのように硬直し、さらに恐ろしいことに――刀身を伝って逆流してくる灼熱の力が彼を襲った!


 「ぐああっ――!」井田の悲鳴が響き渡った。サーベルを握っていた掌は瞬時に黒焦げになり、高温に焼かれたかのように変色する。よろめきながら後退る彼は、恐怖に震える視線で自分の手を見つめた。


 長井淳も呆然とした。無意識に背中に手をやると、服には穴が開いているものの、肌には一切の傷もない。さらに不可解なことに――今しがた、確かに何かが体内を駆け巡り、あの一撃を防いだのを感じ取っていた。


 ヴィクトルたちも呆然とした。


 「なんだこりゃ!?」


 「井田の能力が効かなかったのか?」


 「いや…奴の手が……焼けてやがる!」


 長井淳は己の掌を見下ろした。指先には、かすかな金色のほのかな光がまだ宿っているようだった――しかし、それは一瞬で消え去った。


 「やめろッ!」


 遠くから鋭い喝が飛んだ。


 全員が振り向くと、隊長ライザーが険しい表情で歩み寄ってくるのが見えた。背後には法務隊の傭兵数名が電気警棒を構えながら続いている。


 「基地内で私闘は禁じられている。死にたいのか?」ライザーが冷たい視線で一同を見回した。


 ヴィクトルは素早く武器を収め、長井淳を指さして言った。「隊長、こいつが仕掛けてきたんです!俺たちはただの自衛だ!」


 他の者も口々に同調した。「そうだ!アイツが先に手を出した!」


 長井淳は弁明せず、ただ黙ったまま立ち続けた。


 ライザーの視線が長井淳に一秒止まり、そして井田の焼け焦げた手へ移った。「異能を使ったのは誰だ?」


 沈黙が場を支配した。


 ライザーは冷ややかに哼いた。「誰であろうと、規則違反には罰則が伴う」手を振るうと、こう命じた。「長井淳を監禁室に閉じ込めろ」「他の者は今月の報酬を減額する」


 法務隊の傭兵たちが進み出て、長井淳の両腕を押さえつけた。


 長井淳は抵抗せず、連行される前にただ一瞥した――ライザーの首筋に、かすかに覗く刺青の一端を。


 まるで何かの符号の断片のように。


 …あれは何だ?


 彼が仔細に見極める間もなく、突き押されるようにしてその場を離れた。

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