「よくもそんな――」
ユヴェタンの声は怒りに震えていた。貴族特有の優雅な口調は、今や完全に捨て去られていた。必死で立ち上がろうともがくが、毒が回った両脚は言うことを聞かず、片膝をついたまま動けない。あの常に笑みを湛えていた青い瞳は、今や冷たい怒りの炎に燃え上がっている。
「雷雨グループは毎年皇室からどれほどの資金援助を受けている? 議会はどれだけの軍資金を割り当てた?」ユヴェタンの声は次第に鋭さを増し、一語一語が刃物のように鋭く切りつけてくる。「我が父が――いや、皇室全体がザーグ防衛にどれほどの将兵を犠牲にしたと思っている? そのお前らが…こんな汚らわしい取引を裏で行っていただと?」
長井淳の拳が蜘蛛糸の束縛の中で軋むように握り締められた。上杉麻美の狂気に満ちた顔を睨みつけながら、生体インキュベーターにされた探査隊員たちや、副課長の腹部が破裂した惨状が脳裏をよぎる。養父のノートに残されていた断片的な記録が突然つながった――雷雨グループ、ザーグ、ダビデの星の刻印…
「生きた人間をインキュベーターにしたのか」長井淳の声は底知れぬ暗さを帯びていた。「それがお前たちの言う『エボリューション・イニシアチブ』というものか?」
上杉麻美の顔に一瞬だけ不自然な表情が浮かんだが、すぐに病的な熱狂に覆われた。「科学の進歩には犠牲がつきものです。考えてみてください、ザーグの再生能力を手に入れれば、人類は老化も病気も克服できるんです! 兵士だの民間人だのの犠牲なんて、大いなる進化のための実験材料に過ぎないじゃありませんか!」
「実験材料…だと?」ユヴェタンの声が突然静まり返った――嵐の前の不気味な静寂のように。「俺の弟はザーグとの戦場で命を落とした。まだ十七だった…。お前の目には、あいつもただの『実験材料』に映るのか?」
上杉麻美は明らかにたじろいだ。彼女でさえ、皇室の最年少王子の戦死が帝国全体を揺るがす大事件だったことを知っていた。
「そ…それは不測の事故です」彼女の声についに揺らぎが生じた。「研究が完成すれば、もう誰もザーグに殺されることは…」
「黙れ!」ユヴェタンの突然の怒号に、周囲のバグソルジャーさえ半歩後ずさった。「生きた人間を虫の餌にしておいて、よくも科学研究などとぬけぬけと言える!お前たちは人を喰らうザーグと何が違うというのだ!?」
長井淳は体内の血液が沸騰し始めるのを感じた。緑液体が血管を駆け巡り、奇妙な灼熱感をもたらしていた。彼は上杉麻美の白衣に刻まれた雷雨グループの紋章――ダビデの星に絡みつく一匹の蛇を凝視する。それは女王の背中の刻印と寸分違わぬものだった。
「里の父の死も…お前たちの仕業か?」長井淳の声はかすれるほど小さかったが、その中に込められた冷気に、上杉麻美の笑みが顔で凍りついた。
「長井修は頑固なジジイだったわ」彼女の声が突然鋭く変調した。「肝心のデータを握っておきながら、研究記録を全て破棄しようとしたんですから!私たちは再現するのに3年も――」
突然、口を滑らせたことに気付き、慌てて口を押さえる。だが時既に遅く、長井淳の瞳に一瞬、確信の光が走った。
女王が突然鋭い嘶き声を上げ、会話を遮った。その巨体が前へと進み出ると、複眼を長井淳にしっかりと据え、何かを測るように見据える。上杉麻美は即座に卑屈に頭を垂れ、傍らへと下がった。
長井淳は体内の灼熱感がますます強まっていくのを感じた。緑液体がまるで彼の細胞一つ一つに火種を灯したかのようで、皮膚の下の血管が淡いゴールドに輝き始めた。体に巻き付いた蜘蛛の糸は微かな「じゅうっ」という音を立て、高温に焼かれるように溶けていった
「お前たちの企みは成就しない」長井淳は一語一語を噛みしめるように言い放った。その声にはこれまでにない力が込められていた。「この命のある限り」
上杉麻美は冷ややかに笑った。「生きてると思って? なぜ女王陛下があなたに興味を持っていると思うの?」彼女は女王の方へ向き直ると、あの奇妙なザーグの言語で何かをつぶやいた。
女王がゆっくりと頭を下げ、長井淳まで1メートルほどの距離まで近づいた。鼻を刺すようなフェロモンが襲いかかり、長井淳の鼻腔が焼けるように疼いた。女王の複眼に映る自分をはっきりと見ることができた――瞳が異常なゴールドに輝き、何かが覚醒しつつあるかのようだった。
その瞬間、長井淳の手首に装着されたコントロールパネルが突然自動展開した。空中に広がったホログラム投影に、エネルギー数値が狂ったように跳ね上がる:
【エネルギーランク:スタークラストレベル…突破中…】
【エネルギー波異常!】
【警告!検知範囲を超過!】
ユヴェタンが息をのんだ:「ありえない…パワーレベルがスタークラストレベルの上限を突破している…」
長井淳自身もパネルを見つめて硬直した。数値はなおも急上昇を続け、もはや計測不能の領域に達している。さらに奇妙なことに、彼はこれらの数字がどこか懐かしく、まるで記憶の奥底に刻まれていたかのように感じていた。
視界がぼやけていく中、記憶の断片が次々と蘇ってきた――里の父の厳しい面差し、繰り返し諭された言葉、そして緑液体で満たされたプールの光景が……
長井淳は体内のエネルギーが質的変化を起こしているのを感じた。あの緑液体が鍵となり、長年封じられていた体内の領域を開いたのだ。コントロールパネルの数値は相変わらず狂ったように跳ね回り、画面は過負荷で明滅を繰り返している。
力が決壊した洪水のように四肢に流れ込む。体に絡みついた蜘蛛の糸が炭化し、剥がれ落ちる。皮下に秘められたゴールドの光はますます輝きを増し、洞窟全体を不気味なゴールドに染め上げた。彼の視界は異常なまでに明晰になり、ザーグ一匹一匹の甲殻に刻まれた微細な紋様までもがくっきりと見て取れるほどだった。
コントロールパネルが突然、耳をつんざくような警報音を発した:
【エネルギーランク:不明】
【警告!システム過負荷!】
【至急撤退を推奨!】
ユヴェタンは体を引きずるようにして長井淳に近づこうとした。「淳…お前の様子がおかしい…」
長井淳が振り向くと、その瞳から放たれるゴールドの光に、ユヴェタンは思わず息をのんだ。その一瞬、ユヴェタンの前にいるのは、完全に別人のような長井淳だった――馴染みのある面影でありながらどこか遠く、強大な力を感じさせながらもどこか脆く見える。
「大丈夫だ」長井淳の声は妙に落ち着いていた。「むしろ、これほど良い状態は初めてだ」
最後の言葉が消えると同時に、コントロールパネルが火花を散らして爆発し、完全に暗転した。その刹那、長井淳の全身を包む光は頂点に達し――あまりの眩しさに、もはや目を開けていられないほどだった…