基地の東側から爆発音が響き渡り、地面が微かに震えた。長井淳とユヴィタンは壁に身を寄せながら前進し、廊下から時折落下する瓦礫や電線を巧みにかわしていく。
「危ない!」ユヴィタンが咄嗟に長井淳を引き寄せた瞬間、皮膜の翼を持つ魔狼が頭上をかすめた。鋭い鉤爪が長井淳の前髪を掠めるように通り過ぎ、その畜生は反対側の壁にぶつかると、身を翻して威嚇するような低い唸り声を上げた。
長井淳は一瞬の躊躇もなく、手にしていた鉄筋をぶん投げた。鉄筋は魔狼の目玉に正確に突き刺さったが、ただ首を振るだけで、痛みすら感じていないようだった。その隙にユヴィタンがエアロブレードを放ち、魔狼の喉元を切り裂いた。
「おかしいぞ」長井淳はしゃがみこんで死骸を調べながら、「こいつら...痛覚すら感じてないみたいなんだ。尋常じゃないぞ」
長井淳は魔狼の頭蓋骨をこじ開けた。予想通り、脳幹部分に明らかな壊死領域があった——ちょうど彼が以前、虫の巣穴で見た変異鳥と同じように。
「またか…」長井淳は眉をひそめながら、「脳幹が破壊されて、攻撃本能だけが残ってるんだ」
ユヴィタンは魔狼の死骸を軽く蹴りながら言った。「だが、こいつら普段は同族でさえ共喰いするはずだ。今日に限ってどうしてまとまり始めた?」
遠くで耳をつんざくような羽音が響いた。長井淳が顔を上げると、十数匹のフライング・インセクトイドが破損した天井の隙間からなだれ込んでくるのが見えた。それらの腹部は膨張し、透明な羽根を高速で震わせながら、尾端には不気味な緑色の光が点滅していた。
「アシッドバグだ!逃げろ!」ユヴィタンは長井淳の腕を掴み、廊下の角へと急ぎ引きずるように走り出した。
フライングインセクトランドが執拗に追いすがる。一匹が酸液を噴射し、ユヴィタンのマントに跳ねかかるや、瞬時に大きな穴を焼き貫いた。長井淳は床に転がる金属片を掴み取ると、二匹を見事に撃ち落とした。だが、その数は圧倒的だった。
囲まれそうになったその瞬間、地面が突然盛り上がった。土が生き物のようにうねり動き、瞬く間に数十本の鋭い棘へと変化した。
「伏せ!」
聞き覚えのある声が響くや、長井淳とユヴィタンは即座に身を低くした。土の棘が飛び虫の群れめがけて唸りを上げて飛び、壁にそれらを串刺しにした。酸液が土の棘に跳ねかかり、「じゅうっ」と音を立てたが、たちまち土に中和されていった。
ライザー隊長が煙の中から姿を現した。制服は埃まみれだったが、表情は依然として冷静そのもの。右手を軽く握ると、周囲の土砂が従順なペットのように足元で渦を巻いた。
「無事か?」ライザーが問いかけ、視線だけ一瞬、長井淳の方を掠めた。「ついて来い。安全地帯まで移動する」
ユヴィタンが安堵の息をついたまさにその時、長井淳にぐいっと腕を掴まれた。
「待て」長井淳の声は静かだったが、ユヴィタンは彼の腕の筋肉が緊張するのを感じ取った。
ライザーが振り向いた。「どうした?ぐずぐずしている暇はない」
長井淳は答えず、不意に行動に出た。彼の動きは信じがたいほど速く、右手を鉤爪のようにライザーの喉元へと突き出した。ライザーは素早く反応し、体をかわしたが、それでも制服の襟元が長井淳に引き裂かれるのを免れなかった。
「何をするんだ!?」ユヴィタンが叫んだ。
長井淳はユヴィタンを無視し、ライザーのうなじを凝視していた。そこには、完璧なダビデの星の刺青がくっきりと浮かび上がっている――ザーグの女王の体にある印とそっくりそのままのものが。
「やはりお前だったか」長井淳の声は氷のように冷たく、「お前が内通者だ」
ライザーの表情が一瞬だけ硬直したが、すぐに平静を取り戻した。破れた襟を直しながら、彼はその刺青を隠すようにした。
「何の話だか分からんな」ライザーの声は相変わらず落ち着いており、「今は基地が襲撃されている。団結する必要が――」
「団結だと?」長井淳は冷笑いを浮かべた。「あの変異獣ども、脳幹を破壊されてやがる。まるでザーグに操られた傀儡のようだ。そしてお前の刺青――ザーグの女王の紋章と寸分違わず同じだ」
「推測が正しければ、お前の異変は虫族に捕らわれた後に起きたんだろう」長井淳の声に鋭い確信が込められている。「奴らがどうやってそんなことを成し遂げたかは知らんが…ザーグはお前に女王と同じ刻印を押した。お前を、奴らの仲間に変えたんだ」
「今のお前は隊長じゃない……ザーグの手先だ!」
ユヴィタンが「フゥッ」と鋭く息を飲み、無意識に一歩後ずさった。「隊長……これ、本当なのか?」
ライザーはすぐには答えなかった。遠くで再び爆発音が響き、炎の光が廊下の壁を赤く染めた。フライング・インセクトイドの死骸は今も土の棘に串刺しになり、酸の臭いが煙塵と混じり合い、空気は鼻を刺すように辛辣だった。
「お前たちにはわからん」ライザーがようやく口を開いた。声は低く重たく、「これは支配ではない……進化だ」
長井淳の瞳が微かに収縮した。「……どういう意味だ?」
ライザーの口元に不気味な微笑みが浮かんだ。「すぐにわかるだろう……全人類がな」
その瞬間、基地の警報音が不気味に変調した。せわしない電子音から、低く長い警笛へと――ユヴィタンの顔色が激変する。「最上位警報だ……基地が自爆プロトコルに入った!」
ライザーの表情に初めて動揺が走った。「ありえない……計画はこんな――」
長井淳がユヴィタンの腕を掴む。「行くぞ!」
二人はくるりと背を向け、駆け出した。背後からライザーの怒号が追う。「止まれ!逃げられると思うな!」
地面の土が突然生き物のようにうねり動き、二人の足首を絡め取ろうとした。長井淳は咄嗟に跳躍して最初の攻撃を回避するが、さらに多くの土塊が壁や床から湧き出し、次々と障壁を形成していった。
「別れろ!」長井淳がユヴィタンを強く押し、「他の仲間を救え!」
ユヴィタンはまだ言い残したことがある様子だったが、長井淳の決意に満ちた瞳を見て、結局うなずいた。手を振るい旋風を起こして迫り来る土を一時的に食い止めると、彼は踵を返し、別の廊下へと駆け込んでいった。
長井淳はそのまま前へと走り続けた。背後では土塊が延々と広がり、ライザーの怒号が響く。警報音はますます大きくなり、基地全体が震動している――まるで瀕死の巨獣のようだった。
廊下の角を曲がった途端、長井淳は突然足を止めた。前方の通路は変異生物たちに塞がれていた――三頭の魔狼、五匹のフライング・インセクトイド、そして幾匹か見たことのない化け物ども。それらは一斉にクリムゾンアイで藤原に向け、喉の奥から低い唸り声を響かせている。
長井淳は深く息を吸い込み、体内に渦巻くあの慣れ親しんだ灼熱が沸き上がってくるのを感じた。皮膚の下の血管が再び淡いゴールドの輝きを帯び始める。
「かかってこい」彼は低く呟くと、戦闘姿勢を構えた。