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0628 男を感じる背中

高架下、とある駅と駅の中間に建てられた黒塗りの建物がある。

立地はお世辞にも良いとは言えず、内装は綺麗だが電車の通過音が店内BGMを突き抜け響いて来る悲しい店だ。


だがこのカフェ&barは自分の様に音に寛容な人間であれば客も少なく、雰囲気が良く、サービスも良い穴場である。

特にマスターはロマンスグレーを体現したような男性で、とてもカッコいい。


細身ながら鍛えているのだろうスーツに包まれた体にカッチリと決めた髪型。

物知りで気さくで立ち姿も綺麗だ。


奥さんと娘さんも見た事があるが二人とも美人で美しい。


男のロマンが詰まったようなそんな店主だが彼は険しそうな見た目の割に話しやすい。

そんな彼に憧れて自分は時折その店を訪れていた。


「---なるほど。

それで仕事を辞めようか悩んでいると」

「はい。

もう心が折れそうですよ」


毎日毎日怒られてやった仕事は評価されない。

何が悪いのか教えてはもらえず相手の言う事は分からない。


仕事の愚痴を吐けばマスターは少しだけ考える素振りを見せてから聞いて来る。


「君はどうしてその会社に入ったんだい?」

「それは建前の話ですか?」

「いや、本音だよ」

「給料が良いからです。

それに大きな会社でしたから」

「なるほど、大切だ。

でもそれなら会社は続けた方が良いんじゃないかな?」

「えー…。

でもマスターみたいに店を出した方が儲かるんじゃないですか?」

「いや、この店は大して儲かってないよ。

僕の『収入源』は別にあるから」

「え?

収入源ですか?」


聞きなれない言葉に聞き返すと彼は頷いた。


「そう、この店は趣味でやってるだけで収入源じゃないんだよ。

何だったら赤字の月もある」

「え!?そうだったんですか??」

「だから今年いっぱいで畳むつもりなんだよ」


赤字なんていうトンデモワードと急な閉店宣言に空いた口が塞がらない。


「そんなにこの店ヤバいんですか?」

「いや、計画通りなだけだよ。

元々この店は5年で畳むつもりだったんだ。

当初の夢も果たしたし」

「当初の夢?」

「この店が深夜はbarとして経営しているのは知っているだろう。

私は娘を自分の店に呼んで飲んでみたかったんだ」

「…それだけの為にこの店を作ったんですか?」

「あぁ、そうだよ」


マスターは得意げな表情をしているが僕は事の大きさに空いた口が塞がらなかった。

いくら社会人としての経験が浅くても企業にはそれ相応のコストがかかるはず。

それを娘と飲みたいからと言う理由だけで開業している父親に驚くしかない。


「…凄いっすね。

貴方が父親だったら僕もそうなっていたんですかね…」

「んー…。

それは違うと思うよ。

実はね、僕の父親は服役経験がある小悪党だったんだよ」

「…マスター。今日めっちゃぶっちゃけますね」

「そうかな?

…いや、そうかもしれないな。

今日娘が彼氏をこの店に連れて来ると言ったんだ。

ちょっとそれが嬉しくて朝からワクワクしているんだよ」

「そう言うのって普通お前に娘はやらん!とか言って険悪な雰囲気になったりしません?」

「それはドラマの見過ぎだよ」


マスターは笑う。

あまりにも楽しそうにしているマスターに思わず僕は聞いてしまった。


「どうしたらマスターみたいになれますか?」

「そうだね…。

色々あるけどあえて言うなら「人のせいにしない」って事かな。

自分の道って言うのは自分で決められるからこそ人のせいにしている内は成長しないと思うよ」

「…なるほど」


一瞬。

ほんの一瞬だけマスターから暖かさが消えた。


まるで自分を刺されたような気がした。


彼は磨いていたグラスを棚に戻す為後ろを向く。

私はあの一瞬の違和感がどうしても気になって仕方なかった。



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