暖かい風が吹く田舎道をのんびり歩いていると、遠くに家の屋根がちらほらと見え始めた。それを見て「もうすぐ村ですよ」とユイが言う。
「……寝袋も買ったのに思ったより楽な旅だな」
「まだこの辺りは大丈夫です。もう少ししたら、人の住んでいない地域になるので、そこまで行くと野宿ですね」
「そうか。それなら今の間は体を労わる方がいいな」
腰をさすりながらそう言ったクレイドに、ユイは気の毒そうな顔を見せた。
……年齢じゃない、体力が……そう言いたいが、もう面倒だ。十代であろうユイから見たら三十は確かにジジイなんだろう。
それならこれから一層労わって貰おうじゃないか。
「じゃあ先に宿を取りましょう。僕が探して来るので待っててください」
村の入り口に差し掛かった所でユイは走り出す。無限の体力だ。
「……なあセルヴィス、お前の故郷は遠いな」
「……うあ」
「どうして魔王になったんだろうな?血を浴びたとか、噛まれたとか?なんかあっただろう?きっかけが」
「……うあ?」
……くそっ!それさえ分かれば、遠いところまで調べに行かなくて済むのに!
けれど、『忘れる』という現象は神からの贈り物だ。歳をとって色々なことを忘れていくのは、背負いきれない物が増えるからだろう。
若くても耐え難い事があればそれは同じだ。そのままでは潰れてしまうから『忘れる』のだ。
「思い出せと言うのは酷か……。仕方ない」
こうなってしまったのも何かの縁だ。
今頃無人の我が家の前には埋葬のために運ばれてきた遺体が積み上がっているだろう。そして近くのアンダーテイカーが私の代わりに駆り出されているに違いない。
でも空は爽やかに晴れているし、夜間に仕事をするクレイドが、昼間の空を見上げるのも数年振りだ。
「……悪くない」
草の匂いのする空気を肺いっぱいに吸い込み、大きく吐き出す。それだけで生まれ変わった気がした。
「クレイド!セルヴィス!宿が取れましたよ!」
ユイが行った時と同じく駆け足で戻って来る。……腕に何やらを抱いて。
「何だそれは」
「猫です。見た事ないですか?」
「あるわ。……どうしてそれを腕に抱いているのかと聞いている」
「足に擦り寄ってきて可愛かったんです。でも痩せてガリガリなので宿に行ったら何か食べさせようと思って」
「……そうか」
「じゃあ行きますよ」
ユイは腕の中の毛玉を愛しそうに抱きしめながらクレイドとセルヴィスを村へと案内した。
※※※※※※※
三人部屋を一つ取ったクレイドたちは、宿の主人の許可を得て、猫を食堂に連れてきた。
「ほら食べろ?」
ユイが甲斐甲斐しく世話を焼いているが、猫は小さく首を振るだけでユイの膝に登って眠ってしまった。
「こんなに痩せてるのにどうして食べないんだろう。病気なのかな」
心配そうに優しく猫の背を撫でるユイを見て、クレイドは口をモゴモゴさせる。
「……クレイド、何か知ってるんですか?」
「……知ってるわけないだろう。私はこの村は初めてなんだから」
「……話してください」
「……」
……仕方ない。
クレイドは口を開いた。
「その猫は囚われている」
「え?誰に?」
「その猫の飼い主だ。そして、その飼い主はもう死んでる」
「えっ。呪われてるって事ですか?」
「呪われて……まあ簡単に言うとそうだな」
たちまちユイは大きな目に涙を湛えた。
「そんな、飼い猫を呪うなんて碌な飼い主じゃない。その呪いのせいで何も食べられないんですか?そんなの可哀想だ。このまま死ぬじゃないですか」
「まあそうだな」
「何とかしてください!!」
ユイは涙目でドンと食堂のテーブルを叩いた。
浴びせられる周りの視線がクレイドの全身に突き刺さる。きっと子供をいじめていると誤解されてるだろう。