監禁室に、金属が歪む耳をつんざくような音がこだました。
長井淳は壁に背を押し付け、激しく震える鉄扉を凝視した。異変種ネズミの獣臭が扉の隙間から染み込み、血の香りと腐肉の臭いが混ざり合っている。その怪物の荒い呼吸音と、鋭い爪が金属を引っ掻く音が、はっきりと聞こえてきた──
「ガンッ!」
さらに激しい衝撃が加わる。扉枠周辺のコンクリートが剥がれ落ち、細かな砕石が長井淳の足元へ転がってきた。彼は指を軽く動かし、体内に潜む異様な灼熱を確かめる。あのエネルギー暴走以来、この温もりは血管の中に潜んだままだった――眠れる蛇のように。
鉄扉が三度目の衝撃で隙間を生じた。藤原の視界に、血走った白目に縦に細く裂けたクリムゾンアイが映る。その眼球がぐるりと回転すると――ついに彼を捉えた。
「ギィィ――ッ!」
異変種ネズミが耳障りな叫び声を上げ、ファングから粘ついた唾液が滴り落ちる。地面に触れた途端、小さな穴を腐食させていった。
「ドカン――ッ!」
今度の衝撃で壁全体が揺れ動いた。コンクリートに蜘蛛の巣状の亀裂が走り、粉塵がさらさらと降り注ぐ。長井淳は顔にかかった灰を払いながら、なぜか唇の端が緩んだ。妙なことに、恐怖はまるで感じていない。むしろ、里の父と稽古をしていた頃のような、久しぶりの高揚感がこみ上げてくるのを覚えていた。
壁の亀裂はますます拡がっていく。異変種ネズミの爪がすでに侵入可能なほどで、狂ったように引っ掻き回し、裂け目をさらに広げている。長井淳は数歩下がり、今まさに突入してくる怪物のために――空間を空けてやった。
亀裂が十分に広がった瞬間、異変種ネズミがぐっと身を押し込んできた。その巨体は監禁室をほぼ埋め尽くし、荒い体毛が壁の塗装を大きく剥がし落とした。クリムゾンアイは長井淳をがっちりと捉え、喉の奥から低いグル音を響かせている。
長井淳の体内で熱度が突然上昇した。まるで血管に火を点けられたように、熱流が四肢の末端まで奔りだす。視界の端に淡い金色の光が滲み始めた。
その瞬間――異変種ネズミが襲いかかってきた。
長井淳は本能的に横へ転がり、信じられないほどの速さで回避した。皮膚を流れる空気の軌跡さえ感じ取り、異変種ネズミの次の動作まで予測できる。怪物が再び襲いかかる瞬間、彼は猛然と跳び上がり――異変種ネズミの背中へと飛び乗った。
荒い体毛が腕に擦れてヒリヒリとするが、長井淳は異変種ネズミの首元の骨甲をがっちりと掴んだ。そして――信じがたいほどの力を込めた拳を、異変種ネズミの後頭部へ叩き込んだ。
「ドン! ドン! ドン!」
一撃ごとに異変種ネズミは苦痛の叫びを上げる。狂ったように体をくねらせ、背中の獲物を振り落とそうとするが、長井淳の両脚は鉄の枷のようにその巨体を締めつけていた。拳はすでに皮が破れ、肉が裂けているのが感じられた。だが、その痛みが逆に――彼の意識を研ぎ澄ませていく。
変異鼠の後頸部に、他より柔らかい皮膚の領域があった。長井淳は全力を集中させ、一撃、また一撃とその一点を打ち続ける。視界はすっかりフェイドゴールドに染まり、皮膚の下の血管が微かな光を放ち始めていた。
突然、ぱちんと甲高い音がした。異変種ネズミの外殻に亀裂が走ったのだ。長井淳は躊躇わず、指をその裂け目に突っ込むと――ぐいっと引き裂いた。
「ビリッ!」
硬い外皮が紙のように引き裂かれ、その下の緑色に輝く肉が現れました。腐食性の血液が長井淳の手にかかったが、何のダメージも与えられない。その指は異変種ネズミの体内深く食い込み、硬い脊椎骨に触れていた──
異変種ネズミは耳を劈くような悲鳴を上げ、狂ったように壁へ体当たりしていく。長井淳は歯を食いしばり、その脊椎骨に指をかけ――ぐいとひねり上げた。
「バキッ!」
骨の断裂音がくっきりと響き渡った。異変種ネズミの体が瞬間的に硬直すると、どさりと地面に倒れ込む。だがまだ息はある。クリムゾンアイは憎悪に満ちたまま長井淳を睨みつけ、鋭い牙をがちがちと噛み合わせていた
長井淳は荒い息を吐きながら地面から起き上がった。手にはまだ異変種ネズミの血肉がこびりつき、淡い白煙を上げている。監禁室はすでに廃墟と化しており、歪んだ鉄筋が崩れた壁面から無様に突き出していた
彼はさっと鉄筋を一本折り取り、手のひらで軽く持ち替えてみる。異変種ネズミの眼球がその動きを追い、喉の奥から威嚇するような低い唸りを漏らした
長井淳は異変種ネズミの前に立ち、見下ろすようにしてその姿を観察した。すでに瞳は完全にゴールドへと変わり、瞳孔が細い線状に収縮している――異変種ネズミと幾分似通った様相だ。
「終わりだ」
鉄筋が異変種ネズミの眼球を貫き、脳髄を串刺しにした。巨体が激しく痙攣を繰り返すと、ついに動きを止めた
長井淳は深く息を吐き、瞳のゴールドが徐々に薄れていった。ようやく全身の筋肉が悲鳴を上げていることに気づき、手の傷がひりひりと疼き始める。
「淳!」
馴染み深い声が廊下から響いてきた。ユヴェタンが息を切らしながら入り口に現れる。彼のマントは血まみれで、手にはまだ滴り落ちる血塗れの長刀を握っていた
「助けるぞ…」ユヴェタンの言葉が突然途切れた。彼は目を見開いて、監禁室の中の光景を見つめた——歪んだ鉄の扉、崩れかけた壁、異変種ネズミの死骸、そしてその傍らに立ち、全身血まみれの長井淳がいた。
長井淳は顔の血を拭いながら、静かに聞いた。「用か?」
ユヴェタンの喉仏がぐっと動いた。異変種ネズミの死骸から長井淳へ、また死骸へと視線が揺れる。最後に彼は乾いた声で言った。「……助けに来た」
長井淳はうなずくと、異変種ネズミの死骸を跨いだ。地面に落ちた布を拾い上げ、手の血をゆっくりと拭いている。
「ありがとう」と彼は言った。「でも、もう済んだことだ」
ユヴェタンは口を開いたが、結局何も言わずに首を振った。通路を開けるように体を横にずらしながら言った。「基地は突破された。急いで撤退するぞ」
長井淳は頷くと、廊下の奥へと歩き出した。その瞬間、彼はパネルを開く操作をわずかな手の動きでこなしていた。
【氏名:長井淳
身分:平民
職位:三等傭兵
才能:格闘
エネルギーランク:スタークラストレベル(未確定)】
ブロンズレベルから一気に稀なるスタークラストレベルへと躍進したことは、既に奇跡的である。そして、その後に意味深な「未確定」という文字が添えられている。
長井淳は、自分の中にとんでもない秘密が隠されているかもしれないと気付いた。
彼の背後で、ユヴィタンはその背中を見つめ、複雑で言葉に尽くせない眼差しを向けていた。
そして彼は振り返り、無残な姿で息絶えた異変種ネズミの死骸を見つめ、一言つぶやいた。
「まったく、狂ってやがる」
長井淳の姿はもう遠くに消えかけていた。ユヴィタンは首を振り、苦笑を浮かべると、一瞬の躊躇の後、やはり足早に後を追った。